「バラ・ばら・薔薇」 <俳句と写真(特集)>
今年も5月22日にフラワータウン・弥生が丘の高木邸のバラの庭で恒例のチャリティ・オープンガーデン・ミニコンサートが開催された。(コンサートの紹介を兼ねて即興の拙句を2句下記にあげるが、演奏や庭の写真など詳細に興味のある方はココをクリックしてご覧下さい。)
(青色文字をクリックすると俳句の詳細や写真などをご覧になれます)
薔薇の俳句と写真をインターネットで検索すると、歳時記の「バラ」の俳句は「雨宿りしてしばらくはバラの前(山口青邨)」など84句あるが、現代俳句が多い。
伝統俳句はカタカナより漢字を好む傾向があり、「薔薇」を用いた俳句は1,200句余り掲載されている。
「薔薇(1)」の冒頭には、中村草田男の俳句「寫眞の中四五間奥に薔薇と乙女」がある。この句の鑑賞には「増殖する歳時記」の清水哲男氏の句評が参考になる。
「薔薇(2)」の冒頭には正岡子規の句「薔薇の香の紛々として眠られず」がある。
余談だが、「紛々・俳句」を検索すると、「俳句美への選択」(立川淳一)という興味深い電子ブックがあった。また、「薔薇・紛々」を検索すると、芥川龍之介の小説「女」(青空文庫)のサイトがあった。
「薔薇(3)」の冒頭には中村草田男の句「手の薔薇に蜂来れば我王の如し」(吹越)がある。
この句の解釈に参考になる句評を探すために「薔薇・王」を検索すると、「薔薇王の葬列」という菅野文による日本の歴史・ファンタジー漫画(ウィリアム・シェイクスピアの史劇『ヘンリー六世』及び『リチャード三世』を原案とした作品[1])の紹介記事があった。
「薔薇(4)」の冒頭には、中村草田男の句「咲き切つて薔薇の容を越えけるも」(美田)がある。
ちなみに、「薔薇の容」を検索すると、伊勢神宮のバラ園や神代植物公園の「春のバラフェスタ」などのサイトがあった。
薔薇(5)の冒頭には「瞑るは見ることのため薔薇の花」(秋山牧車)があり、薔薇(6)の冒頭には「薔薇買って帰れば何か言はれさう」(山口俊平・博士)がある。
薔薇(7)の冒頭には「薔薇熟れて空は茜の濃かりけり」(山口誓子)がある。
なお、「575筆まか勢」には深見けん二氏の俳句「薔薇園の薔薇よりも濃き夕茜」があるが、目についた面白い句を下記に挙げる。
・薔薇ちるやいちごくひたき八ツ下り (正岡子規)
(コトバンクによると、「八つ下がり」は「八つ過ぎ」、すなわち、「午前2時、または午後2時を過ぎること。また、その時分。」であるが、「古くなって色などがさめること。また、そのもの。」の意味もある。)
・薔薇ちるや天似孫(テニソン)の詩見厭(あき)たり (夏目漱石 明治三十六年)
・薔薇に付け還暦の鼻うごめかす (西東三鬼)
・己れ刺あること知りて花さうび (高浜虚子)
・薔薇匂ふはじめての夜のしらみつゝ(日野草城)
・薔薇園一夫多妻の場を思ふ (飯田蛇笏)
ハウステンボスのホ-ムページを見ると、「2000品種、120万本のばら祭」とある。興味ある方はここをクリックしてご覧下さい。