(2024.12.15 更新)
写真は、タップ拡大してご覧になれます。(NHK-TV 画面の一部分です。)
2024年のノーベル平和賞は、日本被団協に授与されました。
被団協は、連合軍による原爆投下から11年後の1956年に広島と長崎の被爆者などによって結成された日本原水爆被害者団体協議会の略称ですが、核兵器の非人道性を広めるための草の根運動が評価されたとのことです。(日本経済新聞参照)
ままならぬ功を焦らず原爆忌
(薫風士)
「核廃絶」と同様に人々の意識が変わらない限り実現不可能ですが、世界平和実現の基本的な課題は、世界の人々が「既存の宗教を超越し、21世紀の科学に基づいた普遍的な宗教心を持つこと」です。
「旧統一教会」・「世界平和家庭連合」と政治家の関係は宗教のマイナス面の卑近な例ですが、問題を矮小化せず、恒久的平和へ根本的解決をする地道な努力を世界に広げましょう。
(P.S. 2022.3.12)
ウクライナ紛争について、「已むに已まれぬ思い」を俳句に詠み、記事を書きました。
青色文字をクリック(タップ)して、「ウクライナ・ドナウへ流る春の川」や「春一番この発言はおぞましき」をご覧下さい。
(2019.8.14)
タイトルの俳句は広島平和記念式典をテレビで見ながら薫風士が広島忌と長崎忌を口ずさんだタイトル俳句です。
「869」は、広島の被爆(1945年8月6日午前8時15分)と長崎の被爆(8月9日午前11時2分)を意味します。
忘れまじ815の炎天を
815祈り繋がむ終戦日
上の2句は薫風士の川柳もどきの「標語俳句」です。
「815」は広島に原爆が投下された8時15分と終戦日の8月15日を意味します。今年の終戦日は猛暑と大型台風に見舞われそうですが、被害が少ないことを祈るばかりです。
その悲惨俳句に詠めず原爆忌
俳句は片言ですから、戦争や原爆の悲惨さは到底詠むことはできませんが、考えるきっかけにはなります。戦争の悲惨さを体験した世代の生存者は年々減少し、いずれ戦争を知らぬ世代ばかりになります。
語り継ぐ五才の記憶原爆忌
(末廣紀惠子)
原爆の阿修羅忘れず敗戦忌
(泉田秋硯)
原爆忌語り部たちの老い姿
(桂敦子)
戦争犠牲者のご冥福・核兵器廃絶・世界平和の祈りは永遠に続けなければならないと思います。
核兵器の廃絶は現実には出来ないにしても、世界の人々がこの祈りを続け、いずれの分野においても、世界の指導者が「寛容の精神」をもって世界の融和・核軍縮の努力をすれば、戦争の勃発や核兵器の使用を未然に防ぐことは可能でしょう。
米国はじめ世界の現状はこのような庶民の願いを十分に反映せず、逆行しているのは悲しいことです。
しかし、一人ひとりの小さな力でも、世界の人々があきらめずにコツコツと結集すれば、大国をも動かすことは出来るでしょう。
この思いを皆さんがシェアしてくれることを祈っています。
原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫あゆむ
(金子兜太)
(上記の俳句4句は歳時記(俳誌のSalon)から抜粋・掲載させて頂きました。)
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