Basho’s Haiku in English (6/300)
岩躑躅染る泪やほととぎ朱
(iwatsutsuji somuru namidaya hototogisu)
(A) Translation by John White & Kemmyo Taira Sato
rock azaleas
so it seems, have been dyed red
by the cuckoos’ tears
(B) Translation by L.P. Lovee
the rock azalea
seems to be dyed with
tears of a cuckoo
(C) Translation by L.P. Lovee
tears of a cuckoo_
would be dyed with
the rock azaleas
「ほととぎす」には「杜鵑」「時鳥」「子規」など色々の当て字があります。 一般的に「ほととぎす」の詩歌は「鳴き声」に焦点を当てますが、芭蕉は「ほととぎ朱」と書き、色に焦点を当て新鮮味を出したものでしょう。
「血の涙」という言葉もありますが、評伝・正岡子規(柴田宵曲著)によると、正岡子規は俳号「子規」の元になった五言絶句で「杜鵑が血を吐いて鳴く」という趣旨のことを詠んでいます。
芭蕉はこの「ほととぎ朱」の俳句を詠んだ時に、「客観写生」と「主観的表現」を意識していたのでしょうか?
実態的解釈はともかくとして、原句は(B)と(C) のように、主客転倒の二通り解釈が可能です。
高浜虚子は、「俳句への道」(青空文庫)において、
「客観写生ということに努めて居ると、その客観描写を透して主観が浸透して出て来る。作者の主観は隠そうとしても隠すことが出来ないのであって客観写生の技倆が進むにつれて主観が頭を擡げて来る。」
「俳句は客観写生に始まり、中頃は主観との交錯が色々あって、それからまた終いには客観描写に戻るという順序を履むのである。」
「感懐はどこまでも深く、どこまでも複雑であってよいのだが、それを現す事実はなるべく単純な、平明なものがよい。これが客観描写の極意である。」と述べています。
「俳句への道」を読み返して、 俳句の奥の深さ、楽しさを再認識しました。
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