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2017年3月

2017年3月22日 (水)

俳句の創作的解釈<高浜虚子の俳句「一つ根に離れ浮く葉や春の水」>

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冒頭の写真は日本伝統俳句協会の3月のカレンダーです。掲句と石井柏亭のほのぼのとした絵の掛軸が「双福」で掲載されています。

チュヌの主人はこのカレンダーを毎日眺めながら何となく俳句のことを考えています。先日ふと、この俳句は正岡子規高浜虚子河東碧梧桐の関係の比喩でないかという考えが浮かびました。すなわち、「根」が正岡子規であり、「葉」は虚子と碧梧桐を差していると解釈したのです。この解釈が正しいか否か確認するためにインターネット検索をすると同じような考えを述べている「俳句雑記帳」というタイトルの記事がありました。 

高浜虚子は「俳句の作りよう」の「(三)じっと眺め入ること」において、次のように述べています。

(青色文字をクリックすると、「俳句の作りよう」の全文や解説記事などがご覧になれます。写真はクリックすると拡大されます。)

「芭蕉の弟子のうちでも許六(きょりく)という人は配合に重きを置いた人で、題に執着しないで、何でも配合物を見出してきて、それをその題にくっつける、という説を主張していることは前章に述べた通りでありますが、それと全然反対なのは去来(きょらい)であります。去来は配合などには重きを置かず、ある題の趣に深く深く考え入って、執着に執着を重ねて、その題の意味の中核を捕えてこねばやまぬという句作法を取ったようであります。
 この後者の句作法の方をさらに二つに分けてみることができます。
その一は目で見る方で、じっと眺め入ることであります。その二は、心で考える方で、じっと案じ入ることであります。」

さらに、「『じっと眺め入る』ということもやがては『じっと案じ入る』ということに落ちて行くのであります。」と述べて、掲句「一つ根に離れ浮く葉や春の水」を詠んだ経緯を詳細に説明しながら約2600字を使って句作における「写生」とは何かを縷々説明しています。

したがって、掲句を上記のように比喩と考えるのは穿ち過ぎかもしれませんが、「人間も大自然の一部の存在である」ととらえ花鳥諷詠を唱導した虚子は無意識のうちにそういう比喩をしていたかも知れません。さらにうがった創作的解釈をすると、「一つ根」は芭蕉を意味し、「葉」は去来許六を差していると解釈することもできます。

   

俳句をユネスコ世界無形文化遺産に登録する運動が松尾芭蕉正岡子規ゆかりの自治体や国際俳句交流協会などの俳句愛好者によって進められていますその草の根運動の一助になればとの思いで、チュヌの主人はブログを書き、読者のご意見・ご投稿をお待ちしています。

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2017年3月 1日 (水)

バイリンガル俳句・HAIKUを楽しむ <高浜虚子の俳句「春の山」>

         

春の山屍をうめて空しかり (1959)

掲句は高浜虚子の辞世句といえる俳句です。(「俳句談義(1)虚子辞世句の解釈」参照。)

  
One Hundred and One Exceptional Haiku Poems by KyoshiTakahama

虚子秀句・百一選英訳Kyoshi shuuku hyakuissen eiyakuに「Haru no yama kabane o umete munashi-kariとして、Katsuya Hiromoto氏の次の英訳があります。

Spring mountain
With the corpse buried —
How insignificant and small

   

上記の英訳は「屍」を「the corpse」と翻訳しています。これは、掲句が鎌倉の源頼朝の墓を詠んだものと解釈して翻訳したものでしょうか?

次のように英訳すると、原句の句意に近い翻訳になるのではないでしょうか?

the spring mountain

stands vain

with corpses buried

翻訳者のご意見を伺いたいものですが、チュヌの主人は掲句を「Haru no yama kabane o umete kuushikari」と読んで、下五の「空しかり」を「むなしかり」ではなく「空然り」と解釈しています。

穿ち過ぎかもしれませんが、「春の山」は単に「源頼朝」の「墓」だけでなく、自分自身を含めて様々な人々が埋められる亀谷山(きこくさん)寿福寺の墓を指して高浜虚子が辞世の俳句として詠んだものとして、次のように英訳してみます。

the spring mountain
with corpse
s buried —

all are vanity

      

ちなみに、高浜虚子が掲句を詠んだ背景について、「鎌倉婦人子供会館」のHPにある解説を下記のとおり抜粋します。

虚子は、多くの死者が眠る鎌倉の山並みを窓より見渡し、頼朝を弔う詩幅を前に、次の二句を残しました。
  英霊を 弔ふ詩幅 桜生け
  春の山 屍をうめて 空しかり

(http://www.kfujin-kodomo.org/20150126.html参照。)

(「俳句談義(2):虚子辞世句の新解釈について」参照。)

  

俳句の鑑賞・面白い季語「山笑ふ」

    

「山笑う」について飯田龍太はカラー図説日本大歳時記(講談社版)において次の通り解説しています。

「出典は中国宋代のころの禅宗の画家郭煕『春山淡冶(たんや)にして笑ふが如く』にあるという。『冬山惨淡として眠るが如し』に対比される形容で、絶妙の(たとえ)である。褐色の(うぶ)()(おお)われたような早春の山々の木々が、次第に潤みを帯び、春の日に照らされて山そのものが笑みを浮かべているようだという。峻険な山にこの感じはないが、1000メートル程度までの低い山姿はまさしくこんな印象。それを素早く季題とした俳人の感度もなかなかのものと讃えたい。」

インターネット歳時記には「山笑う」の俳句は800句余りあります。次にランダムに抜粋させて頂きます。

青色文字の季語「山笑ふ」をクリックするとそのページの俳句の詳細がご覧になれます。  

山笑ふ1)

故郷やどちらを見ても山笑ふ  (正岡子規

落伍せしゴルフレッスン山笑ふ (山田弘子

山笑ふ2)

余生とは歩くことらし山笑ふ  (清水甚吉)

母と妻口論佳境山笑ふ (保田英太郎)

山笑ふ3

名刹はべからずづくめ山笑ふ  (江国滋酔郎

山笑ふ共に忘るる齢となり (高倉恵美子)

山笑ふ4

山笑ふ胎動ときにへその裏  (仙田洋子

山笑ふ仏の顔の湯治客 (小林朱夏)

山笑ふ5

山笑ふその先高き甲斐の富士 (小俣剛哉)

山笑ふ裸のつきあひ露天風呂 (藤野寿子)

山笑ふ6

磨崖仏胎に蔵して山笑ふ (上谷昌憲)

噛み合はぬ夫婦の会話山笑ふ (水原春郎)

山笑ふ7

古希すぎて描く未来図山笑ふ (岡真紗子)

リハビリの発声練習山笑ふ (加藤千春)

      

「山笑う」という面白い季語のせいか、インターネット歳時記でも川柳まがいの俳句がありますが、チュヌの主人も「山笑ふ」の俳句を詠んでみました。

・微睡て富士を見落とし山笑ふ

・山笑ふ車窓の彼方富士の嶺

 上京する際の新幹線ではいつも富士山の雄姿を見るのを楽しみにしていますが、ついうとうとして見落とすことがあります。

・快音のボールOB山笑ふ

 スコアを気にせず専ら健康管理のためのゴルフを楽しんでいます。

・眠りから覚めたる山の笑ひをり

丹波路や山穏やかな笑ひ顔

 故郷へ車を駆る度に丹波路の四季折々の穏やかな山並みに心が和みます。

・なじり合ひまたかばひ合ひ山笑ふ

・山笑ふ旅の不安や忘れもの

 最近は何かにつけてよく物忘れをするようになり夫婦二人で一人前のスローライフです。

     

先輩の川柳 (2017.3.1)

このところ俳句の記事ばかりが続いていますので、久しぶりに前川淳氏の川柳を掲載させて頂きます。最近の世界情勢や世相を考えると、これらの川柳には何か皆さんの思いに通ずるものがあるのではないでしょうか。

① 雷鳴に呼び覚まされた能天気

② 鉄人の涙もろさを垣間見た

③ 世界地図どこを開けてもきな臭い

④ もう二度と降らせてならぬ黒い雨

⑤ 温もりを育み合った木の校舎

⑥ 国言葉一色になる同期会

⑦ 春めいて悲しい色が遠ざかる

次回は面白い季語「山笑う」の俳句をとりあげます。 

・眠りから覚めたる山の笑ひをり (さとし)

・丹波路や山穏やかに笑ひをり (さとし)