コメント:

2022年の「今年の漢字」は「戦」に決定されました。
「コロナとの戦い」など、「戦い」の相手は様々ですが、プーチン大統領など時代錯誤の専制政治がある限り、平和への戦いには自衛手段も疎かに出来ません。
「防衛費の増強・増税」を防ぐためにも、各人がそれぞれの分野で世界平和への訴えを続けましょう。
「梅東風や届け世界にこの思ひ」
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2022/03/post-4fd0.html
をご一読頂ければ幸いです。 (薫風士)

8月19日は「俳句の日」とされています。
正岡子規の命日は9月19日ですから、8月19日からの1か月を「俳句月間」として俳句・教育関係者により俳句を通じて子供たちに日本文化の啓蒙活動をして頂いたら如何でしょうか?
俳句の教育はもう既に実践されているのでしょうが、コロナ禍の自粛生活で子供たちが無意味なwebゲームに夢中になっているのは親泣かせです。
俳句は、個性を発揮する芸術の一つであり、好き好きです。プレバトのような一方的な査定やランク付けはしないで教育すべきでしょう。
大人のための俳句の面白さの啓蒙の一助になれば幸いですが、
8月15日の終戦記念日の俳句を特集しましたので
俳句ブログ:終戦記念日 <「戦争と平和」特集>
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2021/08/post-452c.html
をご一読下さい。

(薫風士)

「露営の歌」は、朝ドラの「エール」の主人公「古山裕一」のモデル「古関裕而」が作曲し、昭和12年にコロンビアレコードから発売されて大ヒットした。
新型コロナウイルス感染症の拡散防止(3密回避)のために撮影が中断したのか、現在は再放送中でドラマの進展がないが、当時の状況をどのようにドラマ化するのか、非常に興味があります。

(薫風士)

「俳句を通して世界平和を!」という思いで
俳句やエッセイなどささやかなブログを書いています。
ご意見やコメントなど、投稿して頂けると有難いです。
なお、ご投稿頂いた内容はチュヌの主人の任意の裁量で
公開させて頂きます。予めご了承ください。

英国が国民投票の結果EUを離脱することになり残念なことです。
米国の大統領選挙でトランプ氏がもしも勝利することになれば、
世界各国の右傾化が更に促進されて帝国主義的覇権主義に逆流することになるのではないか、
民主的な地域の拡大・統合への理想的な動きが阻害されることになるのではないか、
と危惧しています。
世界大戦の多大な犠牲に対する反省から生まれた平和憲法の基に、
日本は軍事力でなく技術力と国民の努力で経済発展を実現し、
世界平和のためにも貢献してきました。
このような日本の戦後の基本的な流れを逆流させてはなりません。
7月10日の参議院選挙は老若ともに棄権せずしっかり考えて投票してほしいものです。

「海に出て木枯帰るところなし」の英訳として、

     Moving out to sea
     The winter storm has nowhere
     For it to return.

というのがあった。
特攻隊はアメリカ人には「storm(嵐)」という感じがしただろうが、
日本人にとっては孤独な一特攻隊員に焦点をあてた俳句だとするのが妥当な気がする。
したがって、「木枯らし」は「winter wind」と英訳する方が
原句のニュアンス(「神風」「特攻隊」)を出せるのではないか?
キーンさんのご意見を伺いたいものである。

戦争を知っている世代の著名な方々の訃報をよく目にするようになりました。
最近のニュースでは水木しげるさんや野坂昭如さんの訃報です。

雨宮処凛がゆく!
「水木しげるさんの死〜なぜ「戦争反対とは決して言いません」だったのか。の巻」
http://www.magazine9.jp/article/amamiya/24461/
をご覧下さい。

戦争を知らない世代の方々には
「12月8日」は何の日か、
ご存知でない方が多いようです。
「師走の俳句を集めました」
お忙しいでしょうが、
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2015/12/post-d12e.html
をクリックして師走の俳句をエンジョイして下さい。

洋画家の絹谷幸二氏が日経新聞の「私の履歴書」で、
曾良(江戸時代の俳諧師)の句「春にわれ乞食やめても筑紫かな」
に触れて、次のように味のあることを言っている。
「絵の修業はもちろん大事だが、鍛えなければならないのは技量ではなく、心の持ちようなのである。」と、
更に、奈良県桜井市の安倍文殊院の本尊、文殊菩薩に言及して、
「菩薩は左手に花、右手に剣をお持ちである。揺るぎない備えを持って、平和を尊ぶ、この構えこそ、今日、実は大切な姿ではないのか」
と言っている。
安倍総理には文殊菩薩のことなど、日本人が昔から平和を祈願してきたことを是非とも世界の政治指導者に話して、
世界平和を推進して貰いたいものである。

ウイキペディアによると、
喜多 一二(川柳作家)は治安維持法違反で逮捕され、29歳で病死している。
「反戦川柳作家・鶴彬」
http://www2.nsknet.or.jp/~mshr/asobi/senryu/turuakira.html
を見ると、沢山の川柳がある。
だが、ベッドに手錠でくくりつけられたまま病死したとのことだから
辞世の句を作ることは許されなかったのだろう。
「川柳で侵略戦争と闘った若者、鶴彬没後70周年」
http://www.liveinpeace925.com/culture/tsuru_akira.htm
をご覧下さい。

先日の「NHKスペッシャル」で
「私が愛する日本人へ ~ドナルド・キーン 文豪との70年~」
を放映していた。
川端康成の「雪国」や谷崎純一郎の「細雪」など
主に小説について取り上げていた。
http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/46/2586635/index.html
をご覧下さい。
「俳句」についてキーンさんが考えておられることに興味がある。
参考になる記事など、ご存知の方があれば、教えて頂けると幸いです。
(メールアドレス)aiqtrans@hi3.enjoy.ne.jp

皆さんご存知ですか?
自民党は憲法を改正し、天皇を元首にして、戦争の出来る国にしようとしています。
自民党の暴走を止めなければいけません。

自民党の憲法改正草案を読んでください。
https://www.jimin.jp/activity/colum/116667.html

「俳キングシリーズ 山口誓子」というブログによると、
「海に出て木枯帰るところなし」は「特攻隊員」の片道飛行・死を悼んだ句である。
山口誓子の「句による自伝」に次の記述があるとのことである。
「この句を作ったとき私は特攻隊の片道飛行のことを念頭に置いてゐた。この句はあの無残な戦法の犠牲者を悼む句でもあった。」
http://ameblo.jp/msato0596/entry-11410983063.htmlを参照

「『戦略』という言葉の意味は「『いかに戦うか』ではなく、『いかに戦わないか』」ということです。
安倍首相の「積極的平和主義」や「集団的自衛権の行使」に是非この考えを適用して貰いたいものです。
「未来からの風」(田坂広志公式サイト)
http://hiroshitasaka.jp/letter/6756/
をご覧下さい。

戦時下の虚子の人間性の一端を示す記事が次のサイトにあるのを見つけた。

ウラハイ=裏「週刊俳句」
http://hw02.blogspot.jp/2010/02/5.html
ホトトギス雑詠選抄〔5〕春の部(二月)「雪解」

これは、前田普羅に関する記事であるが、その中に次の記述があった。

「この新興俳句弾圧事件の黒幕とされたのが、日本文学報国会の常務理事である小野蕪子だった。
俳句部の会長だったのは高浜虚子だが、虚子は戦時中は「ホトトギス雑詠」の選に没頭して「花鳥諷詠」を貫いており、
戦争咏は「八月二十二日。在小諸。詔勅を拝し奉りて、朝日新聞の需めに応じて」と題した、
敵といふもの今はなし秋の月  虚子 昭和20年
という、見方によっては随分とぼけた一句だけだった。」

「チュヌの便り」を読んでいて、このブログに関連のある記事として印象に残った箇所を次のとおり再録する。

「エコブログ」(作者はかわからない)に「敵といふもの今は無し秋の月」という虚子の句をタイトルにした興味深い虚子の句評があった。その記事の一部を抜粋すると、 
「天皇を信じていなかった鴎外、戦争の大義も敵の存在も信じていなかった虚子。しかし、鴎外は天皇の藩屏として、虚子は日本文学報国会の俳句部長として身を処した。彼らの心中を思い、いま、北朝鮮にいるだろう鴎外や虚子のことを思った。」とある。

高浜虚子の人間性を悪しざまに云々するブログを見かけたが、
虚子が俳句を作った「場」や時代・世相などを考慮すると
その様な批判は当てはまらないとチュヌの主人は思っている。
「虚子俳句問答」を読み返し、朝ドラの「マッサン」を見ていると、
なおさらそういう思いを強くしている。

道得風光氏は「俳句を評するということ」
http://ncode.syosetu.com/n8760bu/1/
において、山口誓子の句「海に出て木枯帰るところなし」の「木枯らし」は「特攻隊」を暗示していると推測し、次のように述べている(抜粋)。
「この句が作られたのは昭和十九年十一月から翌年十月である。昭和十九年は太平洋戦争の敗戦色が濃厚になり、・・・(省略)・・・人々は我慢を重ね、軍も遂に特攻隊や回天といった人の命を犠牲に攻撃をする手段をとり始めた(特攻隊が始めて出撃したのは昭和十九年十月)。優秀な若者達は行きの燃料しかない戦闘機に乗り、米艦隊に向かって突っ込んだり、墜撃されたり、燃料切れでその命を散らしたのである。そして、それらは連日のように新聞や大本営で、堂々と、成功!米軍に大打撃!と書かれた。しかし、誓子は頭がいい人だったから、そんなことは殆ど無理に近いことを悟っていたのではないだろうか。・・・(省略)・・・
すべて木々が枯れる頃に吹く風、木枯し。それに艦隊が動く海、そして、行きだけの燃料だけで突撃して行き、二度と家族や日本の土地を踏めない様を帰る所なしと読んだ。
これはあくまでも私の推測である。だが、私はそんな風に感じてならないし、誓子自身しかわからないことである。誓子は特攻隊でなく、自らの命を木枯しにたとえたのかもしれない。」

また、この句について秋尾敏氏は「生き残る俳句」という興味ある記事を書いている。http://www.asahi-net.or.jp/~cf9b-ako/kindai/ikinokoru.htm
をご覧下さい。