本との出会い(1)で「あの海にもう一度逢いたい」を紹介したが、この著者は「尾曲がり猫と擦り猫と」(文学館)というささやかな本も書いている。このエッセイ集には胸を打たれるものがある。特に「石ころ」には胸を打たれた。
戦争を知らない世代でこの「石ころ」が何を意味するか分かる方がいるだろうか?
「石ころ」の話を親か誰かから聞いたことがあるだろうか?
先日NHKのテレビ番組で猫の可愛い仕草などの動画を報道していた。このような番組を笑って楽しめる現在の平和な日本は多くの筆舌しがたい犠牲の結果得られたものであることを忘れてはならない。
広島に原爆を投下した「エノラ・ゲイ」の機長ティべッツに閻魔様に会わせてもらったった夢(?)の話、「千の風に乗って――地獄からの年賀状――」も読んでほしい。
小学2年生の時に「墨で部分的に消された教科書」で勉強した記憶がある世代の一人としてはこの本を多くの方々に是非読んでほしいと思う。
安倍さんは「アベノミクスの是非を国民に問う」ということで衆議院を解散した。第Ⅰ次安倍内閣では政権を放り出したが、臥薪嘗胆した安倍さんは第2次安倍内閣ではよく頑張っている。民主党は政権交代の千載一遇のチャンスを十分活用できず自滅した。野党は、「今度の選挙は大義名分が無い」などと言っていないで、しっかりした政策を掲げて国民の信を問うべきだろう。ネガティブキャンペーンをしている政党を支持する気にならない。
解散が宣言された議会のニュースで「御名御璽」という言葉があった。この言葉が現在の憲法の下でも使われていることを迂闊にも知らなかったので驚いた。しかし、天皇は「日本国と日本国民統合の象徴」であるから当然のことだろう。
戦前は天皇は「現人神」であり、紀元節など祭日の学校の式では「御名御璽」と言われるまで全員が教育勅語を頭を下げて聞いていなければならなかった。「御名御璽」と聞いてようやくみんなが一斉に頭を上げて鼻水をすすった記憶がある。
学校の式典における国歌の斉唱や国旗掲揚の是非が問題になって久しい。オリンピックのみならず学校などの行事でも平和国家の象徴として国歌や国旗が正々堂々として自発的に用いられる日が来ることを切に望んでいる。
「日章旗」が軍国主義の象徴ではなく、平和のシンボルとして世界の人々に受け入れられるようにするのは政治家の責任であり、与党の責任は重大である。
野党は「今度の解散は大義名分が無い」などと与党の批判をするばかりでなく、「国家の安寧のため、世界の平和のために自分たちはこうする」という具体的な政権公約を明確にすべきだろう。単に「改憲は改悪だ。改悪を阻止する」というだけでは駄目である。
平和憲法は戦勝国に押し付けられたものだから改定すべきだという考えがある。仮に押し付けられたという経緯があるにしても、それは数知れぬ戦争犠牲者がもたらしてくれたものであり、良いものは維持すべきである。世界の平和を維持し、日本の自衛権を行使するための国際協調をするのに現憲法の条文に不明確な点があるということなら、「国際協調とは何か」「自衛権の行使とは何か」など、法令や運用基準で明確に定めるべきだろう。
一内閣がその時の都合で憲法解釈を如何様にでもできるということがあってはならない。それは独裁政治を許すことになるだろう。
今度の選挙は単なるアベノミクスの是非の問題ではない。戦後70年の節目になる重要な選挙であり、日本の将来を左右するだろう。
独裁政治・独裁体制をもたらすことになるか否か、政治家を選ぶ選挙民の責任も極めて重大である。
現行の選挙制度では浮動票の投票率が選挙結果に大きく影響する。
特に、若い世代は選挙に棄権しないようにしてほしい。
若者は政治的無関心でいると自分たちの将来の幸せを失うことになるだろう。
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