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2017年4月

2017年4月30日 (日)

俳句鑑賞 <蕪村の俳句「薫風や」は面白い>

         

与謝蕪村の俳句「薫風やともしたてかねついつくしま」が面白いと云うと、「何が面白いのだ」と不思議に思われる読者が多いでしょう。

この俳句は少なくとも4とおりの解釈が可能であるとチュヌの主人(薫風士)は考えています。 

インターネット歳時記の「薫風1」(2014516日作成)の冒頭に「薫風やともしたてかねついくつしま」とあり、その意味が全くわかりませんでした。そこで、「蕪村が字余りの俳句を平仮名を多用して作ったのは何故か?」好奇心から色々調べてみましたが、この俳句の意味を解説した記事は見当たりませんでした。

正岡子規の「俳人蕪村」(青空文庫)には「薫風やともしたてかねつ(いつく)(しま)」とあり、「いくつしま」は「いつくしま」のミスタイプ(入力ミス)であり、「薫風やともしたてかねついつくしま」が正しいことに気づきましたが、この俳句の意味が直ぐにはわかりませんでした。ところが、翌朝ふと句意の解釈を思いつきました。

(解釈1)「ともし」は「灯」であり、「かね」は「鐘」だろう、「薫風や灯し立て鐘つい突く島」である、と解釈できるのではないか? 

すなわち、「灯しを立てると鐘も突きたくなる宮島」を詠んだものであるという解釈です。

インターネット検索で検索すると、ホットライン教育ひろしま」というサイトに次の記事があり、この解釈が可能であることが裏付けられました。

仏教では,その宗教的雰囲気を高めるための多くの鳴物が使用されるが,それら梵音具(ぼんおんぐ)と言われるものの中で最大の梵鐘に属するもので,天正15年(1587)に豊臣秀吉が,島津攻略の際に持ち返って,厳島神社に寄進したものと言われ,応永5年(1398)の銘がある。     

広辞苑(第6版)の「ともし②」に次の解説があります。

(「照射」と書く)猟人が夏・秋の夜、山中の木陰に篝をたき、または()(ぐし)松明(たいまつ)をともして闇の中の鹿の眼が光に反射して輝くのを目当てに、これを射たこと。また、その火。(季:夏)

(解釈2)広辞苑の上記解説を「ともし」に当てはめ、「薫風や照射(ともし)立てかねつ(いつく)(しま)と読み、「鹿を射ちかねている」ことを詠んだ俳句であると解釈することも可能でしょう。

(解釈3)「薫風や灯し立てかねつ厳島」と読むと、「薫風で灯を立てかねている」句意であると解釈することも可能でしょう。

(解釈4)「かねつ」に「加熱」を当てはめ、「薫風や灯し立て加熱(かねつ)厳島」と読み、「灯火が沢山立って熱くなっている」ことを詠んだものであると解釈することも可能でしょう。

俳句では「中七」を字余りにすることは拙いとされていますが、蕪村は意図的に「ひらがな」の「字余り」の俳句にして、「掛詞」の俳句にしたものであると思います。  

どの解釈が妥当かご意見やコメントなど、投稿して頂けると有難いです。

  

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2017年4月27日 (木)

高浜虚子と夏目漱石の「すみれ」の俳句で思うこと

  

高浜虚子は「怒濤岩を噛む我を神かと朧の夜」「その中にちいさき神や壺すみれ」という俳句を明治29年(1896年)に作っています。

その翌年に夏目漱石は「菫程な小さき人に生れたし」を作っています。

これらの俳句を翻訳する参考に当時の時代背景など調べようとインターネットで検索していると、明治29年(1896年)6月15日には「明治三陸大津波」が起こった記事がありました。

ウイキペディアの解説によると、

明治三陸地震は、震度が小さいにもかかわらず巨大な津波が発生し2万人を超す犠牲者が出た。これは、この地震が巨大な力(マグニチュード8.2- 8.5)を持ちながら、ゆっくりと動く地震であったためである[19

とあります。

東日本大震災は「明治三陸地震」の115年後に起こったことになりますが、発生から6年後の今も復興半ばで被災者や関係者のご苦労が続いています。

   

たまたまテレビニュースで、今村復興大臣の失言に伴う辞任問題を放映していました。失言のポイントは次のとおりです。

「(社会的資本の毀損も)25兆円という数字もあります。これは、まだ東北で、あっちの方だったからよかった。これがもっと首都圏に近かったりすると、莫大(ばくだい)な、甚大な額になったと思う」。

    

そこで、1923年(大正12年)の「関東地震についてウイキペディアを見ました。

素人が単純に考えるのは問題でしょうが、関東地方にも三陸地震と同じような周期に起ると仮定すると、2038年には関東大震災が再発することになります。

当時に比べると耐震構造などの地震災害対策技術が格段に進歩しているにしても、首都圏の人口やインフラの超過密状態を考えると、空恐ろしい気がします。

「東京一極集中を止めるべきだ」と叫ばれてから久しいが、実際には2020年の東京オリンピック開催など、さらに東京一極集中が進んでいます。    

防災技術の進歩だけでは大災害を防ぎきれない自然の脅威を謙虚に受け止め、効率優先の東京一極集中の政策推進は根本的に変えるが必要があるでしょう。

原子力発電の安全神話が崩壊し、「原発による安い電力の確保」も額面通りに受け取れなくなっています。

「東京一極集中の効率」も無災害状態の効率であって、一旦大災害が生じるとその効率は吹っ飛んでしまうのではないかと、老爺心ながら憂いを深めています。

   

一方、北朝鮮問題についても様々な報道がなされていますが、北朝鮮のミサイルが不正確でも原発周辺に落下するとどうなるのでしょうか?

かって日本が経済制裁を乗り切るために真珠湾攻撃をして太平洋戦争に突入したように、北朝鮮も「窮鼠猫を噛む」行動をするかも知れません。

日本の指導者が戦争末期には「一億玉砕」と戦意を煽ったと同じように、北朝鮮の独裁的指導者が「死なばもろとも」と狂気的政策を推進すればどうなるでしょうか?

国際問題の危機対策は、敵対心を煽る強気一辺倒の発言ではなく、「北風と太陽」の寓話にあるように、北朝鮮の人々への人道的配慮をして、平和的解決の対話外交の推進をする方が良策ではないか、と愚考しています。拉致問題も強硬手段では解決しないでしょう。

自然災害の対策や自衛処置・対策を講ずることは当然のことですが、政治家の皆さんには「我が身にも神坐すべし壺菫」という思いをもって、与党・野党の政略的対立ではなく、真に国民のためになる政策を協議してもらいたいものです。

  

2017年4月23日 (日)

深田公園でモモちゃんとププちゃんに会ったよ

   

チュヌは新緑のシュライン通りから深田公園を散歩しました。

可愛いモモちゃんとププちゃんに会い一緒に写真を撮ってもらいました。

三田屋本店の裏あたりは八重桜が綺麗でしたよ。

写真をクリック・拡大してご覧下さい。

ここをクリックする「深田公園」の写真集(グーグル検索結果)がご覧になれます。

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2017年4月13日 (木)

バイリンガル俳句鑑賞 <花疲れ眠れる人に凭り眠る(高浜虚子)>

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4月8日は高浜虚子の命日「椿(ちん)寿忌(じゅき)」です。

日本気象協会の「桜開花情報」によると北海道東北地方北陸地方以外の都府県では満開です。

桜・花の俳句と写真を集めました(ここをクリックしてご覧下さい)。

(青色文字をクリックすると関連の記事がご覧になれます。)

ご覧の写真のようにチュヌの散歩道の桜も満開になりました。

この週末は雨模様でしたが、花見でお疲れの方も居られるでしょう。   

そこで、高浜虚子の掲句「花疲れ眠れる人に()り眠る」の英訳にチャレンジしてみます。

俳句の英訳をするにはその作者が句を詠んだ背景を考え、原句の句意を訳出する必要があります。俳句はその解釈を読者の想像にゆだねる特徴があります。日本語の情緒的な表現・ニュアンスを英語HAIKKUに訳出することは至難です。英語は論理的な構文が特徴ですから、俳句で省略される主語など、英語では省略することが出来ません。したがって、原句が詠まれた情景を考えて、省略された主語を補って英語のHAIKUにしなければなりません。

掲句の場合は少なくとも次の三通りの情景が考えられます

(A)  眠っている人に虚子がつい寄り掛かってうとうとした。

(B)  うとうと眠っている虚子に隣の人が寄り掛かってうとうとした。

(C) 互いに寄りかかってうとうとしている二人連れを虚子が見た。

虚子に寄り掛かったのはうら若い女性か、むさくるしい男か?

二人連れは若者か、老夫婦か、恋人同士か?

様々な情景が思い浮かびます。俳句鑑賞の楽しさ、面白さです。

     

俳句は「省略の文学」といわれますが、花疲れ眠れる人に()り眠る」も主語が省略されています。英語では主語の省略はできませんので、先ず(A)の俳句であると解釈して原句に近い英語Haikuに翻訳します。

hanazukare_

I dozed,

leaning against a person dozing

      

weblio英和和英辞典」によると、「花疲れ」は「tiredness after cherry blossom watching」と英訳されています。

この英訳を用いると説明的な散文になり、Haikuの面白さが損なわれますが、構文などを工夫して次のように英語Haikuにしてみます。

I dozed,

leaning against a person dozing_

fatigue from cherry-blossom viewing

  

HAIKUらしく簡潔に翻訳するには、季語「花疲れ」は「寿司」(sushi)や「すき焼き」(sukiyaki)などと同じく、季語は日本固有・俳句特有のものとしてそのままローマ字の「hanazukare」にせざるを得ませんね。

ちなみに、原句が「眠る」と現在形の表現ですから、上記の英訳の「dozed」を「doze」と現在形にすると、「花疲れをすると、・・・眠る」と習慣的行為を句に詠んだことになります。

     

ご参考までに、上記(B)(C)の解釈に準じ試訳してみます。

(B)

hanazukare_

I dozed,

someone dozed leaning against me.

     

(C)

hanazukare_

a man dozed,

a woman dozed leaning against him.

    

英語は同じ言葉の反復をきらいますが、上記の翻訳では原句の面白さを反映するために敢えて同じ単語を繰り返しています。なお、personやman、womanなどは実態に合わせて適切な名詞を入れ替えて俳諧味を出すとよいでしょう。

     

原句の句意と異なるかも知れませんが、花見時によく見かける車内の光景として次のように英語HAIKUを作ってみます。

hanazukare_

couples of people doze in a train,

leaning agaist each other

      

この「花疲れ」の俳句の最後は「眠る」と現在形ですから、花見の疲れという現象の一面の真理を詠んだものと解釈して次のように翻訳して見ます。

hanazukare_

people tend to doze

leaning against one another

       

興味のある方は「バイリンガル俳句・HAIKUを楽しむ <高浜虚子の俳句「春の山」>」もご覧下さい。

     

俳句をユネスコ世界無形文化遺産に登録する運動が

国際俳句交流協会などの俳句愛好者によって進められています。

チュヌの主人は言語の壁を破るチャレンジをして、

日英バイリンガル俳句を楽しみながら、

草の根運動の一助になればとの思いで、

俳句やエッセイなどのブログを書いています。

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2017年4月 8日 (土)

俳句の英訳 <波音の由比ヶ浜より初電車(高浜虚子)>

48日は高浜虚子の命日「椿(ちん)寿忌(じゅき)」です。

そこで虚子所縁(ゆかり)の由比ヶ浜の俳句

波音の由比ヶ浜より初電車」

の英訳にチャレンジしました。

  

(英訳A)

虚子が「由比ヶ浜」から初電車を見て詠んものとする翻訳です。

the first train of New Year,

seen from Yuigahama,

waves of the beach sounding

  

(英訳B)

虚子が「由比ヶ浜」の駅から初乗したものとした翻訳です。

the first train I took New Year

left from Yuigahama,

the beach waves sounded

   

虚子が俳句を詠んだ背景はA・Bのいずれでしょうか?

実体をご存知の方が居られるなら、教えて頂けると幸甚です。