(P.S. 2022.4.5 更新)
ウクライナ紛争について、プーチン大統領や世界の指導者が賢明な決断をしてくれることを切望して、「已むに已まれぬ思い」を俳句に詠み、書いた記事を読んで頂きたく、この P.S.を追加しました。
青色文字をクリック(タップ)して、「梅東風や届け世界にこの思ひ」や「血に染むなドニエプルてふ春の川」をご覧下さい。
(2017.4.30)
与謝蕪村の俳句「薫風やともしたてかねついつくしま」が面白いと云うと、「何が面白いのだ」と不思議に思われる読者が多いでしょう。
この俳句は少なくとも4とおりの解釈が可能であるとチュヌの主人(薫風士)は考えています。
インターネット歳時記の「薫風1」(2014年5月16日作成)の冒頭に「薫風やともしたてかねついくつしま」とあり、その意味が全くわかりませんでした。そこで、「蕪村が字余りの俳句を平仮名を多用して作ったのは何故か?」好奇心から色々調べてみましたが、この俳句の意味を解説した記事は見当たりませんでした。
正岡子規の「俳人蕪村」(青空文庫)には「薫風やともしたてかねつ厳島」とあり、「いくつしま」は「いつくしま」のミスタイプ(入力ミス)であり、「薫風やともしたてかねついつくしま」が正しいことに気づきましたが、この俳句の意味が直ぐにはわかりませんでした。ところが、翌朝ふと句意の解釈を思いつきました。
(解釈1)
「ともし」は「灯」であり、「かね」は「鐘」だろう、「薫風や灯し立て鐘つい突く島」である、と解釈できるのではないか?
すなわち、「灯しを立てると鐘も突きたくなる宮島」を詠んだものであるという解釈です。
インターネット検索で検索すると、「ホットライン教育ひろしま」というサイトに次の記事があり、この解釈が可能であることが裏付けられました。
「仏教では,その宗教的雰囲気を高めるための多くの鳴物が使用されるが,それら梵音具(ぼんおんぐ)と言われるものの中で最大の梵鐘に属するもので,天正15年(1587)に豊臣秀吉が,島津攻略の際に持ち返って,厳島神社に寄進したものと言われ,応永5年(1398)の銘がある。」
広辞苑(第6版)の「ともし②」に次の解説があります。
(「照射」と書く)猟人が夏・秋の夜、山中の木陰に篝をたき、または火串に松明をともして闇の中の鹿の眼が光に反射して輝くのを目当てに、これを射たこと。また、その火。(季:夏)
(解釈2)
広辞苑の上記解説を「ともし」に当てはめ、「薫風や照射立てかねつ厳島」と読み、「鹿を射ちかねている」ことを詠んだ俳句であると解釈することも可能でしょう。
(解釈3)
「薫風や灯し立てかねつ厳島」と読むと、「薫風で灯を立てかねている」句意であると解釈することも可能でしょう。
(解釈4)
「かねつ」に「加熱」を当てはめ、「薫風や灯し立て加熱厳島」と読み、「灯火が沢山立って熱くなっている」ことを詠んだものであると解釈することも可能でしょう。
俳句では「中七」を字余りにすることは拙いとされていますが、蕪村は意図的に「ひらがな」の「字余り」の俳句にして、「掛詞」の俳句にしたものであると思います。
上記の深読みのどの解釈が妥当か、ご意見やコメントなど、投稿して頂けると有難いです。
(P.S)
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