ひとかどのグルメ幼の年忘
胃無き身の老にも美味しこの和牛
(薫風士)
この写真は三田屋本店でランチに食べた一品料理等の一部分ですが、平和の有り難さを噛みしめながら冒頭の拙句を詠みました。
「年忘」は「忘年会」を意味する言葉ですが、「カラー図説日本大歳時記」によると、「年忘れ」は室町時代から使われているようです。
日本大歳時記には、芭蕉の俳句「人に家を買はせて我は年忘れ」が冒頭にあり、一茶の俳句「独り身や上野歩行てとし忘れ」など多数の例句が記載されています。
一茶の俳句で「とし」と「ひらがな」を用いたのは、「年」と「歳」の二つのニュアンスを出すためでしょうか。
芭蕉の俳句「やがて死ぬけしきは見えず蝉の声」の「けしき」と同じような表現手法でしょう。(「蝉の俳句を鑑賞しよう」参照。)
「年忘れ」の俳句に富安風生の面白い俳句があります。
老いはいや死ぬこともいや年忘れ
この俳句は風生が70歳の時に作った句です。
「年忘れ」には「自分が何歳か歳を忘れたい」というニュアンスも含ませた俳句でしょう。
風生は1979年(昭和54年)2月22日に93歳で亡くなっていますが、2月22日は高浜虚子の生誕の日です。
風生は虚子に師事しており、虚子は次の俳句を作っています。
風生と死の話して涼しさよ
「運命の赤い糸」で結ばれているという言葉がありますが、虚子と風生の間に何か不思議な縁を感じます。
「575筆まか勢」を見ると、「年忘れ」「忘年会」の俳句が無数にあります。
目についた例句をランダムに下記します。
せつかれて年忘れする機嫌かな
(松尾芭蕉)
年忘橙剥いて酒酌まん
(正岡子規)
年忘れ老は淋しく笑まひをり
(高浜虚子)
「笑まふ」は「にこにこ笑う」という意味ですが、「俳句鑑賞・その八 高浜虚子」には「年忘れ老は淋しく笑まひけり」とあります。
「をり」は現在微笑んでいる状態を詠んだものであり、「けり」は過去のことを思いだして詠んだことになります。
年忘れ最も老を忘れけり
(富安風生)
どろどろに酔うてしまひぬ年忘
(日野草城)
とんとんと上る階段年忘れ
(星野立子)
にぎやかに河豚食うて年忘れけり
(森澄雄)
客あれば客あるで又年忘れ
(高濱年尾)
深大寺蕎麦にあづかる年忘
(上田五千石)
義埋もまた楽しみもまた年忘
(稲畑汀子)
厨にも味見の客や年忘
(坊城中子)
「文学者掃苔録」というサイトには風生の次の俳句などが掲載されています。
「掃苔」とは広辞苑によると、「墓参り、特に盂蘭盆の墓参」のことで秋の季語です。
死を怖れざりしはむかし老の春
わが老をわがいとほしむ菊の前
老木の芽をいそげるをあはれみぬ
忘年会や新年会などの話題になると、句友の栄治さんが作った俳句「先輩はいつも先輩花見酒」を思いだしますが、拙句を下記に掲載します。
席順に気苦労したる忘年会
相棒は愛犬チュヌよ年忘れ
セクハラとパワハラ憂ひ年忘れ
句に興じブログに興じ煤籠り
写真は数年ぶりに家族で訪ねた三田屋本店(やすらぎの郷)レストランのフル-ト演奏や窓に見える能舞台の風景、二階で開催されたコーラスグループの発表会です。
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