「イスラム国」と称するテロ集団による後藤さんたちの殺害に対し憤りを抑えきれない。
理不尽な誘拐や殺人に対する怒りを抑えることは出来ない。
だが、その仕返しをすることは際限のない憎しみと殺戮の繰り返しの応酬になる。
憎しみの応酬は善良な市民をテロの被害者にする危険性を増大する。
そればかりでなく、予期せぬ戦争を引き起こす恐れさえある。
テロに屈してはならない。
各国が協力してテロ対策に万全を期すことが必要であることは言うまでもない。
しかし、それは対症療法に過ぎない。
肝心なことは根本的なテロ対策・解決方法を講ずることである。
後藤さんたちテロの被害者の死を無にしないためにはどうすればよいだろうか?
言論の自由や表現の自由は権利として尊重されなければならない。
しかし、誰にしろ、他人の心を傷つける権利はない。
世界には似非宗教もあり、信じない者にとっては宗教は滑稽なこともあるが、信ずる者には崇高なものである。
他人の信じている宗教を風刺し、侮辱することが当然の権利とは思えない。
風刺画を書いたり風刺文を書いたりする者にとっては侮辱したつもりが無くても、風刺の対象にされたものは侮辱されたと思うことはあるであろう。
伝統のある宗教には善良な信者がいる。そういう善良な人々の心を傷つけることをすれば、過激派のみならず善良な人々の怒りもかうことになり、理不尽な過激派を勇気づける結果になるだろう。
日本では川柳や風刺画などで政治家を風刺をすることがある。
しかし、特定の宗教を風刺する川柳などは受け入れられないだろう。
芸術・文化の盛んなフランスには伝統的に風刺が尊重されている。
だが、特定の宗教を対象に風刺することは賢明な文化的行為だとは思えない。
そのような風刺を自粛することはテロに屈することではなく、人間としての良識の問題である。
国の如何を問わず、文化国家、文化人としての良識を発揮して貰いたいものである。
テロに関してやるべきことは「風刺」ではなく、「宗教とは何か」を真摯に考え、議論することだろう。
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