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2016年12月

2016年12月31日 (土)

「初詣」の俳句

      

今日は大晦日です。英国のEU離脱決定やトランプ次期米国大統領の選出など、今年は「まさかと思ったこと・思いがけないこと」が次々に起こりました。除夜の鐘を聞きながら今年の出来事を振り返り、新年への期待と不安を感じつつ、初詣に出かける方も多いと思います。

そこで、「チュヌの便り」の今年最後のブログは「初詣」の俳句をとりあげました。

・多事多難さるとり騒ぐ初詣

・ままならぬことと知りつつ初詣

・砂利音に心を清め初詣

初詣くちげんかして清々と

初詣じじいに笑みし幼孫

上記はチュヌの主人(さとし)の初詣の即興句です。冒頭に拙句を掲載したのは、「俳句は誰でも気軽に楽しめるものだ」ということを多くの人々に知って貰い、俳句人口を増やし、「俳句」の世界文化遺産登録への草の根運動のささやかな一助にしたいというチュヌの主人の切なる思いからです。「俳句を楽しもう!」をご覧下さい。

(青色文字(「初詣」など)をクリックするとウイキペディアの解説やインターネット歳時記「初詣」の例句の詳細をご覧になれます。「初詣」の俳句は全部で650句ほど掲載されています。) 

初詣1」

・玉砂利のやすみなき音初詣 (保坂加津夫)

初詣2

・身長を比べ合うてる初詣 (竹内紫翠)

初詣3

・株高値賽銭弾む初詣  (黒沢宮雄)

初詣4

・三世代七人揃ひ初詣 (大橋晄)

初詣5

・夫逝きてたったひとりの初詣 (辻香秀)

初詣6

・初詣出雲の国割子蕎麦 (津田富司)

     

2016年12月26日 (月)

俳句の鑑賞 <「年忘れ」・「忘年会」の俳句>

              

年忘(としわすれ)は「忘年会」を意味する言葉です。「カラー図説日本大歳時記」によると、「年忘れ」は室町時代から使われているようです

日本大歳時記には芭蕉の俳句「人に家を買はせて我は年忘れ」が冒頭にあり、一茶の俳句「独り身や上野歩行(あるい)とし忘れ」など多数の例句が記載されています。一茶の俳句で「とし」と「ひらがな」を用いたのは、「年」と「歳」の二つのニュアンスを出すためでしょうか。芭蕉の俳句やがて死ぬけしきは見えず蝉の声」の「けしき」と同じような表現手法でしょう。(蝉の俳句を鑑賞しよう」参照。)

「年忘れ」の俳句をインターネットで検索すると、富安風生の面白い俳句があります。

・老いはいや死ぬこともいや年忘れ

この俳句は風生70歳の時に作った句です。「年忘れ」と漢字ですが、「自分が何歳か歳を忘れたい」というニュアンスも含ませた俳句でしょう。

風生は1979年(昭和54年)222日に93歳で亡くなっています。222日は高浜虚子の生誕の日です。風生は虚子に師事していました。虚子は「風生と死の話して涼しさよ」という俳句を作っています。運命の赤い糸」で結ばれているという言葉がありますが、虚子と風生の間に何か不思議な縁を感じます。

575筆まか勢」を見ると、「年忘れ」「忘年会」の俳句が無数にありますが、目についた例句をランダムに下記します。

・せつかれて年忘れする機嫌かな (松尾芭蕉)

年忘橙剥いて酒酌まん (正岡子規)

年忘れ老は淋しく笑まひをり (高浜虚子)

年忘れ最も老を忘れけり (富安風生)

・どろどろに酔うてしまひぬ年忘 日野草城

・とんとんと上る階段年忘れ 星野立子

・にぎやかに河豚食うて年忘れけり 森澄雄

・客あれば客あるで又年忘れ (高濱年尾

深大寺蕎麦にあづかる年忘 上田五千石

・義埋もまた楽しみもまた年忘 稲畑汀子)」

・厨にも味見の客や年忘 坊城中子    

ところで、俳句鑑賞・その八 高浜虚子」には「年忘れ老は淋しく笑まひけり」とあります。「笑まふ」は「にこにこ笑う」という意味です。「をり」は現在微笑んでいる状態を詠んだものであり、「けり」は過去のことを思いだして詠んだことになります。日本大歳時記には「をり」になっています。「けり」は誤記でしょうか? それとも、原句と推敲句があるのでしょうか?

文学者掃苔録」というサイトには風生の次の俳句などが掲載されています。「(そう)(たい)」とは広辞苑によると、「墓参り、特に盂蘭盆の墓参」のことで秋の季語です。

・死を怖れざりしはむかし老の春

・わが老をわがいとほしむ菊の前

・老木の芽をいそげるをあはれみぬ

   

花鳥」主催の坊城俊樹さんの「年忘れ・忘年会」の俳句がないか、インターネット検索をしていると、虚子の存問の俳句について「虚子への俳話 69」という俊樹さんのエッセイがありました。忘年会や新年会などの話題になると、チュヌの主人は句友の栄治さんが作った俳句「先輩はいつも先輩花見酒」を思いだします。「席順に気苦労したる忘年会」「相棒は愛犬チュヌよ年忘れ」「セクハラパワハラ憂ひ年忘れ」「句に興じブログに興じ煤籠り」などと浮かぶ駄句を口遊みながら、これも「存問の俳句ですよ」とささやかなブログを書いています。

余談ですが、「適量に注文し、乾杯後30分間とお開き前10分間は料理を楽しみ、食べ残しを減らす」という趣旨の「3010運動」が5年前に長野県松本市で始まり、全国各地に広まっているようです。

   

2016年12月17日 (土)

夏目漱石と高浜虚子 <漱石忌に思うこと>

   

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129日は漱石忌です。

今年は夏目漱石没後100年にあたり、夏目漱石の生前の姿を再現したアンドロイドがNHKテレビなどで放映されました。

NHK NEWS WEB夏目漱石の生前の姿を再現アンドロイドが完成」参照。詳細は二松学舎大学のHP参照。広辞苑によると、アンドロイドとはSFに登場する、人間そっくりのロボット」です。)

(青色の文字をクリックすると解説記事などをご覧になれます。)

夏目漱石の本名は夏目金之助です。「今年の漢字」に選ばれたのは「金」ですね。面白い偶然の一致です。   

かねてから高浜虚子と夏目漱石の関係についてブログを書こうと思っていましたが、このアンドロイドに触発されて「文豪のアンドロイドや漱石忌」「漱石忌アンドロイドの語り口」などと即興の俳句を口遊みながら実行しました。   

夏目漱石と言えばすぐ「坊ちゃん」や「吾輩は猫である」が浮かびますが、「吾輩は猫である」は「ホトトギス」に掲載されて一躍有名になった文壇における漱石の処女作と言えます。

高浜虚子が正岡子規から引き継いだ後に「吾輩は猫である」が「ホトトギス」に掲載され、それによって漱石が一躍人気作家になり、ホトトギスの購読者も増えて虚子の「ホトトギス王国」が築かれたようです。この当時の事情はNHKの土曜ドラマ「夏目漱石の妻」である程度分かりましたが、高浜虚子の「漱石氏と私」を読み更によく分かりました。インターネットで検索すると夏目漱石や高浜虚子の生きざまや著書について様々な評価・感想があります。

夏目漱石が最晩年によく口にした「則天去私」の概念と、虚子の辞世句ともいうべき俳句「春の山屍を埋めて空しかり」の「色即是空」の概念と、両者には何か共通性がある、とチュヌの主人は感じています。

広辞苑によると、「則天去私」とは「小さな私を去って自然にゆだねて生きること」と解説されています。「自然にゆだねて生きること」とは、『私』すなわち人間そのものを『大自然の一部』と見做し、『大自然の摂理』にゆだねながら人それぞれの立場で可能な自助努力をするのがよい、ということだと解釈しています。

「俳句談義(1):虚子辞世句の解釈」や究極のLOVEを実践しよう!」をご参照下さい。)

ところで、冒頭の写真は「虚子十態」(日本伝統俳句協会のカレンダー201612月に掲載されている小川千甕の戯画・「ホトトギス」大正元年9月号に掲載されたもの)ですが、それを見て、「極月の暦におかし虚子十態」と駄句を口にしながら、来年こそは高浜虚子の俳句の英訳にチャレンジしようと決意を新たにしました。幸いなことに、「高浜虚子五百句」や「高浜虚子五百五十句高浜虚子六百句」も青空文庫になっているので英訳に適した俳句も検索しやすくなりました。