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(31) この路を我等が行くや探梅行 (S2. 1927年)
(konomichiwo wareragayukuya tanbaiko)
this road
we’ll take, to find
plum blossoms
(32) 群雀鳴子にとまる朝ぼらけ (M24. 1891年)
(muresuzume narukonitomaru asaborake)
a group of sparrows
perch on a rattle-scarer_
daybreak sunlight
(haruoshimu rinnenotsukihi madoniari)
the sun and the moon,
transmigrating in the window_
I treasure the spring
(ippenno rakkamiokuru sizukakana)
watching a petal of cherry-blossoms
falling down_
what a silence!
(35) この庭の遅日の石のいつまでも (S2. 1927年)
(kononiwano chijitsunoishino itsumademo)
the stones of this garden
in a lengthening day
will lie forever
Terebess Asia Online (TAO) に掲載されている下記の英訳は語順が不適切で原句の句意を訳出していない誤訳です。
この翻訳を日本語に直すと、「この庭の石は遅日の中にいつまでも」というナンセンスな意味になり、誤訳です。
The rocks in this garden
Remain forever
In the lengthening days of spring
(36) やり羽子や油のやうな京言葉 (S2. 1927年)
(yarihagoya aburanoyouna kyoukotoba)
“yarihago” shuttlecock_
the oily sound of
Kyoto accents
「Terebess Asia Online (TAO)」に掲載されている次の英訳は不適切です。「やり羽子」を「Battledore and shuttlecock」(「バトミントンの前身」)と翻訳しているので、「着物姿の女性が京言葉で羽根突きをしている情景」も想像できず、「季語」にならないでしょう。また、「:」(コロン)で「切れ」を表示してるのも不適切です。
Battledore and shuttlecock:
The Kyoto accent sounds
As if the words were oiled
(37) えりもとをなぐるやうなり秋の暮 (M24.
(erimotowo naguruyounari akinokure)
I feel as if
my neck were beaten with
the autumn evening
上記の英訳は「高浜虚子の100句を読む」における坊城俊樹氏の解釈と異なります。句意が不明瞭な俳句については、「解釈・翻訳が創作になるのもやむを得ない」とご理解下さい。
(38) 何となくあたり淋しき爐を開く (M24.
(nantonaku atarisabishiki rowo hiraku)
I open the hearth_
unaccountably lonely
around it
(39) 咲き満ちてこぼるる花もなかりけり (S3. 1928年)
(sakimichite koboruruhanamo nakarikeri)
cherry blossoms
in full bloom_
no petals falling
(funekishini tsukebayangini hoshihitotsu)
the boat reached the shore,
I found a willow,
above it, a star
この俳句は(19)と重複しているので異なる英訳にしたが、読者にはどちらの方が良いと思われるだろうか?
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