プレバト俳句の「運動会・秋声」について一言

       

プレバト」は、夏井先生のコメントに司会者とタレントが賑やかに反応し、エンターテイメント性があり、テレビの俳句番組として人気絶頂の感があります。

この番組は、俳句のブログを書いている者として、見落とすべきではないと思い、先日も見ていたところ、ミッツ・マングローブさんの次の俳句に対する夏井先生の歯切れの良い査定・裁きが腑に落ちなかったので、一言コメントさせて頂きます。

   

秋声に褪する石灰最終種目

  

この句の「最終種目」(運動会)と「秋声」の取合せに対する夏井いつき先生の査定(「直し無し」の大絶賛・1ランク昇格)は腑に落ちません。

原句では運動会最後のリレーが終了したとは解釈できませんし、現にミッツさんも夏井先生も最後のリレーを詠んだ俳句であると明言しています。

ご承知の通り運動会のリレーでは応援の声が一層大きくなるのが普通です。

「季語『秋声』には『運動会の声援』など賑やかな声も含む」と、新しい解釈をするなら、「直し無しの大絶賛・1ランク昇格」も当然でしょう。

しかし、夏井先生も一般の歳時記などの解説のように、「『秋声』は『秋の物侘しい気持ちの季語』である」と解説しているのですから、この俳句の「秋声」と「最終種目」の取り合わせは明らかにミスマッチです。

夏井先生は、この俳句の何か心地よい魅力的な響きや「褪する石灰」とか「最終種目」という表現に惑わされて、早とちりしたのではないでしょうか? 

この俳句に対するフルポン村上さんの反応は夏井先生の査定より正しいでしょう。

 

「この俳句の作者は大きな声援さえも秋声と感じていたのだ」と解釈するなら、「秋声に」を「秋声や」に替えて、次のように添削すべきでしょう。

 

(添削句A案)

秋声や褪する石灰最終種目

  

或いは、破調ですが「秋声」を「秋晴」に替えて次のようにしてはどうでしょうか?

 

(添削句B案)

秋晴に石灰褪する最終種目

  

夏井先生のコメントのように、最後の運動会が終わったという感慨・物侘しさを詠んだ俳句に手直しするとすれば、たとえば、次のように修正すれば季語の取り合わせの違和感もなくなり、俳句の良し悪し・好き嫌いはともかくとして、読者は作者の気持ちに共感できるるのではないでしょうか?

    

秋の声リレー終りし石灰に

リレー果て褪せし石灰秋の声

全種目果てし石灰秋の声

        

ちなみに、村上健志(フルーツポンチ)さんの次の俳句に対する夏井先生の査定には納得できます。

 

リレーバトン空のケースにいぼむしり

 

フルポンさんは夏井先生の査定(一つ後退)を厳しすぎると思っているようですが、名人のレベルとしては甘受すべきでしょう。

夏井先生の次の添削句も納得でるでしょうね?

 

リレー練習バトンケースにいぼむしり

       

「秋声」は「秋の声」とも言い、文字通り「秋」の季語ですが、この季語から受ける印象は人それぞれでしょう。

 

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