コメント:

既成の医療体制の見直しや「デジタル田園都市国家構想」の実現を期待しています。

「年越やオミクロン株蔓延りて(医療の在り方)」
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2022/01/post-ed54.html

「大晦日」「大年」の俳句(岸田内閣に望むこと)
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2021/12/post-1143.html

「(冬の俳句特集)不意打ちのオミクロン株冬の雷」
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2021/12/post-89b4.html

などをご一読下さい。 

(薫風士)

「プレバト夏井先生の添削を添削する」
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/purebato.html
をご覧下さい。
「俳句の面白さ・奥の深さ」が分かるでしょう。

(薫風士)

SNS世代に俳句の楽しさ・面白さを知ってほしいと、
漫歩・万歩・SNSで楽しむ
「まんぽ俳句会」を始めました。

・気の合ひし句友と談義年忘れ (薫風士)

http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2019/11/post-d2ef-1.html
をご覧下さい。
 
ご投稿をお待ちしています。

(薫風士)

世間一般に「いじめ」や「虐待」などが問題になっています。
子供たちの健やかな成長と世界平和への思いを込めて書いたブログ
「究極のラブを!」
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2018/01/ultimate-love-fa46.html

「令和」の世界平和への思いを詠んだ「新元号祝ひ花見の俳句詠む」
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2019/04/post-e976.html
をご一読下さい。
このブログを皆さんとシェアして頂けるとありがたいです。

虚子の俳句を100句英訳して、
・「高浜虚子の俳句をバイリンガルで楽しもう!」
・「Enjoy bilingual haiku of Kyoshi Takahama!」
というタイトルで国際俳句交流協会のホームページに掲載して頂いています。
http://www.haiku-hia.com/about_haiku/takahama_kyoshi/
をクリックしてご覧下さい。
虚子俳句の一端の面白さを知り、英語学習のご参考になれば幸いです。

今日(4月8日)は虚子忌(椿寿忌)ですね。
高浜虚子は「俳句への道」において次のように述べています。(抜粋)

私は『須菩提経』においてこの事を説いたのであって、立派な俳句を作る人はもとより成仏する。立派な俳句を作らぬ人でもとにかく俳句を作った人なら成仏する。俳句は作らないがしかし俳句を読んで楽しむ人ならこれまた成仏する。読んで楽しまなくっても唯(ただ)俳句を読んだことのある人も成仏する。読まなくても俳句というものに目を触れた人なら成仏する。また、俳句という名前だけに接しただけの人でもなお成仏する。成仏するというのは俳句に対して有縁の衆生となるというのである。
 この『俳諧須菩提経』というのは明治の末か大正の始(はじ)めに書いたもののように思う。今でも同じ考えである。

チュヌの主人は俳句を楽しんで大往生をしたいと思っています。

・酌婦来る灯取虫より汚きが
この句には掛詞があると解釈することもできないこともない。
すなわち、「が」は「蛾」の掛詞とかいしゃくして、
「酌婦来る灯取虫より汚き蛾」と解釈するのである。
酌婦が来た時にたまたま蛾も入って来たのを面白く読んだものとか、
酌婦を待ってる時に蛾入って来たのを詠んだものと解釈するのは穿ち過ぎだろうか?

チュヌの主人(俳号:さとし)の俳句
「椿寿忌や余命は知らず句に遊ぶ」
が第二回花鳥同人俳句会において互選で採られました。
https://www.youtube.com/watch?v=Qj8Y7mB0adk
をご覧下さい。

「和尚云ふ甘茶貰ひにまた来たか」をクリックしても
リンクしていたサイト(俳句案内・春の季語「甘茶」)は文字化けでご覧になれません。
次のURLをクリックしてご覧下さい。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~n32e131/haru/amacha.html
(チュヌの主人・木下聰)

高浜虚子の俳句は『色即是空』の観念を視点にして解釈すると納得しやすい。
(俳句談義(12):「椿寿忌」の俳句と高浜虚子)
虚子の念頭にはウイリアム・ブレイク(1757.11.28~1827.8.12)の下記の詩もあったのではなかろうか?

To see a World in a Grain of Sand
And a Heaven in a wild Flower
Hold Infinity in the palm of your hand
And Eternity in an hour

William Blake
Auguries of Innocence

坊城俊樹さんの句集「日月(じつげつ)星辰(せいしん)」の「番外編」に次の句がある。
「女衒(ぜげん)らは金を数へて春灯下」
広辞苑によると、「女衒」は「江戸時代に、女を遊女に売ることを業とした人」とある。
現在は「女衒」は死語になっていると思うが、「ポン引き」の姿でも見かけて詠んだ句だろうか? 
それとも、空想句だろうか?

虚子の掲句について、「都市」の現代俳句勉強会というサイトに次の記述があった。
「多賀沼のほとりの小料理屋で小酌をした経験に基づく作とのこと。虚子自註では『あはれがあった』とある。」
「酌婦来る灯取虫より汚きが」という語調から「あはれ」という同情的な感慨を感じとるのは難しいが、「あはれ」という感慨には共感できる。
http://toshi-haiku.net/toshi.html
http://8194.blog16.fc2.com/blog-entry-18.html
上記のURLを参照して下さい。
ちなみに、金子兜太さんの俳句「湾曲し火傷し爆心地のマラソン」から受ける印象・感慨も読者次第である。
下記のURLを参照して下さい。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1116380626
http://www.kanshi.org/sihai/imadaC-02.htm
(チュヌの主人)