SNS世代に俳句の楽しさ・面白さを知ってほしいと、 漫歩・万歩・SNSで楽しむ 「まんぽ俳句会」を始めました。 ・気の合ひし句友と談義年忘れ (薫風士) http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2019/11/post-d2ef-1.html をご覧下さい。 ご投稿をお待ちしています。 (薫風士)
「俳句の向こうに昭和が見える」で 坪内稔典氏は高浜虚子の俳句を誤った解釈で紹介しています。 著名な俳句の先生に間違った解釈を広められては困ります。 俳句雑感(4): 高浜虚子と坪内稔典(俳句は詠み人・読み人次第) http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2019/04/post-4941.html をご覧下さい。
新元号は初めて万葉集を出典にして「令和」と決定されました。 世界平和への思いを込めて「令和」の俳句をブログにしました。 「新元号祝ひ『花見』の俳句詠む」 http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2019/04/post-e976.html をご一読下さい。
俳句界のみユネスコ無形文化遺産登録の運動を推進しているのは片手落ちだと思い、 「俳句と川柳: 根本的な違いは何か?」 http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2018/12/2-0408.html をブログに書きました。 川柳界も俳句界と協調して川柳と俳句を一緒に世界遺産に登録すべく運動を推進して頂ければ嬉しいです。
「野煙るエッセイ:関東大震災と俳句」に次の記述がある(抜粋)。 「大震災に際してこのような体験をした虚子は、大震災の俳句をいっさい残していません。虚子は俳句など短詩にはそれぞれサイズに応じた適所持分があるとしており、後に起こった太平洋戦争や原子爆弾についても俳句を詠んでいません。また、震災忌、敗戦忌、原爆忌を季語として認めていなかったそうです。」 (詳細は下記URLを参照。) http://tokyoweb.sakura.ne.jp/noyaki/essay/shinsai_haiku/shinsai_haiku.html 上記のように虚子は「サイズに応じた適所持分」ということを認識している。虚子は俳句を極楽の文芸と考えていたばかりでなく、稔典さんのいう「片言性」を認識していたからこそ戦争や大地震を俳句の題材にすることを拒否したのだろう。
俳句談義(12)において、「高浜虚子の俳句は『色即是空』の観念を視点にして解釈すると納得しやすい」ということを述べた。 穿ち過ぎかもしれないが、虚子が高野素十の俳句「朝顔の」句評を書いた時にウイリアム・ブレイクの下記の詩も念頭にあったのではなかろうか? To see a World in a Grain of Sand And a Heaven in a wild Flower Hold Infinity in the palm of your hand And Eternity in an hour 一粒の砂に世界を見、 一輪の野の花に天国を見る 手のひらに無限をつかみ、 一瞬のうちに永遠をとらえる
高浜虚子は「俳句とはどんなものか」という解説も書いている。 下記のURLをクリックすると全文がご覧になれます。 http://www.aozora.gr.jp/cards/001310/files/55509_53180.html
コメント:俳句談義(11):「甘納豆」と「おでん」と「俳句」
俳句の比喩と掛詞《白鳥》
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/haiku/
をご覧下さい。 (薫風士)
「猿回し」《季語とは何か》
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2022/12/post-63ec.html
をご覧下さい。 (薫風士)
俳句《水澄む・秋澄む・秋水》
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2022/10/post-7f03.html
をご覧下さい。 (薫風士)
苔の花
「四季の雲(折々の写真・俳句)《早春・春の雲》」
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2022/02/post-06b7.html
をご覧下さい。 (薫風士)
SNS世代に俳句の楽しさ・面白さを知ってほしいと、
漫歩・万歩・SNSで楽しむ
「まんぽ俳句会」を始めました。
・気の合ひし句友と談義年忘れ (薫風士)
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2019/11/post-d2ef-1.html
をご覧下さい。
ご投稿をお待ちしています。
(薫風士)
「俳句の向こうに昭和が見える」で
坪内稔典氏は高浜虚子の俳句を誤った解釈で紹介しています。
著名な俳句の先生に間違った解釈を広められては困ります。
俳句雑感(4): 高浜虚子と坪内稔典(俳句は詠み人・読み人次第)
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2019/04/post-4941.html
をご覧下さい。
新元号は初めて万葉集を出典にして「令和」と決定されました。
世界平和への思いを込めて「令和」の俳句をブログにしました。
「新元号祝ひ『花見』の俳句詠む」
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2019/04/post-e976.html
をご一読下さい。
俳句界のみユネスコ無形文化遺産登録の運動を推進しているのは片手落ちだと思い、
「俳句と川柳: 根本的な違いは何か?」
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2018/12/2-0408.html
をブログに書きました。
川柳界も俳句界と協調して川柳と俳句を一緒に世界遺産に登録すべく運動を推進して頂ければ嬉しいです。
「野煙るエッセイ:関東大震災と俳句」に次の記述がある(抜粋)。
「大震災に際してこのような体験をした虚子は、大震災の俳句をいっさい残していません。虚子は俳句など短詩にはそれぞれサイズに応じた適所持分があるとしており、後に起こった太平洋戦争や原子爆弾についても俳句を詠んでいません。また、震災忌、敗戦忌、原爆忌を季語として認めていなかったそうです。」
(詳細は下記URLを参照。)
http://tokyoweb.sakura.ne.jp/noyaki/essay/shinsai_haiku/shinsai_haiku.html
上記のように虚子は「サイズに応じた適所持分」ということを認識している。虚子は俳句を極楽の文芸と考えていたばかりでなく、稔典さんのいう「片言性」を認識していたからこそ戦争や大地震を俳句の題材にすることを拒否したのだろう。
俳句談義(12)において、「高浜虚子の俳句は『色即是空』の観念を視点にして解釈すると納得しやすい」ということを述べた。
穿ち過ぎかもしれないが、虚子が高野素十の俳句「朝顔の」句評を書いた時にウイリアム・ブレイクの下記の詩も念頭にあったのではなかろうか?
To see a World in a Grain of Sand
And a Heaven in a wild Flower
Hold Infinity in the palm of your hand
And Eternity in an hour
一粒の砂に世界を見、
一輪の野の花に天国を見る
手のひらに無限をつかみ、
一瞬のうちに永遠をとらえる
高浜虚子は「俳句とはどんなものか」という解説も書いている。
下記のURLをクリックすると全文がご覧になれます。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001310/files/55509_53180.html