俳句と川柳はどちらも諧謔・滑稽味のある俳諧連歌から発展した文芸であり、俳句は「発句」から発展し、川柳は「付句」から発展しました。
「にもかかわらず、ユネスコ無形文化世界遺産登録への運動が俳句界のみなのは何故か?」
その理由について最近ふと思い当たりました。
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俳句の面白さは人事を含む花鳥諷詠にあり、
諧謔・滑稽は川柳における風刺ほど強いものではありません。
川柳では人間の様々なありようを風刺して、
その面白さを強く表現します。
弱い立場のものが強い立場のものを風刺しすれば、
「憂さ晴らし」になります。
その逆をすると、
「風刺」は「いじめ」になります。
度の過ぎた風刺は風刺された者の不興を買い、
予期せぬ争いの原因にもなるでしょう。
最近は「詩性川柳」という呼称の川柳もあるようですが、
「川柳」という呼称に何故固執するのでしょうか?
「伝統俳句」が「季語」を重要な要素としているからでしょうか?
現代俳句には無季の句もあります。
「季語」にあまり拘る必要は無いでしょう。
日本は幸い四季のある自然と平和に恵まれていますが、
地域によって季節の変動の仕方が異なり、災害もあります。
世界には、四季が無く過酷な自然と戦争に苦しんでいる国もあります。
俳句界のみが世界遺産登録の運動を推進するのは片手落ちだと思いますが、川柳界には川柳を俳句と共に世界遺産に登録しようという考えはないのでしょうか?
俳句界と川柳界が協調して、「俳諧世界遺産運動」とか「俳川世界遺産運動」とか、何か適切な呼称で登録運動を推進すれば、もっと運動が盛り上がるのではないでしょうか?
そうは言っても、世界的には俳諧の発句のような無季俳句もHAIKUで通用しています。
「季語」は日本語としてこそ意味がありますが、外国語に当て嵌めることは出来ませんので、国際的に認知された世界最短詩HAIKUを俳句として受け入れざるをえないでしょう。
「俳句と川柳は室町時代の俳諧から発展して世界の人々に現在も愛されている世界一短い短詩HAIKUである」と主張して運動を推進する方が、世界無形文化遺産としてユネスコの認定を得やすいのではないでしょうか?
この考えに俳句愛好者と川柳愛好者が共に賛同してくれると、
世界平和と世界遺産登録の「草の根運動の一助」になればとの思いでブログを書いている筆者として、望外の喜びです。
高浜虚子は「俳諧に老いて好もし蕪汁」という俳句を詠んでいます。
拙句を最後に掲載させて頂きます。
去年今年世界遺産の夢を句に
初夢や世界遺産の句に興じ
川柳も俳句も同じ俳諧よ
果てしなき夢を追いつつ去年今年
去年今年八十路の夢を茶寿までも
皆さんは、上記の句を「俳句」と「川柳」のどちらに捉えますか?
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