コメント:

・長き夜や俳句ブログに思い込め

(俳句と川柳) <衆院選> 第101代総理大臣への期待 (「吾亦紅」と「夜長」に思うこと)
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2021/10/10-d078.html
をご覧下さい。 

(薫風士)

上記のブログの中で
「『目を奪い命を奪う諾と鷲  虚子』(以下省略)
(詳細はここをクリックしてご覧下さい。)」と書きましたが、
その後クリックすると、文字化けして読めないことが分かりました。
下記のURLをクリックしてご覧下さい。
http://carecopain.gooside.com/akukyou.htm
(「チュヌの主人」こと、木下聰)

「俳句への道」における虚子の記述「私はかつて極楽の文学と・・(省略)・・俳句は花鳥諷詠の文学であるから勢い極楽の文学になるという事を言った。」にある「かって」とは昭和22年であり、緒方句狂の亡くなる前年である。
このことから、虚子が俳句を「極楽の文学」というようになったきっかけは、俳句を通じて緒方句狂を知ったことにあると言えるだろう。

稲畑汀子さんの「虚子百句」を読み返して、掲句について次の記述があることに気づいた。
「昭和21年、虚子73歳の作である。・・・(省略)・・・
句意は説明するまでもないだろう。『珍しく暖かい日に、ふと見ると黄色い蝶が風に乗ってどこからともなく庭の面に現れた』と虚子は書いている。初蝶の訪れを見た主客の心の踊りが、珍しい対話形式で構成された一句によって生き生きと表現されている。
・・・(省略)・・・
虚子はこの後も存問を深めて、遂には『極楽の文学』という思想に逢着するのであるが、救済する相手が不在のモノローグの俳句ではそれが成立しないことは自明の理であろう。ちなみに虚子が『極楽の文学』を最初に書いたのは昭和22年3月であった。」
上記の汀子さんの記述は「昭和22年、句集『由布』に寄せた高浜虚子の序文」とタイミングなどがよく合っている。虚子は『珍しく暖かい日に、ふと見ると黄色い蝶が風に乗ってどこからともなく庭の面に現れた』と書いているとのことであるが、庭に来た黄蝶をみて、緒方句狂との対話を思いだしてこの句を作ったのではなかろうか?

高浜虚子の人間性を知ろうと思ってインターネットを検索していて、
「緒方句狂」のことを知り、虚子の人間性の一端を知るのに参考になった。
そこで、大胆な推測をしてこのブログを書いたが、
的を得ているかどうか、興味を持って模索を続けている。