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2015年4月

2015年4月20日 (月)

俳句談義(13):                 <「花」と「鼻」> 高浜虚子と芥川龍之介

    

     

今年の異常気象のせいか散るのが早かった。

咲満ちてこぼるる花もなかりけりと、高浜虚子の句の如くゆっくり愛でる間が無かった。

虚子は「花疲れ眠れる人に凭(よ)り眠る」という句も作っている。

この句は例えば電車の中で虚子が見た情景を詠んだものだろう。

少なくとも次の3とおりの解釈が可能である。

・「うとうと眠っている虚子に隣の人が寄り掛かってうとうとした」

・「眠っている人に虚子がつい寄り掛かってうとうとした」

・「互いに寄りかかってうとうとしている二人連れを虚子が見た」

虚子に寄り掛かったのはうら若い女性か、むさくるしい男か?

二人連れは若者か、老夫婦か、恋人同士か?

様々な情景が思い浮かぶ。俳句鑑賞の楽しさ、面白さである。

 

」に関わる俳句は無数にある。

歳時記を見ると、季語別に掲載されているが、全部読む暇が無い。

例えば、「花は葉に」には227句もリストされている。

桜1」には197句、「初桜」には169句、「余花1」には100句ある。

季語としては「花」「彼岸桜」「糸桜」「しだれ桜」「枝垂桜」「山桜」「朝桜」「花疲れ」「花守」「初桜」「花の雲」「花影」「花の影」「余花」「残花」「花の塵」「花過ぎ」「花屑・花の屑」「花篝」「花は葉に」「花筵」などがある。

      

高浜虚子の「俳句とはどんなものか」に花よりも鼻に在りける匂ひ哉」という荒木田守武(1473-1549)の句もある。

俳句への道」の冒頭には同音異義語を巧く使った虚子の句「おやをもり俳諧をもりもりたけ忌」が掲載されている。

」は花ばかりでなく香りを愛でて俳句に詠まれることが多いが、「」は花を眺めて愛でるのが普通であり、香りを詠んだ句は見かけない。

   

      

「鼻」といえば、芥川龍之介の短編小説がある。(ここをクリックすれば全文が読めます。)  

虚子は、「手で顔を撫づれば鼻の冷たさよ」という句を作っている。

「芥川龍之介の『鼻』を読みながらつい自分の顔を撫でたのだろう」などと考えるのは穿ち過ぎだろう。

この句について、山本健吉は定本現代俳句において次のように述べている(抜粋)。

  

「『手で』と断らなくても、手に決まっているが、わざわざ口語的に言ったところ、一種のとぼけ趣味を表わしている。しかも、『撫づれば』と物々しく言いさして、次にどのような事柄が言い出されるであろうかという読者の期待を抱かせながら、次に『鼻の冷たさよ』と馬鹿馬鹿しく平凡なことを持ってきて、肩すかしを食わせる。そこに一つの滑稽感が生まれてくる。・・・(省略)・・・こういう滑稽な句は、虚子には例が多い。

・・・(省略)・・・すべて即興感遇の作品であり、この無関心・無感動の表情に軽いユーモアがある。」

     

上記の句評で滑稽句の例として列挙した中に、「大寒の埃のごとく人死ぬる」や「酌婦来る灯取り虫より汚きが」などを挙げている。まさに、俳句の解釈は人さまざまである。

    

    

ちなみに、山本健吉正岡子規の句「しぐるるや蒟蒻(こんにゃく)冷えて(へそ)の上」についても次のように評している(抜粋)。

   

「『小夜時雨上野を虚子の来つつあらん』とともに、『病中』と前書きがある。

・・・(省略)・・・

この句、『蒟蒻冷えて臍の上』にユーモアがある。ことに『臍の上』と、自分の臍を意識しながら、無造作に言い話したところ、子規独特のとぼけ趣味である。病気の苦痛を直接訴えず、臍の上に置かれた蒟蒻の冷えを言うことで間接に病状を詠むことが、俳諧化の方法なのである。」

   

         

虚子の句「志俳諧にありおでん喰ふ」を「よもだ堂日記」では「惚け趣味」の句の例として挙げている。「自分の俳句人生をおでんを食いながらしみじみと考えたことを象徴的に句にしたものである」と解釈していたが、このような解釈は的外れだろうか?

     

  

虚子の句「川を見るバナナの皮は手より落ち」について「増殖する歳時記」には次の句評がある。

「虚子の『痴呆俳句』として論議を呼んだ句。精神の弛緩よりむしろ禅の無の境地ではなかろうか。俳句はこういう無思想性があるからオソロシイ。そして俳人も。(井川博年)」

       

        

この句について、櫂未知子さんは「食の一句」において次のように述べている(抜粋)。

「虚子自身の経験ではなく、隅田川べりで目にした男を句にしたらしい。・・・(省略)・・・虚子ぎらいの人たちによって攻撃されやすい句の一つだが、昭和9年という制作年からすると、当時、相当モダーンな句だと考えられていたのではなかろうか。(以下省略)」

    

今朝の「NHK俳句」において、ゲスト柳生博さんが友人の句「我が巣箱待てど待てどもシジュウカラ」を披露して「ダメですね?」と選者(櫂未知子さん)のコメントを求めたところ、「ちょっとダメですね」と一蹴されていた。

同音異義語(「四十雀」と「始終空」)をかけた滑稽句だろう。

「巣箱掛け待てど待てどもシジュウカラ」とするとわかりやすいが、伝統俳句の視点から見ると選者の好みに合わないだろう。

       

   

「高齢者の『鼻が利かない』は痴呆の兆候?」というブログ記事があったが、この場合は痴呆とは無関係の機能不全だった由である。医学の進歩した現在では、病気は早期発見をすれば進行を抑えたり、治療したりできるではないか?(「アルツハイマー病早期発見・治療を」<NHKニュースおはよう日本>参照。)

    

今日の朝日新聞WEB刊に「認知症社会」という見出しの記事があった。

「認知症の老人に財産狙いの養子縁組をさせる事件が起こっている」と警告している。

仲間と吟行や句会をして俳句を作り鑑賞して、頭と体の健康を維持することに努めたいものである。

      

  

ふと遊び心でインターネットで「花」と「鼻」を検索して見た。

すると、「国柄探訪:大和言葉の世界観:『鼻』は『花』、『目』は『芽』。大和言葉には古代日本人の世界観が息づいている。」という同音異義語を取り上げた興味ある記事があった。「(文責:伊勢雅臣)」と記載されていたが、昔の日本人の自然とのかかわりや宗教心の一端を知る参考になる。

全文詳細は青色文字をクリックしてご覧下さい。

      

      

      

    

俳句談義(12):「椿寿忌」の俳句と高浜虚子

             

4月8日は高浜虚子の命日、椿寿忌(虚子忌)である。

歳時記には椿寿忌の句が無数にあるので面白い俳句があればブログで取り上げようと思っていたが、「虚子忌」という季題のせいか面白い句は見つからなかった。

青色文字をクリックして関連の解説記事をご覧下さい。

   

そこで、とりあえず、「椿寿忌」にちなんで作った拙句「虚子の句の謎解き楽し椿咲く」に対して俳句仲間のベテラン女性がアドバイスしてくれたことを書くことにする。

Jさんは、「『句の』を『句碑に変えて『虚子の句碑謎解き楽し椿咲く』にすると一般に分かりやすい句になって良い」という。

Fさんは、「『鎌倉の椿山』を詠みこんで、原句を『虚子の句を解く鎌倉の椿山』に変えるのが良い」という。

俳句談義(1)において虚子の句「春の山(かばね)を埋めて空しかり」について虚子辞世句の新解釈として書いたのをFさんは読んでくれていたのだ。だからこそ「鎌倉の椿山」を詠み込んだ句にすることを勧めてくれたのだろう。

   

高浜虚子客観写生花鳥諷詠を唱道しながら自由奔放に俳句を作っている。

「チュヌの便り」の「本との出会い」や「俳句談義」に書いたように、虚子の俳句についての解釈や虚子の人間性についても様々な評価がある。中には、何か遺恨でもあるのかと思うような誤解と偏見に満ちたものもある。

 

俳句は好き好き人も好き好きである。だが、俳句は作者が作った「場」と「視点」を正しく認識して鑑賞しないと句意を誤解することがある。

俳句は短歌や川柳のように作者の考えや感情をむき出しにせず中立的な表現をするのが普通である。虚子の俳句は特にそうである。

一見すると「薄情」とか「非情」とか思える句もある。しかし、虚子は「人間を含む森羅万象すべてのことについて『色即是空』の観念に視点をおいて客観写生・花鳥諷詠の句作をしていたのではなかろうか? 

そういう視点で虚子の句を鑑賞すると大抵納得できる。

      

      

例えば、虚子は「酌婦来る灯取虫より汚きが」という句を作っている。

増殖する俳句歳時記」を見ると、掲句について次のような清水哲男氏の句評(抜粋)がある。

   

仁平さんも書いているように、いまどき『こんな句を発表すれば、……袋叩きにされかね』ない。『べつに読む者を感動させはしないが、作者の不快さはじつにリアルに伝わってくる』とも……。自分の不愉快をあからさまに作品化するところなど、やはり人間の器が違うのかなという感じはするけれど、しかし私はといえば、少なくともこういう人と『お友達』にはなりたくない。」

        

「女性蔑視の虚子の句」という作者不詳のブログに次の記述(抜粋)がある。

    

「『酌婦来る灯取虫より汚きが』 虚子が自選し、高浜年尾が「珠玉の句」と最大級の賛辞を送る「虚子500句」のなかに、この句がある。昭和9年6月11日に詠んだものだが、俳人としての虚子の評価はいかがわしい。

・・・(省略)・・・

この句を何の躊躇もなく自選500句に入れる感覚の持ち主だ。俳人としてはもとより、人間としての感性が疑われよう。虚子は庶民の哀感に疎く、女性を蔑視していた人間だという事実が、この酌婦の一句で浮き彫りになったのではないか。

・・・(省略)・・・

精一杯生きている女性を「火取虫より汚きが」と差別感情あらわに唾棄する人物だという事だ。俳句に心を傾ける人間として許せないものがある。

・・・(省略)・・・

私の主張、虚子批判に異論のある方は、遠慮なく意見や反論を寄せていただきたい。互いの論戦、見解、意見を堂々とホームページにあげて、世人の判断を得たい。虚子の句集には、まだまだ問題句がヤマとある。」

 

このブログの作者はブログ記事の最後に「意見・反論をメールで」と読者のコメントを求めているが、メールを出しても「なしのつぶて」である。

 

このブログの作者は誰なのか? この句を虚子が作った日を特定していることからすると俳界の事情に詳しい俳人か?

「互いの論戦、見解、意見を堂々とホームページにあげて」と言いながら、名無しの権兵衛で正体不明である。覆面しながら「堂々」とは呆れた言いぐさである。

何か情報をお持ちの方、心当たりのある方はコメントを頂けると有難い。

     

「ひとりむし」を大辞林は次のように解説している。

夏の夜,灯火に集まってくる虫。ガの類が多いが,コガネムシ・カブトムシなどを含めてもいう。火蛾(かが)。灯蛾(とうが)。灯虫(ひむし)。 [季] 夏。    

    

「灯取虫」と言えば、芥川龍之介の「大導寺信輔の半生」に次のような記述がある(抜粋)。

ホイツトマン、自由詩、創造的進化、――戦場は殆ど到る所にあつた。彼はそれ等の戦場に彼の友だちを打ち倒したり、彼の友だちに打ち倒されたりした。この精神的格闘は何よりも殺戮の歓喜の為に行はれたものに違ひなかつた。しかしおのづからその間に新しい観念や新らしい美の姿を現したことも事実だつた。如何に午前三時の蝋燭の炎は彼等の論戦を照らしてゐたか、如何に又武者小路実篤の作品は彼等の論戦を支配してゐたか、――信輔は鮮かに九月の或夜、何匹も蝋燭へ集つて来た、大きい灯取虫を覚えてゐる。灯取虫は深い闇の中から突然きらびやかに生まれて来た。が、炎に触れるが早いか、嘘のやうにぱたぱたと死んで行つた。これは何も今更のやうに珍しがる価のないことかも知れない。しかし信輔は今日もなほこの小事件を思ひ出す度に、――この不思議に美しい灯取虫の生死を思ひ出す度に、なぜか彼の心の底に多少の寂しさを感ずるのである。………」

  

付記に「大正十三年十二月九日、作者記」とあるから、1924年の作である。

   

余談だが、この年の1月に皇太子裕仁親王(昭和天皇)のご成婚があり、3月には谷崎潤一郎が大阪朝日新聞に『痴人の愛』の連載を開始している。

   

その10年後の1934年に虚子はこの酌婦の句を作っているが、ウイキペディアによると、「5月以後 - 東北地方を中心に冷害と不漁が相次ぎ、その年の同地方は深刻な凶作となって飢饉が発生した」とのことである。

飢饉となれば家族の犠牲になって身売りする女性が出る時代である。

上記のブログの作者が虚子の句の対象になった酌婦に何らかの所縁(ゆかり)のある俳人なら上記のように憤慨するのももっともだろう。

 

Yahoo!で「酌婦」を検索すると、画像集のサイトが出た。        

「灯取虫」にかかわる俳句集のサイトに虚子の句があったが、「酌婦」の句は何故か掲載されていなかった。

    

いずれにせよ、虚子は特定の女性を侮蔑する気持ちで問題の俳句を作ったのではないだろう。

酌婦にも上品なものもおれば、下品なものもいただろうし、美人も不美人もいただろう。

たまたま街で見かけた厚化粧の下品な酌婦を俳句に詠んだのかも知れないし、酌婦としては意外な不美人が来たのでその驚きを表現するのに座興に作った俳句なのかもしれない。

ともかく、俳句の皮相な解釈をして、その作者の人格まで云々するのは感心しない。

俳句そのものの芸術論や文学論などの議論をするのなら正々堂々とすべきであろう。正体も生死も分からない相手なので議論のしようがなく、誤解や誤った記事がインターネットで独り歩きするのも問題である。

虚子も天国で苦々しく思っていているかもしれないが、死者に口無しであるから敢えてこのブログで反論を書いている次第である。

  

夏目漱石が高浜虚子の小説「鶏頭」の序文において「風流懺法などの小説に触れながら虚子の人柄について面白いことを言っている。この序文は文芸・文化論としても面白く、漱石はさすがに文豪だなという認識を新たにした。

文豪といえば、虚子は「落花生喰ひつつ読むや罪と罰」という句を作っている。「罪と罰」はロシアのドストエフスキーのシリアスな長編小説である。この真面目な小説を落花生を食べながら読んだのは実際だろう。だが、不真面目な気持ちで読んだのでも、この小説を馬鹿にしたわけでもく、俳句の一つの特徴であるユーモアをこの句で表現してみせたのに違いない。

    

     

     

現在では「酌婦」は死語となり、「ホステス」というのが普通である。

酌婦と言えば「慰安婦問題」も国際問題がらみの難しい政治課題である。       

男女差別用語も一般に使用されなくなり、「看護士」や「看護婦」は看護師」に統一されている。

   

女性の参政権の歴史など当時の社会情勢・世相を考慮すると、女性の美醜にかかわる句を作ったからといって虚子が特別非難されるべき女性蔑視の俳人とみなされるべきではないだろう。

   

男女同権が徹底している筈の現在でも民意で選ばれた政治家が女性蔑視の失言をして問題にされることがある。  

まして、明治生まれの虚子が戦前に詠んだ俳句をもとに、その人間性を現在の社会感覚で問題にするのは妥当ではない。

   

4月8日は釈迦の誕生日とされ、花祭りでもある。幼い頃に菩提寺(白毫寺)で甘茶を頂いた記憶はあるが、法話を聞いたのかどうか記憶は定かでない。だが、なんとなく仏教的な輪廻の考え方が自然に自分の身についているように思う。

甘茶と言えば、高浜虚子は「和尚云ふ甘茶貰ひにまた来たか」という句を作っている。般若心経」や「色即是空」「輪廻転生」の意識を当然持っていただろう。

虚子は聖人でも格別人格者でもなかっただろう。「本との出会い」や「俳句談義」にこれまで書いたように、「色即是空」の観点から見れば天皇も自分も酌婦も皆同じ人間だという意識で花鳥諷詠を俳句にしていたのではなかろうか?

人の世は辛いことがあっても悠久の宇宙からみれば束の間である。儚い露の世も南無阿弥陀を唱え花鳥諷詠をすれば極楽になるだろうという祈りを込めて、「明易や花鳥諷詠南無阿弥陀」と詠んだものと思う。

そして、鎌倉の山に思いを馳せながら「春の山(かばね)を埋めて(くう)しかり」を辞世の句として詠んだのに違いない。なお、虚子のこの「春の山」の句を踏まえて京極杞陽が詠んだ辞世の句「さめぬなりひとたび眠りたる山は」があるが、この句の「山」は虚子のことを指している比喩と解釈することもできる。

      

なお、蛇足になるが参考までに付記すると、

1900年娼妓(しょうぎ)取締規則娼妓稼業に関する取締法規が発布され、1946年に廃止されるまで公娼制度があった。

売春防止法」が制定されたのは1956年であり、完全に施行されたのは1958年(昭和33年)である。     

昭和6年(1931年)に婦人参政権を条件付で認める法案が衆議院を通過したが、貴族院の反対で廃案になっている。

第二次世界大戦後の1945年11月21日に、勅令により治安警察法が廃止され、女性の結社権が認められ、同年12月17日の改正衆議院議員選挙法公布により、ようやく女性の国政参加が認められたのである。