「尾曲がり猫と擦り猫と」を読んで思うこと。

 

20222

本との出会い(1)で「あの海にもう一度逢いたい」を紹介したが、この著者は「尾曲がり猫と擦り猫と」(文学館)というささやかな本も書いている。

このエッセイ集には胸を打たれるものがある。特に「石ころ」には胸を打たれた。

  

戦争を知らない世代でこの「石ころ」が何を意味するか分かる方がいるだろうか? 

 

「石ころ」の話を親か誰かから聞いたことがあるだろうか?

 

先日NHKのテレビ番組で猫の可愛い仕草などの動画を報道していたが、このような番組を笑って楽しめる現在の平和な日本は多くの筆舌しがたい犠牲の結果得られたものであることを忘れてはならない。

  

島に原爆を投下した「エノラ・ゲイ」の機長ティべッツに閻魔様に会わせてもらったった夢(?)の話、「千の風に乗って――地獄からの年賀状――」も読んでほしい。   

   

小学2年生の時に「墨で部分的に消された教科書」で勉強した記憶がある世代の一人としては、この本を多くの方々に是非読んでほしいと思う。

 

戦前は天皇は「現人神」であり、紀元節など祭日の学校の式では「御名御璽」と言われるまで全員が教育勅語を頭を下げて聞いていなければならなかった。

  

「御名御璽」と聞いてようやくみんなが一斉に頭を上げて鼻水をすすった記憶がある。

  

学校の式典における国歌の斉唱や国旗掲揚の是非が問題になって久しいが、オリンピックのみならず学校などの行事でも平和国家の象徴として国歌や国旗が正々堂々として、自発的に用いられる日が来ることを切に望んでいる。

  

 平和憲法は戦勝国に押し付けられたものだから改定すべきだという考えがあるが、仮に押し付けられたという経緯があるにしても、それは数知れぬ戦争犠牲者がもたらしてくれたものであり、良いものは維持すべきである。

  

世界の平和を維持し、日本の自衛権を行使するための国際協調をするのに現憲法の条文に不明確な点があるということなら、「国際協調とは何か」「自衛権の行使とは何か」など、法令や運用基準で明確に定めるべきだろう。

  

一内閣がその時の都合で憲法解釈を如何様にでもできるということがあってはならない。それは独裁政治を許すことになるだろう。 

     

独裁政治・独裁体制をもたらすことになるか否か、政治家を選ぶ選挙民の責任も極めて重大である。

  

現行の選挙制度では浮動票の投票率が選挙結果に大きく影響する。

  

若者は政治的無関心でいると、自分たちの将来の幸せを失うことになるだろう。

           

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