本との出会い(6):「虚子俳句問答(下)」と「大悪人虚子」

     

「初空や大悪人虚子の頭上に」ついて、「俳句談義(3):虚子の句『初空や』の新解釈:大悪人は誰か」をブログに書いた後で、俳誌「玉藻」の読者の質問と虚子の回答が「虚子俳句問答 稲畑汀子監修(下)P.196」に下記の通り記載されているのを見つけた。

(質問)

「虚子先生の御句、この場合の「大悪人」という語の複雑なる御意、ご説明願えたら幸甚と存じます。」(川越 横田清子)〔15・1〕

(回答)

親鸞が自分を大悪人といったという心持を、面白いと思っておる私であります。」

 

虚子の上記の回答は真実だろうか?

昭和15年(1940年)は皇紀2600年である。

この年は「紀元二千六百年記念行事が行われ、「神国日本」の国体観念を徹底させようという動きが強まった年であるから「大悪人は天智天皇である」とは到底言えなかっただろう。

そこで、句の説明に親鸞を引き合いに出してさらりと回答したのではなかろうか?

虚子が親鸞のことを句にした「」や「動機」としては、親鸞を尊敬していた夏目漱石(「模倣と独立」参照)が1916年(大正5年)12月に亡くなったことぐらいしか思いつかない。

虚子が親鸞のことを句にした明瞭な理由が見つからない限り、上記の回答が真実かどうかを疑わざるを得ないのである。

1912年(明治45年)には美濃部達吉が『憲法講話』を著し天皇機関説を提唱している。「初空」の句が作られた大正6~7年(1917~8年)ごろは比較的自由にものが言える大正デモクラシーの良き時代であった。

この句を詠んだ虚子の真意は本人と神のみの知るところであり、あくまでも推測に過ぎないが、この頃なら天智天皇を大悪人と言っても問題にならなかったであろう。

何か事実関係についてご存知の方があれば、教えて頂ければ幸いである。

       

    

 

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