8月19日は「俳句の日」とされています。 正岡子規の命日は9月19日ですから、8月19日からの1か月を「俳句月間」として俳句・教育関係者により俳句を通じて子供たちに日本文化の啓蒙活動をして頂いたら如何でしょうか? 俳句の教育はもう既に実践されているのでしょうが、コロナ禍の自粛生活で子供たちが無意味なwebゲームに夢中になっているのは親泣かせです。 俳句は、個性を発揮する芸術の一つであり、好き好きです。プレバトのような一方的な査定やランク付けはしないで教育すべきでしょう。 大人のための俳句の面白さの啓蒙の一助になれば幸いですが、 8月15日の終戦記念日の俳句を特集しましたので 俳句ブログ:終戦記念日 <「戦争と平和」特集> http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2021/08/post-452c.html をご一読下さい。 (薫風士)
「俳句を通して世界平和を!」という思いで 俳句やエッセイなどささやかなブログを書いています。 ご意見やコメントなど、投稿して頂けると有難いです。 なお、ご投稿頂いた内容はチュヌの主人の任意の裁量で 公開させて頂きます。予めご了承ください。
戦争を知らない世代の方々には 「12月8日」は何の日か、 ご存知でない方が多いようです。 「師走の俳句を集めました」 お忙しいでしょうが、 http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2015/12/post-d12e.html をクリックして師走の俳句をエンジョイして下さい。
皆さんご存知ですか? 自民党は憲法を改正し、天皇を元首にして、戦争の出来る国にしようとしています。 自民党の暴走を止めなければいけません。 自民党の憲法改正草案を読んでください。 https://www.jimin.jp/activity/colum/116667.html
「俳キングシリーズ 山口誓子」というブログによると、 「海に出て木枯帰るところなし」は「特攻隊員」の片道飛行・死を悼んだ句である。 山口誓子の「句による自伝」に次の記述があるとのことである。 「この句を作ったとき私は特攻隊の片道飛行のことを念頭に置いてゐた。この句はあの無残な戦法の犠牲者を悼む句でもあった。」 (http://ameblo.jp/msato0596/entry-11410983063.htmlを参照)
「『戦略』という言葉の意味は「『いかに戦うか』ではなく、『いかに戦わないか』」ということです。 安倍首相の「積極的平和主義」や「集団的自衛権の行使」に是非この考えを適用して貰いたいものです。 「未来からの風」(田坂広志公式サイト) http://hiroshitasaka.jp/letter/6756/ をご覧下さい。
戦時下の虚子の人間性の一端を示す記事が次のサイトにあるのを見つけた。 ウラハイ=裏「週刊俳句」 http://hw02.blogspot.jp/2010/02/5.html ホトトギス雑詠選抄〔5〕春の部(二月)「雪解」 これは、前田普羅に関する記事であるが、その中に次の記述があった。 「この新興俳句弾圧事件の黒幕とされたのが、日本文学報国会の常務理事である小野蕪子だった。 俳句部の会長だったのは高浜虚子だが、虚子は戦時中は「ホトトギス雑詠」の選に没頭して「花鳥諷詠」を貫いており、 戦争咏は「八月二十二日。在小諸。詔勅を拝し奉りて、朝日新聞の需めに応じて」と題した、 敵といふもの今はなし秋の月 虚子 昭和20年 という、見方によっては随分とぼけた一句だけだった。」
「チュヌの便り」を読んでいて、このブログに関連のある記事として印象に残った箇所を次のとおり再録する。 「エコブログ」(作者はかわからない)に「敵といふもの今は無し秋の月」という虚子の句をタイトルにした興味深い虚子の句評があった。その記事の一部を抜粋すると、 「天皇を信じていなかった鴎外、戦争の大義も敵の存在も信じていなかった虚子。しかし、鴎外は天皇の藩屏として、虚子は日本文学報国会の俳句部長として身を処した。彼らの心中を思い、いま、北朝鮮にいるだろう鴎外や虚子のことを思った。」とある。
高浜虚子の人間性を悪しざまに云々するブログを見かけたが、 虚子が俳句を作った「場」や時代・世相などを考慮すると その様な批判は当てはまらないとチュヌの主人は思っている。 「虚子俳句問答」を読み返し、朝ドラの「マッサン」を見ていると、 なおさらそういう思いを強くしている。
道得風光氏は「俳句を評するということ」 http://ncode.syosetu.com/n8760bu/1/ において、山口誓子の句「海に出て木枯帰るところなし」の「木枯らし」は「特攻隊」を暗示していると推測し、次のように述べている(抜粋)。 「この句が作られたのは昭和十九年十一月から翌年十月である。昭和十九年は太平洋戦争の敗戦色が濃厚になり、・・・(省略)・・・人々は我慢を重ね、軍も遂に特攻隊や回天といった人の命を犠牲に攻撃をする手段をとり始めた(特攻隊が始めて出撃したのは昭和十九年十月)。優秀な若者達は行きの燃料しかない戦闘機に乗り、米艦隊に向かって突っ込んだり、墜撃されたり、燃料切れでその命を散らしたのである。そして、それらは連日のように新聞や大本営で、堂々と、成功!米軍に大打撃!と書かれた。しかし、誓子は頭がいい人だったから、そんなことは殆ど無理に近いことを悟っていたのではないだろうか。・・・(省略)・・・ すべて木々が枯れる頃に吹く風、木枯し。それに艦隊が動く海、そして、行きだけの燃料だけで突撃して行き、二度と家族や日本の土地を踏めない様を帰る所なしと読んだ。 これはあくまでも私の推測である。だが、私はそんな風に感じてならないし、誓子自身しかわからないことである。誓子は特攻隊でなく、自らの命を木枯しにたとえたのかもしれない。」 また、この句について秋尾敏氏は「生き残る俳句」という興味ある記事を書いている。http://www.asahi-net.or.jp/~cf9b-ako/kindai/ikinokoru.htm をご覧下さい。
毎日新聞(2015.2.26)に「戦後70年:今も続いている国民への忍耐押しつけ」というタイトルでドナルド・キーンさんインタビュー記事があった。 親日家のキーンさんの言葉に耳を傾けてほしい。 http://mainichi.jp/feature/news/20150226mog00m040001000c.html をクリックしてご覧下さい。
「神戸まろうど通信」の「佐藤鬼房論」に次の記述があった(抜粋)。 http://blog.goo.ne.jp/maroad-kobe/e/58a48f93e3d93f53b4f2b6a01fd6d1ac ☆もうひとつ、戦時の文芸で問題にすべきことは、詩(例えば一九四〇年の「神戸詩人事件」、三七年一二月に雑誌「川柳人」の同人たちの検挙、四一年二月に新興俳句系、四一~四二年歌人など、四三年まで続いている。ちなみに、鬼房は弾圧が吹き荒れていた時、中国戦線にて兵役に服していたこともあって、難を逃れている。鬼房は「戦中は詩をやるとにらまれるけれど、俳句は案外にらまれないね」(『証言・昭和の俳句 下』139)と語っている。 上記の「俳句は案外にらまれないね」のように俳句が戦中を生き延びることが出来たのは、虚子の唱道した花鳥諷詠の俳句では戦争を美化することもなく、川柳や新興俳句のように作者の反戦的な考えや思いを明瞭に表現することもせず、人事を超越し中庸を維持したからだろう。 俳句談義(5)http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2015/02/post-0c81.html をご覧下さい。
二葉亭餓鬼録 「川柳の世界」 http://ameblo.jp/tta33cc/entry-11255696783.html に次の記述があった。 谷崎潤一郎の「細雪」も、昭和18年3月、連載が2回を数えたところで、いきなり中止となりました。厭戦俳句・短歌を載せた雑誌は、ことごとく休刊に追い込まれ、それでもがんばって反戦俳句を載せ、治安維持法に触れて検挙されたり、投獄された者が多かったのです。 そして川柳界は、戦時下に入ると、ますます戦意向上のポスターみたいな川柳を求められるようになりますが、水府は、なんとかして、川柳雑誌「番傘」を守ろうとして、なくなくこころにもない句を載せます。 《せつかちの老人気質おもしろし》と詠んだ高浜虚子。 俳句にしてはめずらしい無季句なんですが、なんとなく川柳にも見えてきます。すると、これはへんだぞ、という声がかかり、みんなは川柳みたいだといいはじめます。虚子は、「俳句は、滑稽が生命である」といい張ります。これを知った水府は、おやおや、これでは川柳は、俳句にお株を取られたかたちじゃないか、といったのだそうです。 上記の引用からも、高浜虚子が戦時下の俳句を守るために腐心したことが窺われます。
コメント:俳句談義(5):戦時中の高浜虚子・文芸家としての良心
2025.10.1 更新
8月19日は「俳句の日」とされています。
正岡子規の命日は9月19日ですから、8月19日からの1か月を「俳句月間」として俳句・教育関係者により俳句を通じて子供たちに日本文化の啓蒙活動をして頂いたら如何でしょうか?
俳句の教育はもう既に実践されているのでしょうが、コロナ禍の自粛生活で子供たちが無意味なwebゲームに夢中になっているのは親泣かせです。
俳句は、個性を発揮する芸術の一つであり、好き好きです。プレバトのような一方的な査定やランク付けはしないで教育すべきでしょう。
大人のための俳句の面白さの啓蒙の一助になれば幸いですが、
8月15日の終戦記念日の俳句を特集しましたので
俳句ブログ:終戦記念日 <「戦争と平和」特集>
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2021/08/post-452c.html
をご一読下さい。
(薫風士)
「俳句を通して世界平和を!」という思いで
俳句やエッセイなどささやかなブログを書いています。
ご意見やコメントなど、投稿して頂けると有難いです。
なお、ご投稿頂いた内容はチュヌの主人の任意の裁量で
公開させて頂きます。予めご了承ください。
戦争を知らない世代の方々には
「12月8日」は何の日か、
ご存知でない方が多いようです。
「師走の俳句を集めました」
お忙しいでしょうが、
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2015/12/post-d12e.html
をクリックして師走の俳句をエンジョイして下さい。
皆さんご存知ですか?
自民党は憲法を改正し、天皇を元首にして、戦争の出来る国にしようとしています。
自民党の暴走を止めなければいけません。
自民党の憲法改正草案を読んでください。
https://www.jimin.jp/activity/colum/116667.html
「俳キングシリーズ 山口誓子」というブログによると、
「海に出て木枯帰るところなし」は「特攻隊員」の片道飛行・死を悼んだ句である。
山口誓子の「句による自伝」に次の記述があるとのことである。
「この句を作ったとき私は特攻隊の片道飛行のことを念頭に置いてゐた。この句はあの無残な戦法の犠牲者を悼む句でもあった。」
(http://ameblo.jp/msato0596/entry-11410983063.htmlを参照)
「『戦略』という言葉の意味は「『いかに戦うか』ではなく、『いかに戦わないか』」ということです。
安倍首相の「積極的平和主義」や「集団的自衛権の行使」に是非この考えを適用して貰いたいものです。
「未来からの風」(田坂広志公式サイト)
http://hiroshitasaka.jp/letter/6756/
をご覧下さい。
戦時下の虚子の人間性の一端を示す記事が次のサイトにあるのを見つけた。
ウラハイ=裏「週刊俳句」
http://hw02.blogspot.jp/2010/02/5.html
ホトトギス雑詠選抄〔5〕春の部(二月)「雪解」
これは、前田普羅に関する記事であるが、その中に次の記述があった。
「この新興俳句弾圧事件の黒幕とされたのが、日本文学報国会の常務理事である小野蕪子だった。
俳句部の会長だったのは高浜虚子だが、虚子は戦時中は「ホトトギス雑詠」の選に没頭して「花鳥諷詠」を貫いており、
戦争咏は「八月二十二日。在小諸。詔勅を拝し奉りて、朝日新聞の需めに応じて」と題した、
敵といふもの今はなし秋の月 虚子 昭和20年
という、見方によっては随分とぼけた一句だけだった。」
「チュヌの便り」を読んでいて、このブログに関連のある記事として印象に残った箇所を次のとおり再録する。
「エコブログ」(作者はかわからない)に「敵といふもの今は無し秋の月」という虚子の句をタイトルにした興味深い虚子の句評があった。その記事の一部を抜粋すると、
「天皇を信じていなかった鴎外、戦争の大義も敵の存在も信じていなかった虚子。しかし、鴎外は天皇の藩屏として、虚子は日本文学報国会の俳句部長として身を処した。彼らの心中を思い、いま、北朝鮮にいるだろう鴎外や虚子のことを思った。」とある。
高浜虚子の人間性を悪しざまに云々するブログを見かけたが、
虚子が俳句を作った「場」や時代・世相などを考慮すると
その様な批判は当てはまらないとチュヌの主人は思っている。
「虚子俳句問答」を読み返し、朝ドラの「マッサン」を見ていると、
なおさらそういう思いを強くしている。
道得風光氏は「俳句を評するということ」
http://ncode.syosetu.com/n8760bu/1/
において、山口誓子の句「海に出て木枯帰るところなし」の「木枯らし」は「特攻隊」を暗示していると推測し、次のように述べている(抜粋)。
「この句が作られたのは昭和十九年十一月から翌年十月である。昭和十九年は太平洋戦争の敗戦色が濃厚になり、・・・(省略)・・・人々は我慢を重ね、軍も遂に特攻隊や回天といった人の命を犠牲に攻撃をする手段をとり始めた(特攻隊が始めて出撃したのは昭和十九年十月)。優秀な若者達は行きの燃料しかない戦闘機に乗り、米艦隊に向かって突っ込んだり、墜撃されたり、燃料切れでその命を散らしたのである。そして、それらは連日のように新聞や大本営で、堂々と、成功!米軍に大打撃!と書かれた。しかし、誓子は頭がいい人だったから、そんなことは殆ど無理に近いことを悟っていたのではないだろうか。・・・(省略)・・・
すべて木々が枯れる頃に吹く風、木枯し。それに艦隊が動く海、そして、行きだけの燃料だけで突撃して行き、二度と家族や日本の土地を踏めない様を帰る所なしと読んだ。
これはあくまでも私の推測である。だが、私はそんな風に感じてならないし、誓子自身しかわからないことである。誓子は特攻隊でなく、自らの命を木枯しにたとえたのかもしれない。」
また、この句について秋尾敏氏は「生き残る俳句」という興味ある記事を書いている。http://www.asahi-net.or.jp/~cf9b-ako/kindai/ikinokoru.htm
をご覧下さい。
毎日新聞(2015.2.26)に「戦後70年:今も続いている国民への忍耐押しつけ」というタイトルでドナルド・キーンさんインタビュー記事があった。
親日家のキーンさんの言葉に耳を傾けてほしい。
http://mainichi.jp/feature/news/20150226mog00m040001000c.html
をクリックしてご覧下さい。
「神戸まろうど通信」の「佐藤鬼房論」に次の記述があった(抜粋)。
http://blog.goo.ne.jp/maroad-kobe/e/58a48f93e3d93f53b4f2b6a01fd6d1ac
☆もうひとつ、戦時の文芸で問題にすべきことは、詩(例えば一九四〇年の「神戸詩人事件」、三七年一二月に雑誌「川柳人」の同人たちの検挙、四一年二月に新興俳句系、四一~四二年歌人など、四三年まで続いている。ちなみに、鬼房は弾圧が吹き荒れていた時、中国戦線にて兵役に服していたこともあって、難を逃れている。鬼房は「戦中は詩をやるとにらまれるけれど、俳句は案外にらまれないね」(『証言・昭和の俳句 下』139)と語っている。
上記の「俳句は案外にらまれないね」のように俳句が戦中を生き延びることが出来たのは、虚子の唱道した花鳥諷詠の俳句では戦争を美化することもなく、川柳や新興俳句のように作者の反戦的な考えや思いを明瞭に表現することもせず、人事を超越し中庸を維持したからだろう。
俳句談義(5)http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2015/02/post-0c81.html をご覧下さい。
二葉亭餓鬼録 「川柳の世界」
http://ameblo.jp/tta33cc/entry-11255696783.html
に次の記述があった。
谷崎潤一郎の「細雪」も、昭和18年3月、連載が2回を数えたところで、いきなり中止となりました。厭戦俳句・短歌を載せた雑誌は、ことごとく休刊に追い込まれ、それでもがんばって反戦俳句を載せ、治安維持法に触れて検挙されたり、投獄された者が多かったのです。
そして川柳界は、戦時下に入ると、ますます戦意向上のポスターみたいな川柳を求められるようになりますが、水府は、なんとかして、川柳雑誌「番傘」を守ろうとして、なくなくこころにもない句を載せます。
《せつかちの老人気質おもしろし》と詠んだ高浜虚子。
俳句にしてはめずらしい無季句なんですが、なんとなく川柳にも見えてきます。すると、これはへんだぞ、という声がかかり、みんなは川柳みたいだといいはじめます。虚子は、「俳句は、滑稽が生命である」といい張ります。これを知った水府は、おやおや、これでは川柳は、俳句にお株を取られたかたちじゃないか、といったのだそうです。
上記の引用からも、高浜虚子が戦時下の俳句を守るために腐心したことが窺われます。