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トマトの俳句をご覧下さい‼️

8月19日は「俳句の日」とされています。
正岡子規の命日は9月19日ですから、8月19日からの1か月を「俳句月間」として俳句・教育関係者により俳句を通じて子供たちに日本文化の啓蒙活動をして頂いたら如何でしょうか?
俳句の教育はもう既に実践されているのでしょうが、コロナ禍の自粛生活で子供たちが無意味なwebゲームに夢中になっているのは親泣かせです。
俳句は、個性を発揮する芸術の一つであり、好き好きです。プレバトのような一方的な査定やランク付けはしないで教育すべきでしょう。
大人のための俳句の面白さの啓蒙の一助になれば幸いですが、
8月15日の終戦記念日の俳句を特集しましたので
俳句ブログ:終戦記念日 <「戦争と平和」特集>
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2021/08/post-452c.html
をご一読下さい。

(薫風士)

「芭蕉・子規・虚子の俳句、まんぽ写真・俳句などを楽しもう!(WEB特集)」
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2020/09/web-1bc9.html

をご一読下さい。

「俳句の面白さ・奥の深さ」が分かりますよ。

(薫風士)
 

・気の合いし句友と談義年忘れ

「俳句は楽しむもの・苦にするものではない」
初心者が「名句」でなく「迷句」を作っても
恥じることはありません。
「迷句でも楽しめば良い」と割り切って
5・7・5を口ずさみましょう。
その内に、まぐれでも「名句」が出来るのが、
俳句の面白さです。
若い世代に俳句の楽しさを知ってほしいとの思いから
このブログ「俳句HAIKU」を書いています。
ご笑覧下さい。

薫風士

新元号は初めて万葉集を出典にして「令和」と決定されました。
世界平和への思いを込めて「令和」の俳句をブログにしました。
「新元号祝ひ『花見』の俳句詠む」
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2019/04/post-e976.html
をご一読下さい。

4月8日は高浜虚子の忌日です。
虚子の俳句を100句英訳して、
・「高浜虚子の俳句をバイリンガルで楽しもう!」
・「Enjoy bilingual haiku of Kyoshi Takahama!」
というタイトルで国際俳句交流協会のホームページに掲載して頂いています。

http://www.haiku-hia.com/about_haiku/takahama_kyoshi/
をクリックしてご覧下さい。

虚子俳句の一端の面白さを知り、
英語学習のご参考になれば幸いです。

国際俳句交流協会俳句大会における
チュヌの主人の入選句(稲畑汀子選特選)
「亀鳴くや声なき声を聞けよとて」
に因んだエッセーをご一読下さい。
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2017/12/post-e4bd.html

上記の俳句(「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」)の「公民館だより」への掲載拒否問題について、
10月13日に「さいたま地裁」の判決が出ました。
NHK NEWS WEB 
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171013/k10011177091000.html
をご覧下さい。

日本経済新聞(WEB刊)に下記の興味ある記事があった。

俳人・金子兜太氏 「戦争の悪」と「人間の美」詠む(戦争と私)
戦後70年インタビュー

http://www.nikkei.com/article/DGXMZO89788200X20C15A7000000/
をご覧下さい。

埼玉新聞の2015年9月26日付の記事によると、
「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」
の俳句を「公民館だより」に掲載することを三橋公民館が拒否したことについて訴訟になっているとのことである。

 「さいたま市大宮区の三橋公民館が2014年6月、同公民館で活動する句会会員が作った俳句「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」の公民館だよりへの掲載を拒否したのは、表現の自由を保障した憲法21条などに違反するとして、市を相手取って作品の公民館だよりへの掲載と、慰謝料200万円余の支払いを求めた国家賠償請求訴訟の第1回口頭弁論が25日、さいたま地裁(野村高弘裁判長)であり、市側は争う姿勢を示した。」

上記は記事の冒頭部分の抜粋であるが、詳細は
http://www.saitama-np.co.jp/news/2015/09/26/08.html
をご覧下さい。

俳句談義(14)の記述に誤りがありました。お詫びして、下記の通り訂正します。
(原文:誤り)「高浜虚子は昭和20年に『いっせいに柱の燃ゆる都かな』という句を作り、…(中略)…前の句では、虚子は」
(訂正文)「三橋敏雄は昭和20年に『いっせいに柱の燃ゆる都かな』という句を作り、…(中略)…前の句では、三橋敏雄は」