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2015年5月

2015年5月31日 (日)

俳句談義17: 高浜虚子の俳句「敵といふもの」の「敵」とは何か?  <俳句談義と政治談議>

                     

高浜虚子は「敵といふもの今は無し秋の月」という句を終戦の年に作っている。

掲句の「敵といふもの」は何を意味するのだろうか?

少なくとも二通りの解釈が出来る。

文字通りの解釈は、「太平洋戦争における敵」である。

もう一つの解釈は「『鬼畜米英』と喧伝する者」である。

   

戦中は、戦意高揚や本土決戦に備えるために女性も藁人形を相手に『鬼畜米英』と叫びながら『竹やり訓練』をさせられた。

当時は反戦的なことを言うと「売国奴非国民敵のスパイなどとレッテルを貼られ、憲兵に逮捕されることを恐れたのである。「そんなことを言うと憲兵が来る・・・」と子供心に心配して祖母の愚痴に注意をしたことなどを思いだす。

    

安倍さんは朝日新聞の記者の質問「就任後初の参拝。どのような思いで参拝しましたか。」に対し、次のように答えている。

「本日、靖国神社に参拝した。日本のために尊い命を犠牲にされたご英霊に対し、尊崇の念を表し、そして御霊(みたま)安かれ、なれと手を合わせて参りました。・・・(省略)・・・不戦の誓いをいたしました。」(2013.12.26

      

安倍さんも「日本のため」を思って「不戦の誓い」をしたに違いない。

だが、その「不戦の誓い」が実現する保証はないのだ。

靖国神社に祀られている当時の指導者・戦争責任者の「日本のために」という強い思いが戦争を引き起こし、多大の犠牲を生じたことは歴史が証明している。                       

   

自民党のホームページに「不戦の誓いを守り続ける そして、国民の命と平和な暮らしを守り抜く 平和安全法制」とある。この趣旨・目的には誰も反対しないだろう。

大切なことは「法律がその趣旨・目的に名実ともに合致していること」である。法律は条文が一見して問題が無くても、実際に適用する場合に問題が生ずるような曖昧なものであってはならない。 

   

「平和安全法制の整備のための法案」について「本当に大丈夫なの?」と懐疑的な人が多いだろう。日中戦争太平洋戦争犠牲者など戦争の悲惨さ・無意味さを知っている人は特に懐疑的になるだろう。

自民党公明党協力を得て、『平和安全法制の整備のための法案』によって実質的に憲法を改正しようとしている。」と不安に思っている人は多いだろう。

   

5月28日に開催された「平和安全保障委員会」の衆議院インターネット中継を見ると、安倍さんは「丁寧に説明している」と言いながら、無駄な繋ぎの言葉や形容詞を付けて長々と早口で発言しているから、何を言っているのか分からない。

真摯に国民の理解を得ようとしているとは思えない。

集団的自衛権を行使する判断基準となる「存立危機事態」とは何か?

一例や抽象的な説明の繰り返しを何度されても理解できない。

存立危機事態」の具体的な事例を挙げて、議論をすることが大切である。

具体的な例を挙げると国際的・政治的に支障が生じるというが、本当にそうだろうか?

どういう支障が生じるのか? まさか、「本音がわかっては困る」というのではないでしょう?

具体的に事例を挙げてこそ、「文字通り平和の維持・自衛のために武力行使をする」ための法改正であることの内外の理解が得られるのだ。

考えられる限りの事例を列挙し、誤解の生じないようにすべきである。武力行使の可能性の透明性を法律の条文に織り込んでこそ平和憲法下の法改正であるという信頼が確保できるのだ。

「今は具体的な事例が考えられない」とか、「今は実例として予想できるものが無い」というのであれば、急いで法改正をする必要が無い。そればかりか、「『平和安全法制』によって平和憲法を形骸化し、戦争ができるようにしようとしている」と判断されても仕方がないことになる。

「平和を維持するための武力行使、あるいは、自衛のための武力行使」が生ずる場合の事例を明確に例示して、内外の理解を得ることが先決である。

重要影響事態」の判断基準を明確にするためには、具体例を挙げる必要がある。安倍さんは「客観的・合理的に判断する」というが、そんなことはいうまでもないことである。「主観的・非合理的に判断する」というバカな指導者がいるだろうか? 安倍さんの崇拝する太平洋戦争当時の指導者も客観的・合理的判断をして戦争に突入したのではなかったのか? 

            

安倍さんは、今までのような国会審議で「国民のために丁寧に説明している」と本当に思っているのだろうか? 国民をバカにしているか、国会における審議を軽視している、などと言わざるを得ない答弁が多い。

野党は反対のための反対や挑発・揚げ足取りをするのではなく、冷静に実質的内容のある審議をするよう与党にもっと働きかける必要がある。

野党議員の今のような質問の仕方や与党議員の答弁の仕方では、国会審議の実のある成果が期待できない。

与党は「『丁寧な説明』と称して無用の抽象的美辞麗句を繰り返しておれば、時期が来れば多数決で原案どおり採択できる」と思っているのではないか?

いずれ多数決で法案が採択されることになるのであれば、野党のすべきことは、「与党の法案を修正し真に国民のためになる法律にする」ことである。反対のための反対をして審議をボイコットしているようでは国民の信頼を得られない。国民が納得できる国会審議を推進することが肝要である。国民が納得できる野党の要求を無視して、与党が強引に法改正の採択をすれば、次期選挙で野党が信任を得て政権を取ることになるだろう。

                    

   

2015年5月20日 (水)

俳句談義16:「こどもの日」・「母の日」に思うこと。

        

子供の日」と「母の日」にブログを書こうと思っていたが、「俳句談義(15)」で高浜虚子の俳句やオバマ大統領の俳句など、次々に書きたいことを思いつき、安倍首相の米議会における名演説に触れると「政治談議」にもなり日が過ぎてしまった。

お暇があればここをクリックして「俳句談義(15)」を是非ご高覧下さい。

   

歳時記の「こどもの日」の俳句は196句あり、

鯉幟」には352句もあり、鯉のぼり」には195句あった。

その中に、戦時中の母親の苦労を思い起こさせる句があった。

「あの頃も生めよ殖せよ鯉のぼり」 木島茶筅子

  

歳時記の「母の日」(「母の日1母の日2母の日3母の日4母の日5」)には合計約490句もある。

   

その中で興味を惹いたのは有馬朗人氏の俳句母の日が母の日傘のなかにあるである。

   

高浜虚子は「おやをもり俳諧をもりもりたけ忌」という句を作っている(「俳句談義(11)」参照)。

有馬さんの掲句の「母の日」も一種の「掛詞(かけことば)」であり、「同音異義語」・「同綴(どうてつ)異義語(いぎご)」の言葉遊びだろう。

有馬さんの掲句は、文字通りに解釈すると、「母の日」のプレゼントに日傘を贈ったことを詠んだ俳句かもしれないが、「母の日」に、「『母』という『日』すなわち、『私の太陽』ともいうべき「母」が『日傘』の中にいる。」という句意だろう。

もっと穿った解釈をすれば、「『母』なる『母国・日本』は『日米安保条約』に基く『』という『日傘』の中にある」という隠された句意があると言えるのではないか?

「バカなことを言うな」と御叱りを受けるかもしれない。

だが、「俳句談義(6)などで何度も述べているように、「『俳句の解釈』は『創作である』」と思って書いている。ご容赦頂きたい。

   

有馬さんは東京大学の総長や文部大臣科学技術庁長官などの要職を務められた。現在、国際俳句交流協会会長でもあり、俳句を国際的に広め、世界文化遺産に登録されるように努力をされているようである。

俳句に限らず、文化交流を通じて親日家が世界に増え、日本の平和・世界の平和が維持されることを祈っている。

だが、ただ祈っているだけでは望みは叶えられない。

次回は「政治談議」を主にブログを書くことにしたい。

   

   

2015年5月10日 (日)

俳句談義(15):                     「昭和の日」・「憲法記念日」と俳句

                          

4月29日は「昭和の日である。「昭和の日」の俳句や「みどりの日」の俳句は祝日が制定されてから間もないので例句が少ない。

歳時記の「憲法記念日」には山田弘子の俳句「国旗立つ憲法記念日のパン屋」など66句リストされている。

先日、東京新聞の「平和の俳句」募集に応募した友人の入選句のことなどを「俳句談義(14:俳句の片言性と二面性」に書いたが、友人が東京新聞のコピーを郵送してくれた。

入選した俳句とコメントの中で特に印象に残った二つを次に転載させて頂く。  

「青春の昭和切なし鰯雲」 斎藤けい(90)横浜市

 昭和19、兄は二度目の招集で南方へ、将来を約束した一つ違いの幼なじみは中国大陸へ出征した。終戦になっても二人はなかなか帰らず、鰯雲の浮かぶ秋空を見上げながら待ち続けた。終戦翌年の秋、兄は半袖の軍服にぼろぼろの靴を履いて、夜、人目を忍ぶように裏口から帰ってきたが、半年は放心状態だった。幼なじみは小さな箱になって戻ったが、中は石や砂だった。

    

上記コメントの最後にある「石や砂」は「本との出会い(2)」に書いたエッセイ集「尾曲がり猫と擦り猫と」の「石ころ」と同じである。

小学生(国民学校初等科)の頃、戦死者が級友のご家族だった場合だろうが、遺骨を白布に包んだ箱を胸に下げてご遺族の方が帰って来られるのを駅まで迎えに行ったことがある。遺骨だと思って恭しく頭を下げていたが、石ころであることが多かったのだろう。

夏の高校野球で「甲子園の砂」を球児が袋に詰めるニュースをよく見かける。感慨無量である。

「ウイキメディア」によると、「1941 - 1945」の大会は太平洋戦争のため取り止めになっている(1941年の第27回の回次は残る)。

    

・お手玉の小豆で赤飯父はゆく 桜井義男(80)東京都

 戦争中、もらった砂糖でお汁粉を作るため、姉二人のお手玉から小豆を取り出した。

二人は東京大空襲の夜にはぐれ、遺体も見つからなかったが、最後にお手玉をした姿を今も覚えている。友人の家もお手玉の小豆で赤飯を炊き、父親の出征を祝ったが、帰ってこなかったという。(以下省略)」

       

このブログを書いていて、「欲しがりません勝までは」ということが当たり前だったのか、無いことが分かっていたからか、特に強いられることもなく、ひもじいのを子供心に我慢をしていたことを思いだし、こみあげてくる感情に我知らず涙ぐんでしまった。

もったいないという気持ちは現在でも強く感ずる。当時は食べ物があれば何でも有難く食べるのが当然だった。現在は飽食の時代で、子供が食事の好き嫌いをするのが当然になっている。だが、食物アレルギーということもあるので、食べることを無理強い出来ない。

      

ちなみに、加藤楸邨は「火の奥に牡丹崩るるさまを見つ」という句を作っている。この句は大空襲で自宅が燃え崩れる様子を詠んだものであることは前書きで一応理解できるが、真の句意はわからない楸邨の言いたかったことは何か? 

大牧広氏は「楸邨が国民の呻きを牡丹に託したもの」であると解釈し、次のように述べている(抜粋)。

この「火」は当然焼夷弾による炎上させられた火である。紅連の炎の中に崩れてゆく牡丹、もしこれが人であったらこの世の最後の悲鳴を挙げたであろう。それも叶わず黙って焼かれていった牡丹、私はこの牡丹を作者が人間をイメージして詠んだような気がしてならない。何の罪もない一般国民があの忌わしい業火の中で命を落さなければならなかった時代。この国民の呻きを牡丹に託して詠んだと思えてならない。      

        

気の向くままにインターネットで検索していると、「思考の部屋」というサイトの「94歳の荒凡夫~俳人金子兜太の気骨~」という記事に兜太の次の俳句があった。

水脈(みお)(はて)炎天の墓碑を置きて去る

津波のあと老女生きてあり死なぬ

     

津波」の句は老女の生命力の逞しさを讃えているのだろうが、「貴重な若者の命は奪われたが老女はまだ生きている」という自然の不条理を皮肉を込めて表現していると解釈できないこともない。

    

また、「兼題『昭和の日金曜俳句への投句一覧」という櫂未知子さんのブログがあった。

ざっと見たところ80句以上掲載されていた。作者にとってはそれぞれの思いがあるのだろうが、句意の分からぬ句もある。俳句談義(14などで述べたように、所詮俳句は片言であるから、背景を知らない他人が理解できなくてもやむを得ない。     

   

日経新聞WEBを見ていると日米首脳会談の夕食会でオバマ大統領が次のような自作の俳句を披露している。

春緑 日米友好 和やかに(Spring, green and friendship/United States and Japan/Nagoyaka ni.)」。

ちなみに、オバマさんが「和やかに」と日本語を使ったのは親日・友好の意を表す意味もあったのだろうが、「和やか」は含蓄のある言葉でぴったり対応する英語が無いからでもあろう。研究社の「新和英大辞典第5版」で「なごやかな」を見ると、次の単語がリストされている。

〔穏やかな〕 mild; calm; gentle; 〔静かな〕 quiet; 〔平和な〕 peaceful; tranquil; serene; harmonious; 〔友好的な〕 friendly; 〔にこやかな〕 genial; amiable; 〔柔らかな〕 soft; congenial.

       

国際俳句交流協会では「俳句」が世界文化遺産に登録されるように努力しているが、俳句には言葉の壁があるので世界遺産登録は「和食」のように簡単ではない

         

中央日報」によるとオバマ大統領は乾杯に安倍首相の地元の酒「獺祭」(純米大吟醸720ミリリットル入り1本=3万2400円)を使っている。

日米首脳会談の動画(YouTube・FNN)はここをクリックしてご覧下さい。

   

獺祭」と言えば、正岡子規命日糸瓜忌」は「獺祭忌」ともいわれる。

高浜虚子は正岡子規が亡くなった夜に虚子も夜伽をしたことを次のように書いているが、「子規逝くや十七日の月明に」という句を詠んだ背景がよくわかる。  

「その十八日の夜は皆帰ってしまって、余一人座敷に床を()べて寝ることになった。どうも寝る気がしないので庭に降りて見た。それは十二時頃であったろう。糸瓜の棚の上あたりに明るい月が掛っていた。余は黙ってその月を仰いだまま不思議な心持に(とざ)されて暫く突立っていた。やがてまた座敷に戻って病床の居士を覗いて見るとよく眠っていた。

「さあ清さんお休み下さい。また代ってもらいますから。」と母堂が言われた。母堂は少し前まで臥せっていられたのであった。そこで今まで起きていた妹君も次の間に休まれることになったので、余も座敷の床の中に這入った。
 眠ったか眠らぬかと思ううちに、
(きよ)さん清さん。」という声が聞こえた。その声は狼狽(ろうばい)した声であった。余が蹶起(けっき)して病床に行く時に妹君も次の間から出て来られた。
 その時母堂が何と言われたかは記憶していない。けれどもこういう意味の事を言われた。居士の枕頭に鷹見氏の夫人と二人で話しながら夜伽(よとぎ)をして居られたのだが、あまり静かなので、ふと気がついて覗いて見ると、もう呼吸(いき)はなかったというのであった。

・・・(省略)・・・
 余はとにかく近処にいる碧梧桐、鼠骨二君に知らせようと思って(かど)を出た。
 その時であった、さっきよりももっと晴れ渡った明るい旧暦十七夜の月が大空の真中に在った。丁度一時から二時頃の間であった。当時の加賀邸の黒板塀と向いの地面の竹垣との間の狭い通路である鶯横町がその月のために昼のように明るく照らされていた。余の真黒な影法師は大地の上に在った。黒板塀に当っている月の光はあまり明かで何物かが其処(そこ)に流れて行くような心持がした。子規居士の霊が今空中に(のぼ)りつつあるのではないかというような心持がした。

 子規逝くや十七日の月明に

 そういう語呂が口のうちに(つぶや)かれた。余は居士の霊を見上げるような心持で月明の空を見上げた。
 両君を起こして帰って来て見ると母堂と鷹見夫人とはなお枕頭に坐っておられた。

・・・(省略)・・・

何事にも諦らめのいい女々しい事は一度も言われたことのない母堂も今外から戻って来た余を見ると急に泣き出された。余は言うべき言葉がなくって黙ってその傍に坐った。
(のぼ)(きよ)さんが一番好きであった。清さんには一方ならんお世話になった。」と母堂は言われた。それは鷹見夫人に向って言われたのであった。

(以下省略)」

(全文は青色文字「子規居士と余」をクリックすればご覧になれます。)

       

          

俳句談義(11)(「甘納豆」と「おでん」と「俳句」)において、俳句の片言性という問題に触れたが、正岡子規の「しぐるるや蒟蒻(こんにゃく)冷えて(へそ)の上にしても、子規が病気治療中蒟蒻湿布をしていて詠んだ句であることを知らなければよく理解できない。

    

高浜虚子は終戦に際して次の句を作っている。  

秋蝉も泣き蓑虫も泣くのみぞ   

この句について、増殖する歳時記には「秋蝉も泣き蓑虫も泣くのみか」となっているが、ミスタイプか? 

清水哲男氏は句評で次のように述べている(抜粋)。     

「作句時点は、敗戦の日から一週間を経た八月二十二日。このころ虚子は小諸に疎開しており、前書に「在小諸。詔勅を拝し奉りて、朝日新聞の求めに応じて」とある。掲句につづくのは、次の二句である。「敵といふもの今は無し秋の月」「黎明を思ひ軒端の秋簾見る」。この二句は凡庸だが、掲句には凄みを感じる。

・・・(省略)・・・

「蓑虫」とは、もちろん物言わぬ一庶民としての自分の比喩でもある。「秋蝉」との季重なりは承知の上で、みずからの心に怒濤のように迫り来た驚愕と困惑と悲しみとを、まさかの敗戦など露ほども疑わなかった多くの人々と共有したかった。青天の霹靂的事態には、人は自然のなかで慟哭するしかないのだと……。無力なのだと……。「蓑虫」や「秋蝉」に逃げ込むのはずるいよと、若き日の私は感じていた。しかし、虚子俳句の到達点がはからずも示された一句なのだと、いまの私は考えている。(以下省略)」

     

しかし、「敵といふもの今は無し秋の月」「黎明を思ひ軒端の秋簾見る」と併せて読むと、「秋蝉蓑虫も泣くのみだ。泣きたいものは思いぞんぶん泣けばよい。だが、自分は泣かない。終戦になって、自由に句作が出来る。さあこれから本番だ。」と清々した気持ちで詠んだ句だと思う。

「人は自然のなかで慟哭するしかない」という思いで虚子がこの句を作ったとは考えられない。

     

虚子は「亀鳴くや皆愚かなる村のもの」という句を作っている。

明治時代に作った俳句らしいが、人を食った句である。

句作の背景や経緯を知らなければ真の句意は不明である。

インターネットの歳時記(「亀鳴く1」「亀鳴く2」「亀鳴く3」)に約300句リストされているが、虚子の掲句は掲載されていない。

この句が作られた「」をご存知の方があれば是非教えて頂きたい。

      

「皆」とは誰を指すのか? 「」とはどこのことか? 

「もの」とは「者」と「物」のいずれを意味するのか?

「亀」は「虚子」の比喩でないか?

    

単に文字通りのことを客観写生したのだろうか?

たとえば、「どこかの村で俳句会を催し、集まってきた者は碌な俳句も出来ない愚か者だった」という句だろうか?

「『花鳥諷詠の心』を知らぬ者は愚かだ」と言っているのだろうか?

「自分を含めて人は皆愚かな者だ」と嘆いているのだろうか?

「村」とは「日本の村社会性」の比喩ではないか?

戦争推進者は皆愚か者だ」と比喩的に詠んだ句ではないか?

いずれにせよ、さまざまな解釈が可能である。

  

虚子は「深は新なり」と言っている。穿ちすぎかもしれないが、句意が不明だということは、「しっかり考えよ」と謎をかけていると解釈できないこともない。

        

昔は人災にしろ、自然災害にしろ、慟哭するしか仕方がなかっただろう。だが、現在は科学技術も進歩しており、民主主義の時代である。

災害の防止や抑制は努力次第で不可能ではない。まして、戦争は叡智を集めて未然に防ぐ努力をすべきである。

独裁政治覇権主義軍事力の増大と情報非公開による国際的不信貧富の格差拡大、一方的な道徳観の押し付け、国家間の利害対立ナショナリズム、等、戦争発生の要因多多あるが、このような要因の発生を防止・除去することは可能である。

国際貿易文化交流を深めて、相互理解・相互依存を高めることが平和の維持・戦争の防止につながる。各国がその努力をすることが必要である。日本政府が注力すべきことはそういうことを世界の指導者に働きかけることだろう。

法律の条文は俳句のように如何様にでも解釈できる笊法であってはならない。憲法の拡大解釈による自衛権の行使が、憲法改正後に時の政府の条文解釈次第で更に拡大されるようになってはならない。

現憲法だからこそ明文にない自衛権の拡大解釈に歯止めがかかっている。憲法が改正されるとその歯止めが無くなり、更に拡大解釈をされる恐れがある。

現憲法に不備があるというなら、その不備を逐一吟味し、拡大解釈が出来ないことを明確にして、国民が納得できるように討議する場を設けるべきだろう。

大切なことは総論のみならず各論である。ウイキペディアに「日本国憲法改正案一覧」というサイトがあった。自民党の改正条文草案に限らず、野党の改正案があればそれも含めて、法律学者・憲法学者、政治家、評論家が時間をかけて真剣に議論し、公開すべきだろう。

安倍さんは「現憲法はGHQの押し付けで短時間に素人によって制定されたものであるから改正すべきである」という趣旨のことを言っている。

それならば、自民党など与党の議員は今までの国会審議のような「のらりくらりした言い逃れや抽象的美辞麗句の繰り返し」で、「十分丁寧に説明した」などと押し切るのではなく、国民が十分理解できるように専門家がたっぷり時間をかけて検討し、議論をして、現憲法よりも更に立派な平和憲法草案を発表することができるようにすべきだろう。

野党の議員もただ単に反対しているばかりでは話にならない。

国民は国会議員憲法改正の白紙委任をしているわけではない。

安倍首相は米議会において名演説をしている。

安倍首相の米議会演説(英語全文)はここをクリックすればご覧になれます。

このような名演説の韓国版や中国版など準備して首脳外交を行えば憲法改正や集団的自衛権の拡大などは無用になるのではないかと夢想している。

安倍さんは「靖国神社参拝して平和を祈念している」由である。だが、米国など外国の「無名戦士の墓」と「靖国神社」とを同一視することは納得できない。

「戦争責任者」と「戦争犠牲者」がともに祀られている神社に何故参拝するのか?

そのことについて内外の戦争犠牲者の理解を得るべく安倍さんのホームページ真意を明瞭に公開してはいかがですか?

その際、「太平洋戦争も『東洋の平和』・『八紘一宇』という理想を掲げて行われた」ということを是非とも考えて、安倍さんの主導する「『積極的平和主義』が同じ轍を踏むことはない」ことを明確にして頂きたい。

安倍さん、「村の愚かもの」の老婆さえ心配していますよ!

    

                  

「増殖する歳時記」の「憲法記念日」の俳句を見たが、格別興味を引く俳句はなかった。   

歳時記の「憲法」の冒頭には次の句が掲載されている。

憲法記念日異国のごとく国旗たつ   渡辺潔

この句の「異国のごとく」とはどの様な情景を詠んだのだろうか?

何かご存知の方からコメントが頂けると幸いである。

公共機関は憲法記念日など祝日の行事をする場合には国旗を掲揚する。だが、一般の家庭で国旗を掲げている家はほとんど見かけない。

日章旗が、平和国家のシンボルとして内外で何らの抵抗なしに受け入れられ、掲揚される日は来るのだろうか?

      

今回の「俳句談義」は憲法改正などが問題になっている時局がら「皆村の愚か者」にならないようにとの熱い思いから、つい「政治談議」になった。

      

日中戦争太平洋戦争未然に防ぐことが出来なかったのは何故か

大本営発表の内容は天皇の事前承認を得ていたのだろうか? 

大本営発表の内容がウソであることは天皇に知らされていたのだろうか?

軍の幹部は国民をだますために天皇もだましていたのか?

   

これらのことを知ろうとしてインターネット検索すると、読売新聞の「検証 戦争責任保阪正康氏の『昭和史講座』という面白そうなサイトがあった。

これらを読めば上記の疑問はわかるかも知れない。「検証 戦争責任」の今後公開されるシリーズで明らかになることを期待している。興味ある方はここをクリックしてご覧下さい。