今年の桜は異常気象のせいか散るのが早く、虚子の俳句「咲満ちてこぼるる花もなかりけり」のように、桜をゆっくり愛でることが出来なかった。
虚子は「花疲れ眠れる人に凭(よ)り眠る」という句も作っているが、この句は、例えば電車の中で虚子が見た情景を詠んだものと解釈して、少なくとも次の3とおりの解釈が可能だろう。
・「うとうと眠っている虚子に隣の人が寄り掛かってうとうとした」
・「眠っている人に虚子がつい寄り掛かってうとうとした」
・「互いに寄りかかってうとうとしている二人連れを虚子が見た」
虚子に寄り掛かったのはうら若い女性か、むさくるしい男か?
二人連れは若者か、老夫婦か、恋人同士か?
様々な情景が思い浮かぶ。俳句鑑賞の楽しさ、面白さである。
季語としては「花」「彼岸桜」「糸桜」「しだれ桜」「枝垂桜」「山桜」「朝桜」「花疲れ」「花守」「初桜」「花の雲」「花影」「花の影」「余花」「残花」「花の塵」「花過ぎ」「花屑・花の屑」「花篝」「花は葉に」「花筵」などがある。
高浜虚子の「俳句とはどんなものか」に「花よりも鼻に在りける匂ひ哉」という荒木田守武(1473-1549)の句もある。
「俳句への道」の冒頭には同音異義語を巧く使った虚子の句「おやをもり俳諧をもりもりたけ忌」が掲載されている。
「鼻」といえば、芥川龍之介の短編小説がある。
虚子は、「手で顔を撫づれば鼻の冷たさよ」という句を作っている。
「芥川龍之介の『鼻』を読みながらつい自分の顔を撫でたのだろう」などと考えるのは穿ち過ぎだろうか?
この句について、山本健吉は定本現代俳句において次のように述べている(抜粋)。
「『手で』と断らなくても、手に決まっているが、わざわざ口語的に言ったところ、一種のとぼけ趣味を表わしている。しかも、『撫づれば』と物々しく言いさして、次にどのような事柄が言い出されるであろうかという読者の期待を抱かせながら、次に『鼻の冷たさよ』と馬鹿馬鹿しく平凡なことを持ってきて、肩すかしを食わせる。そこに一つの滑稽感が生まれてくる。・・・(省略)・・・こういう滑稽な句は、虚子には例が多い。
・・・(省略)・・・すべて即興感遇の作品であり、この無関心・無感動の表情に軽いユーモアがある。」
上記の句評で滑稽句の例として列挙した中に、「大寒の埃のごとく人死ぬる」や「酌婦来る灯取り虫より汚きが」などを挙げている。まさに、俳句の解釈は人さまざまである。
ちなみに、山本健吉は正岡子規の句「しぐるるや蒟蒻冷えて臍の上」についても次のように評している(抜粋)。
「『小夜時雨上野を虚子の来つつあらん』とともに、『病中』と前書きがある。
・・・(省略)・・・
この句、『蒟蒻冷えて臍の上』にユーモアがある。ことに『臍の上』と、自分の臍を意識しながら、無造作に言い話したところ、子規独特のとぼけ趣味である。病気の苦痛を直接訴えず、臍の上に置かれた蒟蒻の冷えを言うことで間接に病状を詠むことが、俳諧化の方法なのである。」
虚子の句「志俳諧にありおでん喰ふ」を「よもだ堂日記」では「惚け趣味」の句の例として挙げていたが、「自分の俳句人生をおでんを食いながらしみじみと考えたことを象徴的に句にしたものである」と解釈するのは的外れだろうか?
虚子の句「川を見るバナナの皮は手より落ち」について「増殖する歳時記」には次の句評がある。
「虚子の『痴呆俳句』として論議を呼んだ句。精神の弛緩よりむしろ禅の無の境地ではなかろうか。俳句はこういう無思想性があるからオソロシイ。そして俳人も。(井川博年)」
この句について、櫂未知子さんは「食の一句」において次のように述べている(抜粋)。
「虚子自身の経験ではなく、隅田川べりで目にした男を句にしたらしい。・・・(省略)・・・虚子ぎらいの人たちによって攻撃されやすい句の一つだが、昭和9年という制作年からすると、当時、相当モダーンな句だと考えられていたのではなかろうか。(以下省略)」
今朝の「NHK俳句」において、ゲストの柳生博さんが友人の句「我が巣箱待てど待てどもシジュウカラ」を披露して「ダメですね?」と選者(櫂未知子さん)のコメントを求めたところ、「ちょっとダメですね」と一蹴されていた。
同音異義語(「四十雀」と「始終空」)をかけた滑稽句だろう。
「巣箱掛け待てど待てどもシジュウカラ」とするとわかりやすいが、伝統俳句の視点から見ると選者の好みに合わないだろう。
「高齢者の『鼻が利かない』は痴呆の兆候?」というブログ記事があったが、この場合は痴呆とは無関係の機能不全だった由である。医学の進歩した現在では、病気は早期発見をすれば進行を抑えたり、治療したりできるではないか?
仲間と吟行や句会をして俳句を作り鑑賞して、頭と体の健康を維持することに努めたいものである。
ふと遊び心でインターネットで「花」と「鼻」を検索して見た。
すると、「国柄探訪:大和言葉の世界観:『鼻』は『花』、『目』は『芽』。大和言葉には古代日本人の世界観が息づいている。」という同音異義語を取り上げた興味ある記事があった。
「(文責:伊勢雅臣)」と記載されていたが、昔の日本人の自然とのかかわりや宗教心の一端を知る参考になる。
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