冒頭の写真は日本伝統俳句協会の3月のカレンダーです。
掲句と石井柏亭のほのぼのとした絵の掛軸が「双福」で掲載されています。
先日ふと、この俳句は正岡子規と高浜虚子と河東碧梧桐の関係の比喩でないかという考えが浮かびました。「根」が正岡子規であり、「葉」は虚子と碧梧桐を差していると解釈したのです。
この解釈が正しいか否か確認するためにインターネット検索をすると同じような考えを述べている「俳句雑記帳」というタイトルの記事がありました。
高浜虚子は「俳句の作りよう」の「(三)じっと眺め入ること」において、次のように述べています。
(青色文字をクリックすると、「俳句の作りよう」の全文や解説記事などがご覧になれます。写真はクリックすると拡大されます。)
「芭蕉の弟子のうちでも許六という人は配合に重きを置いた人で、題に執着しないで、何でも配合物を見出してきて、それをその題にくっつける、という説を主張していることは前章に述べた通りでありますが、それと全然反対なのは去来であります。去来は配合などには重きを置かず、ある題の趣に深く深く考え入って、執着に執着を重ねて、その題の意味の中核を捕えてこねばやまぬという句作法を取ったようであります。
この後者の句作法の方をさらに二つに分けてみることができます。その一は目で見る方で、じっと眺め入ることであります。その二は、心で考える方で、じっと案じ入ることであります。」
さらに、「『じっと眺め入る』ということもやがては『じっと案じ入る』ということに落ちて行くのであります。」と述べて、掲句「一つ根に離れ浮く葉や春の水」を詠んだ経緯を詳細に説明しながら約2600字を使って句作における「写生」とは何かを縷々説明しています。
掲句を上記のように比喩と考えるのは穿ち過ぎかもしれませんが、「人間も大自然の一部の存在である」ととらえ花鳥諷詠を唱導した虚子は無意識のうちにそういう比喩をしていたかも知れません。
さらにうがった創作的解釈をすると、「一つ根」は芭蕉を意味し、「葉」は去来や許六を差していると解釈することもできます。
俳句をユネスコの世界無形文化遺産に登録する運動が松尾芭蕉や正岡子規ゆかりの自治体や国際俳句協会などの俳句愛好者によって進められています。
その草の根運動の一助になればとの思いで、チュヌの主人はブログを書き、読者のご意見・ご投稿をお待ちしています。
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