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2014年7月

2014年7月31日 (木)

俳句・HAIKU 言語の壁

国際俳句交流協会では俳句を国際的に広めて、無形文化世界遺産に登録されるようにしようと努力している。しかし、俳句には和食にない言葉の障壁がある。本語の俳句は読者の解釈に委ねる余地がある。俳句を英語に翻訳する場合、日本語の原句の詩的要素を残して英訳することは至難の業である。英語は本来論理的に明瞭な言葉であり、英訳されたHAIKUはその解釈の範囲に必然的に限定されてしまう。俳句は詩であるから文法に拘らず読者の想像に任せて、単純に逐語的な英訳をすればよいというわけにはいかないだろう。

ささやかながらこのブログでも外国人に俳句の面白さを理解して貰うように働きかけたい。

     

芭蕉の有名な俳句古池や蛙飛び込む水の音について、長谷川櫂さんは「俳句的生活」(中公新書)で次のように解説している:

この句は「どこからともなく聞こえて来る蛙が飛び込む水の音を聞いているうちに心の中に古池の面影が浮かび上がった」といっているのである。ここで切字の「や」は現実の世界で起きている「蛙飛び込む水の音」とは切り離された心の中に現実ならざる古池を浮かび上がらせる働きをしている。この心の中の古池こそが閑寂境にほかならない。

     

そこで、この俳句の英訳にどんなものがあるか興味が湧いたので、インターネット検索をして見ると、「Frog Poemが見つかった。そこには41の英訳例が掲載されていたが、冒頭の英訳:

The old pond;

A frog jumps in

The sound of the water.    

(Robert Aitken)

など、どの英訳も櫂さんの解釈とは異なり、「古池を見て詠んでいる」という一般的な解釈に基づくものである。

    

櫂さんの解釈に基づいて試訳をすれば、次のようになるのではなかろうか?

A sound of a frog

jumping into water:

the old pond

日本語のみならず俳句をよく理解している外国の俳人(native speaker)の意見を聞きたいものである。

      

    

因みに、HIAのホームページを見ると、稲畑汀子・自句選10句の一つに次の例がある。

・山の池底なしと聞く未草

この句は、「羊草の咲いている山の池」を見ながら、「底なし池ですよ」と誰かの説明を聞いて詠んだものではないだろうか? そうだとすれば、掲載された英訳:

Hearing

about a bottomless mountain lake

water lilies

は不適切でないか?

例えば、次のように英訳すれば原句の意味が反映されるが詩的ではない。

the mountain lake

bottomless it is said,

water lilies

 

逆に、英語のHAIKUを俳句らしく和訳するのも容易ではない。

例えば、HIAのホームページ「愛好10句」のAlan PIZZARELLIHAIKUの例を挙げる:

twilight

staples rust

in the telephone pole

・黄昏やホチキスの錆電柱に 

上記の例では、「staples」を「ホチキス」と訳してあるが、「股釘」と和訳すべきでないか?「ホチキス」は広辞苑には「紙などを綴り合せる具」という説明がある。一般的な「ホチキス」の意味は「stapler」のことである。原句の「staple」の意味は「U字型の止め釘」でないか?

この英語俳句の作者(アラン・ピッツァレリ)は日本語が分からず不適切な翻訳に気付いていないのではないか?

       

       

英語のHAIKUでは語順や冠詞など文法にあまり拘らないでよいという考え方もあるようだが、誤解してはならない。日本語の俳句で切字や助詞の使い方が大切なように、英語の場合は語順や冠詞が極めて大切である。

    

    

   

英語の俳句の作り方については、例えば、下記のサイトがある。

英語俳句の作り方」 木内 徹(きうちとおる):http://st.japantimes.co.jp/st_haiku_howto.htm

俳句・HAIKUに興味のある内外の方々から何らかのコメントが頂けると幸いです。

俳句・HAIKU 言語の壁を破るチャレンジ(8)

今回は石田波郷の俳句「(かりがね)やのこるものみな美しき」の翻訳にチャレンジする。

 

この句について、石田波郷は「波郷百句」<自句自解>において次のように解説している:

「昭和十八年九月二十三日召集令状来。雁のきのふの夕とわかちなし、夕映が昨日の如く美しかつた。何もかも急に美しく眺められた。それら悉くを残してゆかねばならぬのであつた。」

 

HIAのホームページの「名句選」(鷹羽狩行選)のこの句の英訳は:

wild geese——
all that remains
beautiful

である。しかし、この句の適切な英訳は:

wild geese——
all that remain
beautiful

でないか?

HIA掲載の英訳では「all」を単純に集合名詞として単数扱いにして、「remains」にしている。しかし、石田波郷が自解で「何もかも」「それら悉く」と言っているのだから、「all」は複数扱いにし、「remain」とすべきだろう。「雁」の英訳は「geese」と複数形にしている。日本語には英語のような「単数・複数」の区別がないので、単複の違いの重要さを見落としがちであるが、集合名詞でもその構成要素を重視する場合は複数扱いにすることに留意すべきである。

2014年7月29日 (火)

俳句・HAIKU 言語の壁を破るチャレンジ(7)

今回は加藤楸邨の俳句「木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ」の翻訳にチャレンジする。

     

この俳句の英訳として、国際俳句交流協会HIA)のホームページの「俳句・ハイク」「名句選」に次の英訳が掲載されている。 

leaves falling

never-ending

yet why, so fast

   

   

現代俳句協会現代俳句データベースにある次の解説(抜粋)は上記の英訳に近い内容である:

    

いったい何をそんなに急ぐ必要があるのか。もっとゆっくりしたらどうか。「いそぐないそぐなよ」と呼びかけずにはいられない楸邨思い滲み出ている。

    

    

この句について、山本健吉は「定本 現代俳句」において次のように解説している:

    

いかにも楸邨らしい句である。病床に倒れた彼は、あらゆる点で焦燥を感じていたであろう。「いそぐないそぐなよ」とは自分に言い聞かせているつぶやきであるが、落葉を急ぐ木の葉たちに言いきかせているようでもある。無慈悲な冬の季節の訪れに対して、ひそかに自分の心の準備を整えようとする気持ち―――そこに季節的に感合する気持ちを捕えたのである。もちろん「いそぐないそぐなよ」は、作者の人生態度そのものであり、何か微笑ましい感銘をさそうのである。

       

上記の解説を考慮すると、次のように素直に翻訳すれば原句の表現・趣旨を訳出できるだろう。

the leaves falling ceaselessly

don't hurry

don't rush

2014年7月26日 (土)

芭蕉の俳句「古池や」の英訳を考える

芭蕉の有名な俳句:

古池や蛙飛び込む水の音

の英訳にどんなものがあるかインターネット検索をして見ると、

Frog Poem」というサイト(http://en.wikisource.org/wiki/Frog_Poem)があった。

そこには、41の英訳例が掲載されていた。

しかし、どの英訳もこの俳句の一般的な解釈に基づくものであり、長谷川櫂が「俳句的生活」(中公新書)で次のように述べている解釈を反映していないと思われる。

古池に蛙が飛び込む水の音が聞こえる」という一般的な解釈は切字「や」の働きを見落としている。この句は「どこからともなく聞こえて来る蛙が飛び込む水の音を聞いているうちに心の中に古池の面影が浮かび上がった」といっているのである。ここで切字の「や」は現実の世界で起きている「蛙飛び込む水の音」とは切り離された心の中に現実ならざる古池を浮かび上がらせる働きをしている。この心の中の古池こそが閑寂境にほかならない。(上記は櫂さんの解説の抜粋である。)

    

Frog Poem」の冒頭にある英訳は、

The old pond;

A frog jumps in —

The sound of the water.    

(Robert Aitken)

である。

この英訳では、1行目を「The old pond;」とし、2行目にA frog jumps in」と言って、3行目を「The sound of the water」としているから、古池を目の前にして蛙が飛び込むのを見て、その水音に感動していることになるのではないか?

語順などを変えて、

A sound of a frog

jumping into water -

the old pond

とすれば、A sound of a frog」を聞いて、「the old pond」を思い浮かべていることになり、櫂さんの解釈を反映する英訳になるではないか?

俳句を理解している外国人(native speaker)の意見を伺いたいものである。コメントが頂けると幸いです。


俳句・HAIKU 言語の壁を破るチャレンジ(6)

今回は星野立子の俳句「美しき緑走れり夏料理」の翻訳にチャレンジする。

 

「夏料理」について、「日本大歳時記」(講談社版)は次のとおり解説している。

「夏の暑さを忘れるように、見た目に涼しげに皿に盛り、また氷片を敷いたりして料理そのものを冷たくした料理の総評。そのなかには、船料理・()(らい)・水貝・冷汁なども含まれる。」

 

また、「合本 現代俳句歳時記」(角川春樹編)は次のとおり解説している。

「特定の料理を指すのではなく、夏の暑さを忘れるような見た目に涼しげで、口当たりのさっぱりとした料理の総称。冷奴、水貝、洗い、きゅうりもみ、冷麦、そうめんなど。氷片を敷いたり、ガラス器や竹の籠に盛ったりして食欲ををそそるよう、工夫を凝らした料理。」

 

上記の星野立子の俳句はどちらの歳時記にも掲載されているから、夏料理の代表的な句なのだろう。

大岡信は「百人百句」(講談社)でこの句について、「目に涼しく、味はさっぱりした夏料理。その外見の印象をとらえて、星野立子という俳人ののびやかな感性がそのまま句に表れている。・・・・・」(抜粋)と解説しているが、「緑走れり」が具体的に何を指すのか言及していない。しかし、「その外見の印象をとらえて」ということは「夏料理」を指していることになる。

「緑走れり」の「緑」とは、たとえば、大呂というサイトに記載された解説(kinuta)にあるような「鮎をのせた笹の緑」「胡瓜の緑」「青紫蘇の緑」などであり、「走れり」というのは、懐石料理などとして食卓に並んでいる様子を詠んでいるのだろうか?

HIAのホ-ムページ記載の「名句選」の英訳

beautiful lines
of green run through
the summer dishes

は上記の解釈には当てはまらない。料理の品を意味する場合は、「greens」と複数にしなければならない。

green」は「緑色」の意味であり、この英訳の「beautiful lines of green」は「緑色の美しい線」を意味するものと解釈される。そうだとすれば、夏料理の器(ガラス皿など)に「緑色の美しい線」があると言っていることになるだろう。

 

「緑」が料理を意味するという解釈に従う場合は、たとえば次のように英訳するとよいだろう。

beautiful greens
arranged side by side
the summer dishes

しかし、上記のように「arranged」や「laid」などを用いると意味は明瞭になるが、「走れり」という表現の面白さは反映されない。ここで、「run」とか「run side by side」とすると、文字通り「走る」意味と解釈されてナンセンスだと言われるのだろうか? それとも、「run」を詩的な比喩的表現だと評価されるのだろうか? nativeの意見を聞きたいところである。

2014年7月25日 (金)

俳句・HAIKU 言語の壁を破るチャレンジ(5)

英語のHAIKUを日本語の俳句に翻訳するのに、文語的にするか口語的にするかは原句の内容や翻訳者の好み次第である。しかし、一つの同じ句の中で文語と口語の両方を用いるのはよくない。

   

HIAの名句選に米国の Celia Stuart-Powles さん作の次のHAIKUと翻訳が掲載されていた。

Barely contained

in its thin velvet skin

- soft fragrant peach

熟れ桃やビロードの肌はちけそう

   

原句は「柔らかな香りのよい桃(soft fragrant peach)」を詠んだもので、その桃は「薄いビロード状の皮(thin velvet skin)」に「かろうじて包み込まれている(barely contained)」状態であるという意味であるが、直訳したのでは俳句にならない。

たとえば、文語的に翻訳するとすれば、

「ビロードの皮はじけむや熟れし桃」

となり、口語的に翻訳すれば、

ビロードの皮はじけそう桃熟れて」

などと、意訳することになる。

俳句として翻訳するには、原句に記述された「薄い」とか「柔らかな香りのよい」という形容語は全て割愛して「熟れし」の一語に集約して、読者の想像に委ねざるを得ないのである。HAIKUでは詳細な記述がなされていも、俳句では簡潔な記述にしなければならない。逆に、俳句をHAIKUに翻訳する場合は語句を補充して、英語のHAIKUとして分かりやすくする必要があることが多い。

このように、HAIKUと俳句の翻訳においては、言語間の障壁をいかに乗り越えるか、チャレンジすることに面白さがある。

2014年7月22日 (火)

俳句・HAIKU 言語の壁を破るチャレンジ(4)

   

今回は松尾芭蕉の有名な句「閑かさや岩にしみ入る蟬の声」の英訳を取り上げる。

   

「百人百句」(大岡信著、講談社)のこの句についての解説を抜粋すると:

蟬の声が物理的に岩にしみ入ることはあり得ない。しかし、まるであり得たごとくに詠んでいるし、それ以上にあり得るのは当然だと読めてくる。それでいて少しも不自然ではない。この句の特色の一つは、S音が「し、さ、し、せ」と断続的にあらわれて、「しみ入る」という感覚を非常によく表現していることである。さらにまた、「しみ入る」は日本の詩歌の美意識のもっとも重要な鍵を握っている言葉の一つでもある。 ・・・・・・「しみ入る」だけではどこまでしみたのかがわからない。そこに深さの魔術があり、芭蕉の俳句の魅力がある。 ・・・・・・この句が傑作であり、芭蕉の代表作たる所以である。・・・・・

   

そこで、英訳にどんなものがあるだろうかとインターネット検索をすると、次のものが見つかった。

    

(「おくの細道」ドナルド・キーン訳 講談社インターナショナル)

How still it is here—

Stinging into the stones,

The locusts' trill.

 

この翻訳では、「しみ入る」を「stinging into」に翻訳し、「岩」を「stone」に翻訳しているので、本当にドナルド・キーンの翻訳なのか信じられなかった。これなら自分が翻訳した方が増しだろうと思いながら更に検索したところ、次のサイトで別の翻訳が紹介されているのが見つかった。

 

道浦俊彦・とっておきの話

ことばの話1341「セミの鳴き声」

such stillness-  
the cries of the cicadas
 
sink into the rocks.

ドナルド・キーンさんのこの翻訳に納得したので、敢えて自分が試訳をするには及ばないと思う。

   

因みに、「しみる」を新和英大辞典第5版(株式会社研究社)で見ると、

〔液体などが物の内部に入り込む〕 go right inside deep into…]; soak sink into; permeate; infiltrate; penetrate; pierce」とあり、

一方、「sting」は、新英和大辞典第6版(株式会社研究社)には、

他動詞として、「(昆虫の針・植物の刺毛(しもう)などで)刺す」とあり、

自動詞として、「とげがある, 針がある; 針[とげ]で刺す, 刺す力がある」

とあり、「しみ入る」の翻訳として「sting」はいかにも不適切であるが、ドナルド・キーンさんはこの句をどのように解釈したのだろうか? 何か特別の意図があったのだろうか? 原典を見たいものである。

    

なお、「Haiku Topics, Theory and Keywords」というサイトに様々な翻訳が紹介されているが、上記の「such stillness- the cries of the cicadas sink into the rocks.」が最も良いと思う。

2014年7月19日 (土)

ソラちゃんとニコちゃんと仲良しになったよ!

今朝シュライン通りで4か月ぶりにソラちゃんとニコちゃんに会ったので一緒に写真を撮って貰ったよ。

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Sn3u0963

2014年7月18日 (金)

スバルちゃんに会ったよ!

シュライン通りでスバルちゃんに会いました。主人がチュヌと一緒に写真を撮ろうとしたのだけれど、チュヌは早く食事をしたくて、うろうろしたので、スバルちゃんだけの写真になりました。スバルちゃんはもうすぐ12歳になるそうです。

Sn3u0959

Sn3u0951

Sn3u0952

先輩の川柳 (続1)

4か月ぶりに、先輩(西宮在住の前川淳さん)の川柳(7句)を披露させて頂きます。

・高尚な方と一緒の飯の味

・プロの打つ釘の頭は潰れない

・大法螺の口の綻び縫うている

・詩心湧く終着駅の町の色

・浮世離れの首が浮いてる露天風呂

・少しゆがんだぞモナリザの微笑

・無くせない戦を思う葉月来る

俳句・HAIKU 言語の壁を破るチャレンジ(3)

正岡子規の「鶏頭の」句の評価や解釈について、興味があったのでウィキペディアを見ると様々な説を紹介している。 

例えば、大岡信の解釈の記述について抜粋すると:

「ぬべし」という、完了および強意の「ぬ」に推量の「べし」が結びついた語法が客観写生の語法とは言えず、「現在ただいまの景を詠む語法としては異様」として上の説の傍証としている[21]

とあるが、その後の解釈について次の解説がある:

しかし林桂は、大岡の説については「ぬべし」が「現在に対する語法としては異様」だという説に根拠がなく、辞書の用例等から考えてむしろ過去に向けて使うものとする考えのほうが異様であること、また坪内の論についてはそもそも子規邸の鶏頭が黄の種でもありえたこと等をそれぞれ指摘し反論を行っている(「鶏頭論」「未定」1979-1980年)[22]

近年では前述の坪内が「鶏頭の句は駄作」(「船団」20093月)において、子規という作者の人生を読み込まなければ「語るに足らない駄作」であると明言し、もし句会にもういちど作者の名を消して出したとしても末期の存在感のようなものは感じ取れないだろうと書いている。これに対し高山れおなは「子規の人生とセットにすることでそこに感動が生まれるならセットにしておけばよいではありませんか」と評し、またそもそもこの句が投じられた句会ではほかにも子規は鶏頭の句を出しているのだから、この句だけが選ばれ議論されているのは何故なのかということこそ考えねばならないという趣旨の批判を行った[23]。またこのやりとりに関して山口優夢は、むしろ鶏頭というものに対して「十四五本」という、それまでにない言い表し方がぴったり合っていたということが、この句が残った理由であり句の核心ではないか、という見方も示している[24]

   

        

    

また、どなたのホームページかよく知らないが、上記の諸説の要約らしき記事のサイトがあった。

   

   

    

以上のような様々な説を踏まえて、今回は正岡子規の「鶏頭の」句の英訳に挑戦する。

    

HIAに掲載されている英訳

cockscombs
must have been fourteen or fifteen
blooming over there

である。

また、インターネットでたまたま見かけたホームページの「Haiku in English on Sundayには次の英訳があった:

Cockscombs
There must be fourteen
Or fifteen

 

いずれもcockscombs冠詞なく曖昧模糊として気色が悪いが、冠詞は省略されたのだろうか?

簡潔にするためには冠詞を省略すればよいという考え方があるが、現に見ているものや心に抱いているものを詠んでいる場合は、名詞が複数でも対象が全体として特定されているのだから定冠詞を付けた方が明瞭でよいと思う。HIAのホームページにある「英作ハイク 入門編 4回ワンポイント・英作ハイク」(宮下惠美子)参照。

   

    

そこで、この句は現に見ている鶏頭を詠んだものとすれば、

the cockscombs

there must be fourteen or fifteen

in bloom

 

と英訳すればよいのではないか? 

また、咲いていた鶏頭のことを思い出して詠んだものとすれば、

the cockscombs

there must have been fourteen or fifteen

in bloom

 

日本語と俳句をよく理解しているnative speakerの意見・コメントを是非伺いたいものである。

2014年7月16日 (水)

俳句・HAIKU 言語の壁を破るチャレンジ(2)

今回は中村草田男の代表句の英訳に挑戦する。

    

・万緑の中や吾子の歯生えそむる

    

この句について、山本健吉は「定本 現代俳句」において次のように解説している(抜粋):

……「万緑」を季語として確立した功績は草田男に帰すべきである。……「万緑の中や」---粗々しい力強いデッサンである。そして、単刀直入に「吾子の歯生えそむる」と叙述して、事物の核心に飛び込む。万緑と皓歯(こうし)との対象---いずれも萌え出ずるもの、(さか)んなるもの、創り主の祝福のもとにあるもの、しかも鮮やかな色彩の対比。(みどり)したたる万象の中に、これは仄か(ほの)にも微かな嬰児の口中の一現象がマッチする。生命力の讃歌であり、勝利と歓喜の歌である。

    

     

また、「季語めぐり ~俳句歳時記~は「万緑」について次のとおり解説している(抜粋):

王安石の詠んだ「万緑叢中紅一点()」など、万緑の語はもともと漢詩に用いられていたが、中村草田男の次の一句()により、俳句の季語として定着した。

(※1 「ばんりょく・そうちゅう・こういってん」と読む。「見渡す限りの緑の中に赤い石榴(ざくろ)の花が一輪咲いている」という意味だが、今では大勢の男性の中に女性が一人という意味で、紅一点の部分が使われる。()上記の句)

・・・・・・万緑という季語からむせかえるような生命のエネルギーがあふれ出ていて、圧倒されるような感じを覚える・・・・・・ また、小さな「吾子の歯」に凝集された命の尊さのようなものを強く感じる・・・。 ・・・・・・生命力の満ちあふれた空間とその中に置かれた小さな命の対比、深い緑とけがれない白の対比が鮮やかです。

     

    

上記のような解説に照らすと、HIAに掲載されている英訳

along with spring leaves
my child's teeth
are coming in

は物足りず、草田男に申し訳ないと思う。「万緑」を夏の季語として確立したといわれる句であるから、「spring leaves」は不適切だろう。

    

吾子が男の子とすれば、次のように英訳すれば原句のニュアンスが訳出できるのではないか?

amid the myriads of green leaves_

my child is sprouting

his first tooth

または、

myriads of green leaves_

the first tooth of my child

has sprouted

または、

the myriads of green leaves_

the first tooth of my child

has sprouted.

    

ここで原句を文字通りに次の如く英訳することには抵抗を感じる。日本語は本来情緒的な面があり、切字「や」の効果が効いているので原句の記述の仕方に論理的な抵抗を感じないが、HAIKUとして冒頭にamid付けて原句を直訳すると、論理の飛躍が大きすぎてしっくりしない。

amid the myriads of green leaves_

the first tooth of my child

has sprouted.

   

    

日本語と俳句をよく理解しているnative speakerの意見・コメントを是非聞きたいものである。

俳句・HAIKU 言語の壁を破るチャレンジ(1)

俳句・HAIKU言語の壁」というタイトルのブログを書いたが、芭蕉の俳句「古池や」にも様々な英訳があることから、著名な俳句の英訳を自分なりにしてもよいだろうと考え、俳句翻訳における言語の壁を破るチャレンジをしたくなった。今回はその第1回目である。

   

まず、HIAの名句選・鷹羽狩行選の例を取り上げさせていただく。

   

・啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々

水原秋櫻子の代表句の一つといわれるこの句について、山本健吉は「定本 現代俳句」において次のように解説している:

この句の感触には、いつまでも色あせない瑞々しさがある。このような句で「牧」と言うと、日本流の牧場よりも西洋流のmeadowといった印象を受けるから不思議である。高爽な清澄な晩秋の空気さながらに美しい風景句として現出する。「落葉をいそぐ」というのも美しい言葉だ。葉を落とした木肌に、啄木鳥が叩いている姿があらわなのである。

   

この山本健吉の解釈を考慮すると、HIAに掲載されている英訳:

woodpecker——
leaves quickly fall
in the meadow

は曖昧模糊としてしっくりこない。例えば、牧場の木にたまたま啄木鳥が見えたのだとすると、次のように英訳したらどうだろうか?

a woodpecker -
the meadow tree shedding
the leaves in haste

   

あるいは、啄木鳥の音を聞いて牧場の木を見たのだとすると、次のように英訳してはどうか?

the sound of a woodpecker -
the meadow tree shedding
the leaves in haste

     

次に、山口誓子の俳句を試訳する。

 

・夏草に汽罐車の車輪来て停る

 

この句について、山本健吉は「定本 現代俳句」において次のように解説している:

山口誓子の近代俳句の一例である。おそらく大阪駅の引込線に汽缶車が来て止まったのだろう。線路の傍には夏草が生えていて、それに車輪が触れんばかりなったのだろう。汽缶車が止まったと言わず、「汽缶車の車輪」が来て止まったと言ったことに、作者の即物的実感が生々しく出ている。これも動詞終止形止めの典型的な表現である。

   

この山本健吉の解釈を考慮すると、HIAに掲載されている英訳:

summer grasses——
the wheels of the locomotive
come to a stop

はいまひとつぴんと来ない。「come to a stop」は単に「止まる」という意味だから、原句の特徴を十分訳出していない。次のように英訳してはどうか?

above the summer grasses
wheels of the locomotive have appeared
and stopped

   

むしろ、次のように簡潔にしてよりハイクらしくした方がよいかもしれない。

the summer grasses_
wheels of the locomotive have appeared
and stopped

   

因みに、後藤夜半の俳句「滝の上に水現れて落ちにけり」の英訳:

above the waterfall
water revealed
becomes waterfall

が同じ名句選に掲載されているが、この原句は上記の山口誓子の句と描写の仕方が似ている。

「落ちにけり」の「に」は助動詞「ぬ」(動作・作用が自然と推移し、完了することを表す)の連用形であり、助動詞「けり」は広辞苑の解説⑤「時を超越してある事実が存在することを述べる」に該当するのだろう。

そこで、原句のニュアンス(水の動きを生き生きと表現している)を訳出出するには次のように簡明に翻訳した方がよいのではないか?

  

above the waterfall
water appears and
falls

または、

the water appears

above the waterfall 

and falls

   

         

    今後も随時俳句の英訳にチャレンジしたいと思っている。このブログをご覧になった方から忌憚ないご意見・コメントを賜りたい。

2014年7月14日 (月)

パラスちゃんに会ったよ!

ウッディタウン南のコーナンの下の遊歩道で可愛いパラスちゃんに会ったよ!

パラスちゃんは4歳の女の子です。

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2014年7月13日 (日)

俳句と川柳と特許 (Haiku・Senryu・Patent)

定年退職1年後に胃癌の全摘手術をし、療養中のなぐさみに俳句を始めた。元気になってから、亡父の縁もあり義父が会員でもあったホトトギス系の「花鳥」に投句し始めた。

どんな句が良いか、評価は人によって異なるが、初心者でも良い句に恵まれることがある。関東から関西に転居し、芦屋のホトトギス俳句会に初めて参加した時、出席者約150人・投句約600句の中から私の句「野分去り俄か樵となりにけり」が特選5句の一つに選ばれたことがある。この句は年老いた姉が一人で大きな屋敷を守っているので、台風で折れた庭木の整理をしてやった時に詠んだものである。スナップ写真や日記と同じように、俳句は生活を潤いのあるものにし、思い出になれば良いと思って句作を楽しんでいる。

川柳は会社の同期の「虫食い川柳」の主宰に勧められて始めた。不器用な私には俳句と川柳の使い分けが難しいだろうと初めは躊躇していたが、仲間が楽しそうにしているのを見て始めることにした。私の川柳の中で気に入っているのは、互選で最高点をもらった「我が鼾とがめて妻は高いびき」である。川柳も人によって好き嫌いがあると思うが、俳句よりわかりやすく、大勢でワイワイ楽しむのに適している。

特許明細書は発明特許の権利範囲を明確にするものであるあるから、その英訳をするには文法的にも内容的にも細心の注意を要する。俳句も特許翻訳も始めてからもう十数年になる。よい俳句やよい特許翻訳ができると楽しい。殊に、長文の難しい明細書の翻訳を完成した時の喜び・達成感は格別である。

俳句は日本の伝統文化・日本語あってのものだから英語で作る気にはならなかったが、「世界で最も短い詩」であるとして俳句に興味を持っている親日家の外国人も少なからずいる。俳句の翻訳は特許の翻訳と違った面白さがある。余技としてチャレンジして国際交流をするのもよいと最近思い立って国際俳句交流協会に入った。

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チュヌはシャンプーしてもらったよ!

coldsweats01 チュヌは久しぶりにシャンプーしてもらい、すっきりしたよ! happy01

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2014年7月10日 (木)

チュヌはまたダウンした ……でも治ったよ!

sad チュヌは暑さのせいか、またダウンして食欲減退したので主人に皮下注射の点滴をして貰いました。

ラクトリンゲル液 フソー」とかいう輸液で体液の塩分のバランスを調整するのだそうです。それが効いたのか、今朝は以前の食欲が戻ってきました。食後の一眠りを雨上がりの芝生でしました。happy01

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2014年7月 7日 (月)

VoSu841(ボスやよい)懇親会に初参加

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6月22日にコミセンで開催されたVoSu841の懇親会にチュヌの主人は初めて参加しました。

VoSu841は「弥生が丘(841)をサポート(Su)するボランティア(Vo)」の略称で、「8」は「末広がりの未来」「41」は「住よい弥生が丘」の意味もあるそうです。

自治会長の福井さんのご挨拶によると、弥生小の法面の緑化事業・機械刈のボランティア活動を数人で始めたのがこの会の発端だそうですが、今は100名以上のメンバーになり様ざまな活動をしているとのことです。その活動の一つとして、現在「てらこや」で学習支援(小中学生の算数・数学)をしているそうです。将来は「英語」の学習支援もしたいと計画しているとのことですが、現在協力の申し出が4人もあるとのことです。

「子供たちが将来世界に発信できる大人になるよう、成長に合わせて英語の力や物の考え方を身に付けるよう指導したい」とチュヌの主人も協力することを考えています。

弥生が丘自治会の活動状況はここをクリックしてご覧下さい。

物の考え方については「チュヌの便り」の「LOVEを実践しよう」をご覧下さい。

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子供の教育について考える

チュヌの主人はVoSu841の「てらこや」のことで子供の教育について考えている時に、たまたま自分の考えと同じ考え方をしている塾の記事をインターネットで見かけました。この塾の考え方のポイントは下記の3つで、子供の教育を促進するためには、子供が興味を持って自ら勉強するように勉強の目的を明確にして、勉強する意欲を刺激してやり、それぞれの子供に会った教育をしてやれば良いという主人の考えと一致しています。主人は学力のみならず人間としての生き方・ものの考え方を身に付けさせることが大切であると考えています。

「……大切なことは3つ。1つめは「やる気を引き出す」こと。「勉強は面白い。目の前にはすばらしい世界が待っているよ」と語りかけ「頑張ろう」と思うように方向づける。 2つめは「本人に合う学習方法を工夫して、それを大量にこなす」こと。 3つめは「比べない」こと。……」

記事の詳細は、ここ(education.docxをダウンロード)をクリックしてご覧下さい。

物の考え方については、「チュヌの便り」の随想「LOVEを実践しよう!」(幸せな人生を送るための16個のキーワードをLOVEに当てはめて解説しています)をご覧下さい。

2014年7月 5日 (土)

チャミちゃんに会ったよ!

チュヌは足が痛くなって南ヶ丘の病院でレントゲン検査をして貰った。

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捻挫や脱臼はなく、痛み止めの薬を飲んで様子を見ることになった。

待合室に可愛いチャミちゃんが抱っこされていたので写真を撮って貰った。