コメント:

先日、東日本大震災の犠牲になられた方のお墓の写真を見て、
「さぞかし空しく悲しい思いで、せめてお墓でも立派にしてやろうとお墓を作られたのだろう」と身につまされました。
身近な人の死はとても「くうしかり」などと割り切ることはできないでしょう。
戦争犠牲者の方々、靖国神社に身内を祀られた方々など、
立派なお墓を作られても、安倍総理大臣や稲田防衛大臣などに
参拝されても、やはり「むなしい」思いをされ、
「戦争はしてほしくない」
という思いを強くされているのではないでしょうか?

正岡子規など俳人の辞世句を紹介した興味あるブログ:
「NHK俳壇 辞世の一句」
を見ましたが、高浜虚子の辞世句はありません。
http://nekotamago.exblog.jp/2418055/
をご覧下さい。

高浜虚子が句仏和尚の17回忌に詠んだ句
「独り句の推敲をして遅き日を」について、
坊城俊樹さんは次のように述べている。
「句佛は『ホトトギス』を経て、というか子規や虚子、碧梧桐の薫陶を受けて俳人としても大きな業績を残した。
虚子や碧梧桐とはほぼ同年代であるが、この句佛ももう十七回忌の故人である。
虚子のまわりにはもう同じ世代の俳人は数えるくらいしかいなくなった。
掲句は『七百五十句』最後の句。虚子の辞世の句と言ってもよいだろう。
その最期は四月八日であるから、もう書き残すことはなかったはずである。」

「鎌倉婦人子供会館」のHPに次の記載がある(抜粋)。
昭和34年3月30日、玉藻句謡会場の当会館和室二階和室には、漢詩の軸が掛かっておりました。
中村春堂が源頼朝を偲び詠んだ漢詩をしたためたものです。
虚子は、多くの死者が眠る鎌倉の山並みを窓より見渡し、
頼朝を弔う詩幅を前に、次の二句を残しました。
     英霊を 弔ふ詩幅 桜生け
     春の山 屍をうめて 空しかり
虚子は、この句謡会の二日後に半昏睡状態となります。
さらにその七日後の昭和34年4月8日、鎌倉原の台の自宅にて、85歳の生涯を終えました。
当会館での「英雄源頼朝の魂と屍に思いを馳せる句」が虚子最後の句となったのです。

虚子は「春の山屍かばねを埋めて空しかり」の句を詠んだ二日後に亡くなったのではなく、二日後に脳出血で倒れ、1週間後に亡くなったことがわかった。訂正させて頂きます。