政治談議4:                    安保法制の「抑止力」を「誘発力」にしてはならない!

       

安倍総理は、安保法制関連法案について、「議論が尽くされたと判断されれば、決める時には決めると述べ、今の国会で法案を確実に成立させたいという考えを示している。

しかし、国会の審議で相変わらず質問に真面に答えず、「お題目」のように抽象的な同じ説明を繰り返している。

この調子では、総理が「議論は尽くされた」と言っても、国民の目線では議論が尽くされたとは到底言えず、会期延長は強行採決の口実にする欺瞞に過ぎない。

       

安倍総理は「錦の御旗」の如く「砂川事件の最高裁判決に言及しているが、ポツダム宣言と同様に、判決文を「つまびらかに読んでいない」ということだろうか?

最高裁の判決の理由の説明文に下記の記述がある。

「そこで、右のような憲法九条の趣旨に即して同条二項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条一項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。従つて同条二項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。」

憲法9条2項について、「いわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として」として言っている。すなわち、「自衛のための戦力の保持」の合憲性を明確に判示していないのである。

更に、「同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり」と定義している。

ところが、新安保法制下では、米国軍隊との共同作戦を意図しているから、この点からも砂川事件の最高裁判決を「錦の旗」にするのは的外れであり、新安保法制の違憲性は明確である。

そのことが明確でないというなら、新安保法制の法律条文に『明確に』とか『明瞭に』、『必要最少限に』などと規定し、与党議員がその点をいくら強調しても信用できない。

政府・与党議員は「最高裁が違憲性を判断する」と言っているのだから、新安保法制について最高裁の判断を仰ぐべきである。

それをしないなら、少なくとも世論調査の結果を踏まえ、最終決断をするのが民主主義憲法下の国会議員のなすべきことだろう。

    

安倍総理は「60年安保も反対があったが、安保が抑止力になった」という趣旨のことを言っている。

だが、「60年安保に対して国民の大きな反対があり、米国も無理強い出来なかったのだ。それ故、日本はイラク戦争やテロに巻き込まれなかったのだ。」

政府の意図している新安保法制ではその抑止力が失われる。

「安保法制関連法案」が政府の判断で会期末までに強行採決されれば、「抑止力」として機能した「平和憲法」と「安保法制」が機能せず、「戦争誘発力」や「テロ誘発力」になる恐れがある。

         

なお、新安保法制について国民の理解を得るためには、法律条文そのものを読みやすい形式にすべきである。

戦前・戦中の「よらしむべし、しらしむべからず」の治政下においては、法律は難しいのが当然であった。現在でも、難しい条文は権威があると錯覚している人がいる。しかし、国民の知識レベルも高い、主権在民の現在では、法律条文も読みやすくしなければならい。

旧態依然とした、新旧の条文を対比しなければ分からないような読み替え規定は、法律を作る側・官僚には便利だろうが、法律を適用する関係者や国民には読みにくい。

読み替え・修正個所を新しい条文に織り込み、全文通読すればわかる法律条文にすべきである。

そして、憲法の範囲内の規定であることが概念的に理解できるように規定した上で、その法律を適用する場合の具体的な事例を附則などでクローズドリストにすべきである。

そういう新しい法律条文に基づいて合憲性を国会で審議すれば、国民の理解が促進されるのだ。

一般の市民の目線で「平和憲法の規範内の自衛権の規定である」と理解されるようにすれば、国際的な理解も得られる。  

政府与党議員の猛反省・「痛切な反省」を促したい。

      

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