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2018年1月10日 (水)

俳句・HAIKU by L. P. Lovee (9) <去年今年・kozokotoshi>

  

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貫かむ八十路の夢を去年今年

 

 

(tsuranukan yasojinoyumewo kozokotoshi)

 

kozokotoshi_

I’ll accomplish

my dreams of age of eighty

  

   

去年今年5・7・5を口遊み

(kozokotoshi goshichigowo kuchizusami)

 

enjoying

haiku of 5-7-5_

last-year-this-year

 

(Note)

“kozokotoshi” is a kigo (= season word made by Kyoshi Takahama) referring to New Year, since on the first day of January, yesterday is the last year, whereas today is this year.

Kyoshi's famous haiku in question "kozokotoshi tsuranukubohno gotokimono" is translated by L. P. Lovee as follows:

 

(Literal translation)

kozokotoshi_

something piercing

like a stick

    

(Translations reflecting Kyoshi's intention as assumed by L. P. Lovee)

(A)

my belief in HAIKU

pierces last-year-this-year through,

like a stick piercing something

 

(B)

time passes

piercing kozokotoshi

like a stick

   

It seems that Kyoshi intended to express two meanings by omitting the subject in the Japanese original haiku in question. 

To really appreciate Kyoshis Haiku, it is essential for a reader to understand the original haiku in Japanese. 

See http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2017/02/post-01d8.html

(日英バイリンガル俳句を楽しむ <高浜虚子の俳句「去年今年」>)

     

最新の俳句や英語俳句の記事は、青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップしてご覧下さい。

   

2017年11月28日 (火)

本との出会い《母と子・優しさと厳しさと》

        

春浅し命の限り『句』を口に (本との出会い)

    歌うように伝えたい」をご一読下さい。コロナ禍の励ましになるでしょう。

   

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ブログ「チュヌの便り・虚子の俳句『去年今年貫く棒の如きもの』の棒とは何か?」を契機に知った宗内敦(臨床心理学者)の近著「エッセイで読み解く 教育・指導のエッセンス」に共感することが多々あるのでここに紹介させて頂きます。

教育関係者のみならずチュヌの便りの読者など一般の人々に是非読んで頂きたい好著です。

(青色文字をクリックすると解説記事などがご覧になれます。) 

     

いじめ」や「不登校」などの問題は教育者のみならず、広く一般の人々が他人事としないで関心を持ってほしい問題ですが、このような問題を無くするためには「思いやりを持って他人の立場を理解し、多様性を認める寛容性を基本にした和の精神を教育することが何よりも肝心である」とチュヌの主人は思っています。

この「和」の精神は戦前の「封建的な和」でなく、「民主主義制度における和」です。戦前の全体主義的・国家主義画一教育は「いじめ」の解消にならないでしょう。

道徳教育で大切なことは、児童があくまでも自発的に物事を考え、自分の考えを主張すると同時に他者の考えにも耳を傾けることを学び、自己と他者、自己と社会との関わり合いを考え、自分の能力や個性を自分のためばかりでなく、社会に役立つようにするバランス感覚、合理的な思考能力などを培うことでしょう。

「権力」にもとづく教育でなく、「権威」に基づく教育をすることが肝心でしょう。(宗内敦著「教師の権威と指導力」参照。)

 

道徳教育を教科にして、「道徳嫌い」を生む恐れのある「一方的な成績評価や序列評価をすること」には反対です。道徳教育においては、評価は子供の自尊心を生かし、やる気を出させるのに効果のある個別評価、教育効果を評価するための範囲に限定すべきでしょう。

子供たちが将来幸せな一生を過ごすことができるようにするには、「自分を知り、『一個人としての自分』と『組織の一員としての自分』とのバランス、『個と全体の関わり合い』を考え、『過去をベースに未来を見据え、現在に視点を置いて、よく考え、行動すること』、『自己→家族→市民→国民→地球人』など、様々な視点で相対的に考える教育をすることが大切です。   

      

子供の教育のためのみならず、住みよい平和な社会が維持されることを祈りつつチュヌの主人が書いた「究極のLOVEを実践しよう!」の「究極のLOVE]は下記の通りです。 是非、ご一読下さい。

   

・「L」

Love(愛する)・Learn(学ぶ)・Liberty(自由・権利)・Legality(合法性)、Laugh(笑う)・Life(生活・一生・)です。 

     

・「O」

Optimism(楽観・楽天主義)・Originality(個性・独創性)・Objective(目標・客観的)・Obligation(義務・義理)、Opportunity(機会・好機)・Organization(組織・団体・組織化すること)です。  

  

「V」

Vitality(活力・元気)・Vision(ビジョン・先見性)・Venture(冒険・思い切ってする)・Value(価値・評価)・Volunteer(ボランティア・自発性)、Viewpoint(観点・視点・切り口)です。 

    

・「E」

Effort(努力)・Enjoy(楽しむ)・Ethic(倫理・道徳)・Equity(公平・公正)・Endurance(忍耐・持続)・Each(個人・自己)です。  

  

・Love(愛)

親子の愛、男女の恋愛、夫婦の愛など人に関する愛のみならず、動物、自然、故郷、住んでいる町や国、平和、自分の仕事など全てが対象です。まず自分を愛し、自分のしていることを愛し、その結果が他者への愛、すべてのものに対する愛につながることが理想です。  

  

・Learn(学ぶ)

教師や反面教師として、全てのことから学ぶことが出来ます。

身近な両親、兄弟姉妹、友達、先輩・後輩、先生などから直接学ぶことが沢山あります。書物や新聞・ラジオ・テレビ、インターネットなどで地域と時代を超えて様々なことを学ぶことができます。また、自分自身や他人の失敗や成功の実例から学ぶことも大切です。   

  

・Liberty(自由・権利)

基本的人権として思想・言論・信教の自由などが憲法で保障されています。しかし、自由の権利を乱用すると、自由を失う恐れがあります。常に権利と義務、個(自分自身)と全体(社会・国)、公平・公正の原則とのバランスを考慮することが肝要です。多くの若者が選挙権参政権の行使を放棄していることは幸福を追求することを放棄していることになるのではないかと危惧しています。  

  

・Legality(合法性)

誰でも自由に考えて行動すれば良いのですが、それが法律に適っていることが前提です。法律は人々の生活を守り社会の秩序を維持するためのものですから、日常生活で余り難しく考えることは無いでしょう。しかし、何か特別のことを始める時にはそれが合法的かどうかチェックすることも必要でしょう。   

  

・Laugh(笑う)

笑う門には福来たる」(「Laugh and get fat.」「Fortune comes in by a merry gate.」)です。

泣きたいときには泣くとよいでしょう。でも、辛い時でも笑顔を忘れずに前向きに過ごして行けばきっと良い時も来るでしょう。  

  

・Optimism(楽観主義)

人間万事塞翁が馬」(Joy and sorrow are today and tomorrow.)、「人生は山あり谷あり」、「努力をすれば何とかなる」、「人事を尽くして天命を待つ」と楽観的に考えることです。いわゆるプラス思考・ポジティブシンキング(positive thinking)を実践することです。 

        

・Originality(個性・独創性)

世界に一人しかいない自分という貴重な存在を活かしましょう。単なる「猿真似」や「迎合」ではなく、人それぞれに出来ること・天性・個性を生かして、学んだことを更に発展させ実践することです。現代は多様性の時代です。様々な個性が集まって全体の調和が生まれることが理想です。

      

・Objective(目標・客観的)

将来何をするか自分の目標を定める際に、それを達成することが可能か、楽観的に考えると同時に、冷静に客観的に評価しておくことも大切です。高い目標を掲げることは良いのですが、目標は高ければ高いほど成果の高望みをしないでstep-by-stepで一歩ずつ前進することです。  

   

・Obligation(義務・義理)

「世の中は持ちつ持たれつ」、「お互い様」です。自己の権利を主張するばかりでなく、義務もあることを認識して他者の権利・立場も認め、自他のバランス(Give-and-take)を考えることが大切です。 

    

・Opportunity (機会・好機)

好機逸すべからず」です。英語のことわざには「Now or never.」とか「Everything has its time.」などがありますが、機会をとらえTPO(時と場所と場合)を考えて適切な行動をすることが大切です。 

  

・Vitality(活力・元気)

何事もやる気と元気がなければ達成出来ません。精神的にも肉体的にも健康を維持することが大切です。「過ぎたるは及ばざるがごとし」です。時には無理が必要なこともあるでしょうが、頑張りすぎないで、自分の出来る範囲でやれば良いでしょう。

   

・Vision(ビジョン・先見性)

「憲政の神様」と言われた尾崎行雄は「人生の本舞台は常に将来に在り」と言っています。自分は何をしてきたか、今何をすべきか、自分の将来の目標は何か、自分の人生のどの時点でも、常に過去・現在・未来という流れの中で自分自身と社会の将来を見据えて考え・行動することが理想です。

  

・Venture(冒険・思い切ってする)

慎重に考えて行動することも大事ですが、難しいと思うことでも時には思い切ってやって見ることも必要でしょう。成功するか否かは自分の才能や努力のみならず運に左右されるものです。最もうまく行く場合と最悪の場合とを考え、腹を据えて思い切って行動すると良いでしょう。

   

Value(価値・評価)

価値観は人によって異なりますが、自分にとって何が大切か、何をしたいか、それは自分のためだけではなく、親のためや人のために役立つことになるか、と考えながら目標を立て・行動することが大切です。

  

・Volunteer(ボランティア・自発性)  

何事でも自分のしたいことをするときは苦労が苦労でなく、楽しくなります。最近はボランティア活動をしている若者も沢山いることはありがたいことです。自分が出来ることを自発的に行い、自分のみならず人のためにもなり、世の中に役立つことができれば最高です。

  

・Effort(努力)

天賦の才に恵まれていても努力をしなければその才能を生かすことは出来ません。ささやかな才能であっても努力することによって、それを伸ばすことが出来ます。大切なことは他者との比較や序列・勝ち負けそのものではなく、それを励みとして自分自身の天分を育てる努力をしているかどうかです。 

  

・Enjoy(楽しむ)

努力も色々工夫しながらすると、苦労でなく楽しみとなります。楽しみながらすると努力を続けることが出来ます。少しでも努力の成果が出ると楽しくなります。すぐに成果が表れなくても長い目で見れば必ず成果が出て来るものですから、それを楽しみに努力を続けることです。

  

・Ethics(倫理・道徳)

技術が高度に発達し専門化している現代社会においては個人や組織が倫理を大切にして活動することが不可欠です。最近の世相をみると、長い間に築いた信用を倫理観の欠如から一瞬に失い、自滅するだけでなく社会に大きな弊害をもたらしている例が少なくないことは残念なことです。

   

・Equity(公平・公正)

才能や努力の成果を生かすには考え方や行為が公正であることが大切です。どのような場合でも公正かどうかという観点でチェックすることが望まれます。公明正大な振舞いをすることによって明るい気持ちが維持できます。明るい気持ちは必ず幸福を呼び込むでしょう。 

      

・Endurance(忍耐・持続)

豊かな現代社会においては何でも簡単に出来、手に入るので誘惑が多く、我慢することが難しくなっています。

ITSNSが発達し便利になっていますが、スマホによるゲームの氾濫や不適切な交流サイトなど、子供の教育や十代の若者の新たな社会問題になっています。  

三つ子の魂百まで」、「継続は力なり」です。大きくなってから抑えることは難しくなりますので物心が付き始めた幼い時から我慢することのしつけもしておくと良いでしょう。 

上記のことは、ご存知のことばかりでしょうが、それをLOVEという親しみやすく大切な一語に集約して覚えやすくしたのが味噌です。LOVEを実践する人々が増え、住みよい社会が日本から世界に広がることがチュヌの主人の念願です。

          

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2017年6月14日 (水)

神戸布引ハーブ園 (新緑の花の吟行)

   

万緑や夢風船てふロープウェイ 

万緑のハーブ園歩し香に酔へり 

万緑にほのかな色や煙の木 

万緑や風の丘より茅渟の海 

新緑のハーブの美味し鶏料理

    

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掲句はチュヌの主人(薫風士)の即興句です。

俳句愛好者が増えることを願って、「俳句は身近なことや自分の思いなどを詠んで気軽に作るとよい」ということを知ってほしい、との思いから掲載しました。 

青色の文字をクリックして、解説などをご覧下さい。

写真はクリックすると拡大します。 

       

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2017年2月 1日 (水)

季語「立春」・「春立つ」を用いた俳句

        

立春の打ち上げに湧く種子島

立春の宇宙(そら)へ「みちびき」旅立ちぬ

立春や花を絶さぬ我が狭庭

立春や地酒を求め故郷へ

立春の句材を求め蔵元へ

   

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この写真は、2月2日H3打上げ成功を放映したNHK-TV ニュース画面の一部分です。

  

2023年2月4日には次の「まんぽ俳句」を詠みました。

 

春立ちし雲に夕日や兔の目

         (薫風士

   

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掲句は、雲が兔の形をして夕日が目の形に見えた立春の空の瞬間的面白さを詠んだ即興句です。

買い物の帰路で写真は撮れず、帰宅後に撮ろうとしましたが、残念ながら雲の形は既に変形し、掲句と乖離していました

          

(2022.2.4の記事)

3633

   

     

NHKニュースによると、「全国の新型コロナ新規感染者は10万人に迫る」とのことですが、Yahoo!ニュース(2月3日18:05配信)によると、「全国の新型コロナ新規感染者は10万人超え 過去最多を更新」とのことです。

 

三回目のワクチン接種を終えても、3密を避け、マスクを着けて自衛しながら漫歩・万歩をしています。

 

恙無い茶寿を夢みて、「まんぽ俳句」を口遊み、楽しみながら健康管理をしています。

  

立春やコロナ変異の蔓延りて

       (薫風士

   

新型コロナ・オミクロン株の感染拡大過去最多の状態が続いていますが、寒さも今がピークです。

   

ここをクリック(タップ)して、「写真俳句《立春・春立つ・春来る》」をご覧下さい

  

(以下、2017年2月の記事)

先日「チュヌ」と散歩していて声をかけられたとき、ふと即興句「愛犬の取り持つ縁春立ちぬ」が浮かびました。

チュヌはこの2月に12歳になる老犬ですが、「いつまでも可愛いね」と言ってくれた方がいました。

独りで散歩していると「こんにちは」と挨拶を交わすことも稀ですが、チュヌは真白な毛の大型のサモエド犬で可愛い顔をしているので色々な人が声をかけてくれます。

チュヌの主人は、相老いの愛犬と散歩をしながら俳句のことなど思いめぐらしていますが、トランプ米国新大統領の就任後の相次ぐ独善的な大統領令発令に危惧を抱き、だまっているわけにはいかないという思いがつのっています。

 

米国市民のみならず世界の良識ある政治家・市民がトランプ大統領の独善的暴走を防ぐ働きかけをすることを願っています。

   

「歳時記」(俳誌のサロン)の例句を気の向くままに抜粋・掲載させて頂きますします。

青色文字(季語)をタップ(クリック)、例句の詳細をご覧下さい。

   

立春1」

立春の二階へ舟が入り来る 

        (井上青穂)

  

立春の光を回す水車かな   

       (吉村玲子) 

  

立春2」

さざ波は立春の譜をひろげたり

        (渡辺水巴)

   

立春や朝日まぶしき雨雫    

       (大山妙子) 

  

立春3」

立春や木洩れ日を踏むぶな林 

       (あきの澪)

  

立春や鳥の来てゐる朝の庭

     稲畑汀子

 

立春4」

立春の空の青さよ雪の後  

      (大西裕)

  

立春の大屋根の雪万福寺  

    坪内稔典

  

立春5」

春立つや雪降る夜の隅田川

     角川春樹

  

立春の海よりの風海見えず

     桂信子

    

春立つ

春立や見古したれど筑波山

     小林一茶

   

幼な子の質問楽し春立ちぬ 

      (藤野佳津子)

      

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2016年6月24日 (金)

《イタリア旅行》 HAIKU & pictures (Trip to Italy)

            

(2024.5.18更新)

青色文字をクリック(タップ)して、「血に染むなドニエプルてふ春の川をご覧下さい。

    

2007年にイタリアローマナポリベネチアフィレンツェピサミラノ)へ旅行した時の俳句と写真を掲載します。

          

(写真はクリックすると拡大します。青色文字をクリックして表示された写真をクリックすると、更に他の写真や動画がご覧になれます。)

(Click a picture to enlarge it. Also, you can see more pictures or descriptions by clicking blue letters.) 

Dscf0163_2  

   (トレビの泉

Dscf0169_2

   

爽やかなトレビの泉古希の旅

(sawayakana torebi-no-izumi koki-no-tabi)

    

refreshing Trevi Fountain_

a trip,

commemorating seventieth birthday       

   

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残月や大聖堂の天高し

(zangetsu-ya daiseidō-no ten-takashi)

      

the morning moon_

St. Peter's

clear autumnal day

  

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秋澄むやナポリの丘昼の月

(aki-sumu-ya napori-no-oka-no hiru-no-tsuki)

       

the daylight moon

the hill of Napoli_

what a clear autumn day!

        

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秋潮の青のきらめきカプリ島

(akishio-no ao-no-kirameki kapuritō)

  

the glittering blue 

an autumnal tide

Isle of Capri

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素晴らしき青の洞窟秋の潮 

(subarashiki aono-dōkutsu aki-no-shio)

  

Grotta Azzzurra

in an autumnal tide_

what an experience!

            

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2

ベネチアや船頭の歌澄み渡る

(benechia-ya senndō-no-uta sumiwataru)

  

Venezia_

the skipper's singing voice

clear on the autumn canal

      

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ファサードの色爽やかや聖人像

(fasādo-no-iro sawayaka-ya seizin-zō)

   

the statues of saints_

invigorating colors

of the facade

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斜塔押すポーズ遠近天高し

(shatō-osu pōzu-ochikochi ten-takashi)

  

high autumn sky,

tourists pose for 

supporting the tower of Pisa

   

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2_4

尖塔の聖人像や天高し

(sentō-no seizinzō-ya ten-takashi)

      

the statues of saints

spiring high on the top_

the autumnal sky

Photo 

     

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2016年3月 3日 (木)

「春雪・春の雪」<雪の俳句を鑑賞しよう>

    

P.S. 2022.3.12

ウクライナ紛争について、「已むに已まれぬ思い」を俳句に詠み、記事を書きました。

青色文字をクリック(タップ)して、血に染むなドニエプルてふ春の川」や春一番この発言はおぞましき」をご覧下さい。

   

・雪遊び技を極めて金メダル

    

上記の俳句は、平野歩夢の快挙(「北京2022」スノーボード金メダル)を称えて、2016に書いた「春雪」の記事に追加しました。

ここをクリック(タップ)して、NHKyoutube平野歩夢 金メダルを決めた決勝3回目」をご覧下さい

    

(写真)2020年大晦日に孫と作った雪ダルマ

20201231

   

2016.3.1には春の雪が降りました

 

「歳時記」の「春の雪」を紹介させて頂きます。  

(青色の文字をクリックすると例句の詳細や解説がご覧になれます。)

   

春の雪(1)」冒頭には

種田山頭火の俳句「春の雪ふる女はまことうつくしい」があり、

春の雪(2)」の冒頭には

「春の雪しきりに降りて止みにけり(白雄)」があり、

春の雪(3)」の冒頭には

久保田万太郎の「泣蟲の杉村春子春の雪」という句があり、

春の雪(4)」の冒頭には

「春の雪青菜をゆでてゐたる間も (細見綾子)」があります。

春の雪(5)」の冒頭句は

良寛のひとりあそびに春の雪 (高島茂)」ですが、

「唇に触れて消えゆく春の雪」(田所洋子・雨月)や「二・二六とふ日のありし春の雪」(水原春郎・馬醉木(あせび))など味わい深い俳句が掲載されています。

  

春の雪(6)」の冒頭には

「逢ふための一歩踏み出す春の雪(清水甚吉)」があり、

春の雪(7)」の冒頭には

一茶の俳句「古郷や餅につき込む春の雪」があります。

    

上記俳句の「二・二六とふ日」は「二・二六という日」の意味で、「二二六事件」のことです。

  

『2.22」 と 『2.26』 は何の日か?虚子と碧梧桐>」や

『旗日』は死語か?『建国記念の日』の俳句を読んで思うこと

をご覧下さい。

    

2016年2月17日 (水)

「旗日」は死語か? 「建国記念の日」の俳句を読んで思うこと

             

(2024.2.7 更新)

2月7日は「北方領土の日」です。

 

ロシアのプーチン大統領は国際条約を破り、日本の北方領土になし崩しでロシア住民を移住させています。

 

この事態を放置すると、ロシアの住民を保護するという口実で軍事侵攻を推し進め日本の領有権を略奪する恐れがあります。

 

日本をの平和を維持するためには、共産主義専制国家が付け入る隙を生じないように、自由主義圏との連携を堅持しつつロシアとの平和交渉を粘り強く推進しなければなりません。

 

そのために、全ての政治家が公明正大なクリーンな政治を大局的見地で推進してくれることを切望しています。

   

戦争と平和(俳句と川柳:終戦記念日特集)」をご覧下さい。

   

春浅し命の限り句を口に

建国日思ひを新た己が役          

日の丸が民家の門に建国日            

          (薫風士

  

某俳句会で次の俳句が投句され、様々な意見が出て俳句談義が盛り上がりました。

  

旗日とふ日本語ありき建国日

  

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作者は「旗日」は死語になっていると考えてこの俳句を作っています。

 

旗日」は現在も使われているという某氏からは、「『旗日とふ佳き日本語や建国日』に修正した方が良いのではないか」との提案がありましたが、作者は提案された修正案は気に入らないようでした。

 

いずれにせよ、俳句は好き好き日章旗に対する思いも各人各様でしょう。

  

ちなみに、「とふ」とは「問う」という意味の旧仮名使いの場合もありますが、上記の俳句の場合は、「という」の古語です。

  

(青色の文字をクリックすると例句や解説記事などをご覧になれます。

建国記念の日」は戦前は「紀元節」と言っていました。

   

梅正に綻びそむる紀元節

      正岡子規

  

旗日とやわが家に旗も父もなし

         (池田澄子)

 

この俳句について、「増殖する俳句歳時記」の清水哲男氏の句評には「もはや死語の感のある旗日」とあり、「旗日」という言葉は死語になっていなくても「老人語」とみなされるでしょう。

  

2月11日を建国記念日とすることは歴史的事実としての根拠がなく古事記などの神話に基づいていることを認識して、日本の歴史や未来に思いをはせ、日本の平和を守る努力をすることが大切でしょう

  

人々が究極のLOVE」(Ultimate LOVE)を実践し、平和憲法の堅持により日章旗が平和国家日本のシンボルとして内外の人々に広く受け入れられる日が来ることを祈っています。

   

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2015年12月22日 (火)

《新年・正月・一月》

             

(2025.1.26 更新)

初夢の俳句や「新年の俳句《三ヶ日》」、丹波篠山・戎神社吟行」などをご覧下さい。

   

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青色文字(タイトルなど)をクリックすると俳句や解説などがご覧になれます。

    

写真はタップして拡大できます。

   

   

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現代の俳句に於ける季語の在り方」について考えました。  

猿回し」《季語とは何か》をご覧下さい    

      

    

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親戚が贈ってくれた高浜虚子所縁の西山酒造の原酒お節料理にピッタリでした。

   

    

故郷の原酒屠蘇に祝ひけり    

    

(2015.12.22    

「正月」の俳句を歳時記(俳誌のサロンから下記の通り抜粋・掲載させて頂きます。

   

正月1

大雪となりて今日よりお正月

       (前田普羅)

  

正月2

正月の子供に成て見たき哉

       (小林一茶

  

正月3

枯木に鴉が、お正月もすみました

       (種田山頭火)

        

初空1 

初空の藍と茜と満たしあふ

       (山口青邨)

    

みづいろのやがてくれなゐ初み空 

       (鷹羽狩行)

   

初空に残る朝月上京す  

       (稲畑汀子)

   

初空2

初御空鴉東へ鳩西へ  

      (稲畑廣太郎)

  

初空3

いづくともなき合掌や初御空   

       (中村汀女)

   

真青なる初空仰ぎ初心  

       (大橋敦子)

      

高浜虚子の人柄に興味を抱き、「初空や大悪人虚子の頭上に」の新解釈を試み、「虚子の句『初空や』の新解釈:大悪人は誰か?」を書きました。

俳句談義(3)」や初暦の俳句」もご笑覧下さい。

「きごさい歳時記」の「初空」の句はここをクリックしてご覧になれます

        

俳誌のサロン」「季語別俳句集 一月」の数十個の季語、無数の例句から、気の向くままに抜粋・掲載させて頂きます。

  

元旦や天に轟け大般若

      (伊万里梅城)

   

一湾に日のゆきわたり大旦

       (鷹羽狩行)

   

ちちははも夫も仏や初明り

       (上野章子)

   

年玉を妻に包まうかと思ふ

       (後藤比奈夫)

    

明日死ぬる命めでたし小豆粥

        (高浜虚子)

この俳句が作られた背景をご存知の方があれば教えて頂きたいが、ウラハイ=裏「週刊俳句」に下記の記述(抜粋)がありました。

「掲出句には、一休宗純(立川談志師匠にそっくり)の「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」という風狂はない。どちらかというと子規の『病牀六尺』二十一の、
余は今まで禅宗のいわゆる悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合でも平気で生きて居る事であつた。

に連なる諷詠である。」

    

初日呑むと夢みて発句栄ゆべく

        (正岡子規)

    

子規の俳句データベース(新年)」の冒頭にはユーモラスな句、ほのほのや鼾忽ち絶えて春があり、次のページには、「紀元二千五百五十五年なり」という句がありました 

    

1940(昭和15年)は皇紀2600年にあたり、紀元二千六百年頌歌(東京音楽学校作詞・作曲)が1938年(昭和13年)に発表されました。

その歌詞を幻冬舎新書「日本の軍歌」から抜粋すると、

1番には、「紀元は二千六百年ああ一億の胸は鳴る」

2番には、「歓喜あふるる・・・はるかに仰ぐ大御言」

3番には、「ああ報国の血は勇む」

4番には、「世紀の文化・・・あゝ燦爛のこの國威」 
5番には、「正義凛たる旗の下 明朗アジヤうち建てん 力と意氣を示せ」

など、国威発揚の美辞麗句のオンパレードです。この歌が発表された翌年には太平洋戦争に突入しました。戦争末期には「一億玉砕」の本土決戦を軍部が主張し、広島・長崎の原爆投下でようやくポツダム宣言受諾の決定がなされたのです。

戦後70年の節目の年である2015年は紀元(皇紀)2675年にあたります。

無数の犠牲者の筆舌しがたい犠牲の礎によってもたらされたともいうべき平和を堅持したいものです。 

           

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2015年9月22日 (火)

ロシア旅行の写真と俳句(英訳付き修正版)

            

Click here to see "Bashō's haiku in Japanese and English by L. P. Lovee"

   

ロシアモスクワサンクトペテルブルグ)を観光した時のチュヌの主人の俳句と写真を披露します。

俳句の英訳は英語俳句楽しことができるように意訳しいます。

(青色の文字をクリックすると解説や写真・動画がご覧になれます。)

  

Imga0010_2

秋冷の赤の広場や鳩一羽

a dove

on the Red Square

in the cool autumn morning

     

秋澄むや赤の広場の時の鐘

a bell chiming the time_

clear autumn

on the Red Square

       

平和かな秋夕焼けのクレムリン

What a peace!

the bright evening sky_

the Kremlin Palace in autumn

    

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大帝の夢噴き上げる秋の水

the autumn fountain

blowing up

the dreams of Peter the Great

           

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Imga0034_2

Imga0035_2

ピョートルの大カスケード水の秋

the cascades

of autumnal water_

Peter the Great  

Imga0040_2  

   

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鴨憩ふエカテリーナ愛でし池

the pond and wild ducks_

as loved by

Catherine the Great

   

Imga0126_2

大帝の凛々し騎馬像秋高し 

the gallant equestrian statute

Peter the Great_

high autumn

   

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秋水を湛へ対称宮廷園

the autumnal water

the garden_

all in symmetry

     

Imga0140_2   

要塞てふ修道院の秋深む

once a fortress

the cathedral_

the deepening autumn

        

秋雨や砦でありし修道院

raining in the autumn_

the cathedral

once a fortress

       

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2015年3月29日 (日)

俳句談義(11):「甘納豆」と「おでん」と「俳句」

               

俳句は好き好きである。

 

高浜虚子の俳句について、長谷川櫂さんが指摘した「場」を推定し、私なりの解釈を楽しみながらブログを書いている。

高野素十の俳句「朝顔の二葉のどこか濡れゐたる」に対する虚子の句評ついて、「俳句のユーモア」(講談社)で坪内稔典さんが言っていることに頷けない点があるので次に抜粋し、私見を述べさせて頂く。

  

(虚子の句評)

ただ朝顔の二葉といふものを見て俳句を作らうと試みた。ただ朝顔の二葉のみである。その外に何物もない……。色々考へわづらうた末に、「どこか濡れ居たる」といふことに到着して作者の心は躍動した。 ・・・(省略)・・・

朝顔の二葉を描いて生命を伝へ得たものは、宇宙の全生命を伝へ得たことになるのである。鐘の一局部を叩いてその全体の響きを伝へ得ると一般である。(『句集虚子』昭和5年)

  

(稔典さんの記述)

前段は表現の細部に眼が届いた優れた鑑賞だ。だが、後段では、五七五の背後に大宇宙を見るという恣意に陥っている。

・・・(省略)・・・

そこには俳句の表現が本来的に片言に近いという自覚がない。

こんな虚子のような見方に従うと、ほとんどの俳句は宇宙の全生命に結びついてしまう。

・・・(省略)・・・

そんな見方は俳句という小さな詩型にとってあまりにも大ざっぱに過ぎる。あるいは達観しすぎた見方だ。

・・・(省略)・・・

片言性から眼をそむけ、五七五の表現されていない背後などに頼っていたのでは、片言の力をうまく発揮できないだろう。(以下省略)

            

    

稔典さんは上記のように虚子の句評を批判しているが、この批判は的を射てない。

「俳句の表現が本来的に片言に近い」という制約がることは、高浜虚子が認識していたことは言うまでもないだろう。だからこそ、季語季題を活用することによって初心者でも詩的な俳句を作りやすくなるように指導したのだろう。

「五七五の表現されていない背後」などを考えるのも俳句鑑賞の面白さの一面である。それを否定することは俳句の面白さの一面しか知らない者の言であろう。稔典さんは勢いで筆が滑ったのではなかろうか?

    

虚子の句評は大げさと言えないこともないが、良きにつけ悪しきにつけ句評は一般に大げさなものが多い。

朝顔の二葉を描いて生命を伝へ」や「宇宙の全生命」とは「宇宙の摂理」や「自然の摂理」の現象を指していると解釈すべきだろう。

虚子は「鐘の一局部を叩いてその全体の響きを伝へ得る」と言っている。だが、坂本龍馬の言を借りれば、その響きは俳句の作者と鑑賞者のレベルや考え方次第である。

宇宙の摂理が表わす様々な現象・自然の美を愛で、それを俳句にするのが「花鳥諷詠」であるが、素十の句が「朝顔の二葉を描いて生命を伝へ得た」としても、「宇宙の全生命を伝へ得た」かどうかは評価が分かれるだろう。

もちろん、この素十の俳句のような句風のみが花鳥諷詠というわけではない。

虚子も自由奔放に、「朝顔にえーっ屑屋でございかな」「去年今年貫く棒の如きもの」「天の川の下に天智天皇と虚子と」「初空や大悪人虚子の頭上に」など、様々な句を作っている。

  

稔典さんは虚子の句「春風や闘志いだきて丘に立つ」について、「かって私の愛誦句だった」と述べている。

正岡子規松尾芭蕉の「正風俳諧」・「連句を批判して「客観写生」を唱道したように、稔典さんは高浜虚子の「花鳥諷詠」を敢えて批判することによって、「片言性俳句」(?)を新しい句風として唱道しようとしているのだろうか?

  

俳句の大衆化という点においては「虚子の目指していたこと」と「稔典さんが目指していること」に共通性があるのだろう。だが、その手法や句風には大きな隔たりがある。両者には時代の差があり、俳句の入門書も虚子の「俳句の作りよう」と「坪内稔典の俳句の授業」(黎明書房発行)の違いは大きいが、例えば次の俳句が両者の違いを如実に示している。

      

志俳諧にありおでん食ふ

桐一葉日当りながら落ちにけり

見送りし仕事の山や年の暮

三月の甘納豆のうふふふふ

甘納豆六月ごろにはごろついて

十二月をどうするどうする甘納豆

              

虚子はホトトギスに「台所雑詠という欄を設けて女性の俳句を奨励・指導して女性俳人を育成した。その影響は大きな効果を生み、かっては俳句は男性が作るものだったが、現在は圧倒的に女性が多くなっている。

しかし、若い世代の俳句愛好家が少ないのは残念である。

上記の句「三月の甘納豆」には伝統的な俳句川柳と違う新しさを感じる。だが、「甘納豆六月」や「12月の甘納豆」は甘党甘納豆に飽きが来たということなのだろうか、若者の気を引くために俳句の例句として作ったのだろうか。いずれにせよ、俳句というよりも言葉の遊びである。

甘納豆」は美味しいが、所詮おやつである。辛党にはやはり「おでん」がよい。先日のテレビ番組で「サラリーマン川柳」や「女子会川柳」など川柳に興味をもつ若者が増えていることを紹介していた。

甘納豆の句は「俳句・川柳まがい」の駄洒落の感があるが、稔典さんの新しい句風が若者の感性に合い、「俳句はお年寄りの趣味だ」などと見向きもしない多くの若者の興味を惹き、若い世代の本格的な俳句愛好家が将来増えるきっかけになれば結構なことである。

駄洒落と言えば、高浜虚子の「俳句への道」の冒頭に「おやをもり俳諧をもりもりたけ忌」という句が掲載されている。

      

上記のように、虚子も俳句を広めるために駄洒落を用いて面白い句を作っているが、茎(くき)右往左往菓子器のさくらんぼ」という句も作っている。

      

この句について、稔典さんの次のような句評・記事が毎日新聞WEBにあった。

 「先日、この句をめぐって紛糾した。サクランボそのものを詠んだのか、茎を詠んだのかで意見が分かれたのだ。つまり、菓子器にあるのは、茎のからまったサクランボなのか、食べた後の茎だけなのか。私は食べた後派。残骸の茎が楽しかっただんらんを示している。茎(食べかす)を詠んだのはいかにも俳人らしいふるまいだろう。」    

   

山本健吉の「定本 現代俳句」には次のような句評がある(抜粋)

「無造作に詠み放したような作品である。菓子器に盛られたさくらんぼの柄が、縦横に入り乱れてつっ立っているさまに、作者は興趣を感じたので、軽いユーモアがここには漂っていると言えよう。」(以下省略)

         

   

このようなユーモアに腐心した俳句を鑑賞していると、NHK大河ドラマの「花燃ゆ」でおなじみの高杉晋作辞世句といわれる「おもしろくもなき世をおもしろく」を思い出す。

      

余談だが、俳句や川柳で面白く過ごせる、誰でも自由にものが言え世界に発信できる現在の日本の平和は世界大戦の多大の犠牲の上に戦後70年にわたって営々として築いてきたものである。正しい歴史認識をふまえて未来永劫に大切に維持したいものである。成り行きや時の勢いで「筆を滑らせる」ことが無いように、安倍さんや識者がしっかり議論して準備してくれることを祈るや切である。

              

このブログは「釈迦に説法」で失礼したが、「俳句は好き好き」、「解釈は創作」ということでご容赦願いたい。

4月8日は「釈迦の誕生日」であり、高浜虚子の忌日(椿寿忌)である。

次回は「虚子忌」の俳句などについて書くことにしたい。

 

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2015年1月24日 (土)

トルコ旅行(俳句・フォト)Pictures & Haiku (Trip to Turkey)

  

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冒頭の写真は、NHK-TV の二ュ-ス画面の一部分です。

 

2012年にチュヌの主人(L.P. Lovee)がトルコ観光ツアーで詠んだ俳句と写真を掲載します。

     

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トロイかな木馬上れば秋高し

(toroi-kana mokuba-noboreba aki-takashi)

  

Ah Troy!

a vew from the Trojan Horse_

high autumn sky

   

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    Imga0010_2

       

   

   

   

  

盛衰のトロイの地層秋の風

(seisui-no toroi-no-chisō aki-no-kaze)

  

autumnal wind_

along the strata showing 

Troy’s rise and fall

  

   

   Imga0002_2

   

   

  

  

クルーズにイスタンブルの秋惜しむ 

cruising_

enjoying the autumn of

Istanbul

    

晩秋の暮れゆく海峡ボスポラス  

Ah Bosporus_

an evening

in late autumn 

    

       

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絹の道あくまで真直ぐ秋高し

the Silk Road_

straight to the end in the fields

high autumn

  

    Imga0090

                       

   

秋灯のモスクの祈り古都包む

the sound of prayer

from the mosque_

city lights in autumn

    

   

コーランの読誦殷殷古都晩秋

prayers of Koran

linger spreading deep_

Istanbul in late autumn

  

気球飛ぶカッパドキアや秋の雲   

balloons flying

over Cappadocia_

autumnal clouds

      

秋冷の気球遊覧奇岩群

views from my balloon

fantastic soaring rocks_

autumnal air

  

殉教の地下都市遺跡冷やかに

remains of martyrdom

in the old underground city_

cool in autumn

  

  

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2015年1月18日 (日)

虚子の俳句「去年今年貫く棒の如きもの」の棒とは何か?

    

(2025.1.18 更新

去年今年宇宙は廻りめぐるかな

足らざるを補ひ合ひて去年今年

       (薫風士)

  

虚子の俳句「去年今年貫く棒の如きもの」の棒とは何か?

「棒」は「虚子の信念」などの比喩でしょう。

     (薫風士の新解釈)

  

著名な俳人の著書の関連部分のページの写真を掲載して、従来の解釈・通説を下記のとおり紹介させて頂きます。

  

(写真1&2) 夏井いつき著「俳句鑑賞の授業」(P178~179)

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夏井いつきさんは、虚子のこの俳句を高く評価して、「『貫く棒の如きもの』という抽象的な比喩だけで、一瞬と永遠を合わせ持つ『去年今年』という季語の本質を見事に表現している」と述べていますが、夏井先生の「棒」を「一瞬と永遠の比喩」と解釈する考え方は腑に落ちません

   

従来、この俳句の「去年今年」を「貫く棒の如きもの」の主語と解釈して、俳人や評論家などが様々な解説をしていますが、何れの解説も決め手になっていないと思います。

  

虚子は、1981年(昭和56年)7月17日に亡くなった水原秋桜子への追悼句「たとふれば独楽のはぢける如くなり」に於いて主語(秋櫻子と虚子との関係の在り様)を省略しているように、この「去年今年」の句においても、棒の主体を省略して去年今年を副詞として用いていると解釈すると、すっきり説明が出来ます。

    

虚子が「去年今年」を主語として俳句を作っていたとすれば、「独楽」の俳句と同じように助動詞「なり」を用いて、「去年今年貫く棒の如きなり」と表現していた筈でしょう?

  

助動詞「なり」を使わず、「もの」と表現したことは、「去年今年」が主語でないことの証だと思いませんか?

  

「去年今年」を「虚子の信念」との取合せである、すなわち、「棒」を「虚子の信念」と解釈する考え方は、まだ一般的に通説として普及していませんが、反論出来ない限り正しい解釈と言えると思います。

    

(写真3) 
_101042伊藤柏翠著「虚子先生の思い出」(P96-97)

  

  

高浜虚子は宗演禅師のもとで参禅弁道をしたとのことですが、「明け易や花鳥諷詠南無阿弥陀」と詠んでいますから、薫風士の新解釈を一概に的外れとは言えないでしょう。

  

(写真4) 金子兜太著「酒止めようか どの本能と遊ぼうか」P140-141    

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金子兜太も、去年今年の俳句について「観念臭が強い」と言ってあまり高い評価をせず、通説通り「一物仕立て」として解釈していますが、その解釈・評価に兜太の取巻きも同意しています。

    

   

(写真5)パソコンで読んだ現代俳句協会の記事の一画面

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「去年今年」の「棒」を取合せとして、「男性器のメタファー」とも解釈できると、面白い解釈をしています。(評者横須賀洋子)

写真をタップ拡大して、記事をご覧下さい。

    

きごさい歳時記」の解説によると、「去年今年」の季語の来歴は『毛吹草』(正保2年、1645年)にあります。

  

青色の文字をタップすると関連のリンク記事をご覧になれます。) 

    

お暇があれば、2015年作成の面白い下記のオリジナル記事をお楽しみ下さい。  

  

高浜虚子の「去年今年」の俳句について、稲畑汀子さんは「虚子百句」において次のように述べている(抜粋)。   

    

「昭和25年12月20日、虚子76歳の作である。

・・・(省略)・・・ 

去年と言い今年と言って人は時間に区切りをつける。しかしそれは棒で貫かれたように断とうと思っても断つことのできないものであると、時間の本質を棒というどこにでもある具体的なものを使って端的に喝破した凄味のある句であるが、もとよりこれは観念的な理屈を言っているのではない。禅的な把握なのである。体験に裏付けられた実践的な把握なのである。

・・・(省略)・・・

_

ところで棒とはなんであろう。この棒の、ぬっとした不気味なまでの実態感は一体どうしたことであろう。もしかすると虚子にも説明出来ず、ただ「棒」としかいいようがないのかも知れない。敢えて推測すれば、それは虚子自身かも知れないと私は思う。

この句は鎌倉駅の構内にしばらく掲げられていたが、たまたまそれを見た川端康成は背骨を電流が流れたような衝撃を受けたと言っている。感動した川端の随筆によって、この句は一躍有名となった。・・・(以下省略)」

            

稲畑汀子さんは上記の如く述べているが、川端康成はこの句の「棒」をどのように解釈したのだろうか?

  

「貫く棒の如きなり」と言わず、「貫く棒の如きもの」と言っているから、「棒」は「時のながれ」というよりも「虚子の信念」の比喩であると思う。

   

「虚子俳句の痴呆性」を云々する人がいるが、この「去年今年」の句には「大鐘のごとし。小さく叩けば小さく鳴り。大きく叩けば大きく鳴る。」という坂本龍馬の言(勝海舟に説明した西郷隆盛の評価)を当てはめたい。

  

文学に限らず、音楽や絵画など、芸術は自己実現の個性を表現するものであり、それをよく理解できるか否かは鑑賞する人の性格や人生観、能力などが左右する。まして、俳句は17文字(音)で表現する短詩であり、論理ではなく感性にうったえるものである。従って、俳句はその作者と「場」を共有するか、それが作られた「場」を適切に推定することが出来なければ理解できないことがある。

  

特にこの「去年今年」の句のように比喩的な俳句は、読む人の見方次第で卑しい句であると誤解されることもある。

  

その逆に、俳句が作者の意図以上によく解釈されることも珍しくない。

  

それは俳句の本質的な限界でもあり広がりの可能性でもある。

  

中立的な表現の俳句は鏡のように、読む人の心を映しだす。

  

虚子はこのような俳句の面白さもこの句に織り込んだのではなかろうか?

             

大岡信さんは「百人百句」において、「俳句という最小の詩型で、これだけ大きなものを表現できるのはすごいと思わざるを得なかった。」と次のように述べている(抜粋)。  

(省略)・・・昭和20年代後半から30年代にかけては『前衛俳句』の黄金時代で、若手の俳人はそちらに行ってしまい、虚子は一人さびしく取り残されている感があった。

・・・(省略)・・・私は現代詩を書いていたので、・・・(省略)・・・どちらかというとはじめに前衛派的な人々の句に親しんだので、それから逆に句を読み進め、高浜虚子を初めてというくらいに読んでみた。すぐに感じたのは、虚子の俳人としての人物の大きさだった。

私は常々現代詩を作り、・・・(省略)・・・斎藤茂吉が好きだったので茂吉の歌もよく読んでいた。しかし、『去年今年』の句を読んだときに、俳句という最小の詩型で、これだけ大きなものを表現できるのはすごいと思わざるを得なかった。・・・(以下省略)

            

この句についてインターネットで検索していると、宗内敦氏の「アイデンティティ-第二芸術」というタイトルの傑作な記事があった。 

     

「去年今年(こぞことし)とは、行く年来る年、時の流れの中で感慨込めて新年を言い表す言葉である。しかして虚子のこの一句、『貫く棒の如きもの』、即ち、時の流れを超えて『我ここにあり』と泰然自若の不動の自我を描いて、まさに巨星・高浜虚子の面目躍如たる『快作にして怪作』(大岡信『折々のうた』)の自画像である。

それが何としたこと、バブル絶頂の頃だったか、ある新聞の本句についての新春特集ページに、『この句を知ったとき、顔が火照り、胸がときめき、しばらくは止まらなかった』という中年婦人の感想文(投書)が載せられた。一体何を連想したのか。破廉恥にも、よくぞ出したり、よくぞ載せたりと、バブル時代の人心・文化の腐敗に妙な感動をもったことを思い出す。・・・(以下省略) 

          

この「中年婦人」を「破廉恥」とか「卑しい」などと決めつけるのは誤解かも知れない。

  

この女性は汀子さんの上記の「虚子自身かも知れない」というコメントと英語「itself」の俗語の意味とを自然に結び付けて連想したのかも知れないのである。   

  

「虚子自身」も自分自身の「それ自身」を客観写生して、「生命力の強さ」をこの俳句で表現したのだ、と深読み出来ないこともない。

                

この句を作ったとき虚子は夏目漱石の「草枕」の冒頭にある有名な文「智に働けば角が立つ、情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」も意識していたかもしれない。 

   

この句の「棒」のイメージは、「草枕」の「情に掉させば流される」という文句や方丈記の名文句、美空ひばりのヒット曲「川の流れのように」の歌詞など、時世・人生を表現するのに用いられる「川のながれ」とは全く異なり、力強くて斬新なものである。

  

虚子は「深は新なり」とか「古壺新酒」と言っている。「花鳥諷詠」と「客観写生」を唱道していたが、「前衛俳句」の黄金時代にあって、「去年今年」の句を作ることによって「これも『花鳥諷詠』だ」と、その幅の広さと虚子の信念と自信をアッピールすることを意識していたのではなかろうか。

  

    

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2014年10月 6日 (月)

チュヌの俳句・四季 (Haiku of Chunu・Four Seasons)

  

主人はチュヌとチュヌの友達の写真と俳句などを記事にしてくれました。

(外国の友人のためのHAIKUも対訳で掲載します。)    

 

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 写真は、在りし日の元気な愛犬チュヌです。

    

      

(年末・年始、冬: Year-end・New Year, Winter)

       

年用意犬のシャンプー先づ済ませ

  shampooing of my dog

  comes first in my preparation

  for New Year

       

純白のサモエド犬に初朝日

  the New Year’s sun rises,

  shining on the pure white

  of the Samoyed dog

  

    

我もまた犬馬鹿となり去年今年

 another dog-fool 

    me too,

    New Year's days

   

    

初遊び孫の飛行機犬追ひて

 the first play of New Year_

 the dog following

 the plane of a grandchild

   

    

家族とて犬も一椀七日粥        

    New Year porridge

    a bowl to the dog

    as a family member

                   

   

    

牡蠣鍋や犬はふて寝の背を向けて

    the table pot oyster meal_

    the neglected dog

    looking away in the sulks

   

    

愛犬の舐めゐる器初氷

    the season’s first ice_

    the bowl

    licked by the dog

   

    

愛犬の糞も寒肥庭手入れ

(aiken-no fun-mo-kangoe niwa-teire)

  

     excrements of our dog

     used as fertilizer_

     gardening of midwinter

   

四温晴れ愛犬庭に大仰臥

  warm clear day after cold one_

  my beloved dog lies supine

  with legs wide spread

    

風花や犬はソナタにすやすやと

    the sunshine snow-flakes_

     the dog in sound slumber

    listening to a sonata

        

雪しまき故郷恋ふかにサモエド犬

     the blowing snow_

        the Samoyed dog

     longing for native home

         

         

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(春: Spring)

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残雪を食みて飽かざるサモエド犬

    the Samoyed dog  

    tirelessly            

    devours the remaining snow

  

          

春めくや犬と行く丘町眼下

   the springlike weather_

  a walk with my dog

  the hill overlooking the town

           

  

木の芽晴れ犬を侍らせ庭手入れ

  a leaf-budding clear day_

  I tended my garden plants

  with my dog lying beside me

    

のどけしや犬の遠吠え鴉の音

  serene weather!

  a dog howling in the distance

  a crow is cawing

         

犬舐めし童の破顔春うらら

  licked by the beloved dog,

  a child grins with joy_

  the bright spring day

    

 初蝶来犬寝そべりて目で追ひぬ

  the first butterfly of the year_

  the sprawling dog

  chases with eyes only

    

 愛犬の馴染みの土手や犬ふぐり

  tiny flowers of weeds

  looking like scrota of a dog_

  the bank favored by the dog

   

 サモエドの尻振る闊歩麗らけし

  Samoyed dog leisurely strides_

  buoyant wagging of the tail

  like the springtime

   

 長閑けしや仰臥の犬の恍惚と

  balmy!

  the dog lying supine

  the spling-like weather

 

チュヌの写真

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(夏: Summer)

   

愛犬の大舌だらり夕薄暑

 dangling the long tongue

  my beloved dog_ 

  the early summer evening heat

 

薄暑急愛犬遂にダウンせり

too soon the hot weather_ alas!

my beloved dog has collapsed

 

黒南風の雨を厭はず犬散歩

 my dog willing to walk_

 in spite of windy rain

  before the rainy season

 

犬小屋の日除けのゴーヤ伸び早し

bines of balsam pear

grow fast

for sunshade of a doghouse.

 

節電の炎日続き犬喘ぐ

 the dog pants

 a spell of hot weather

 in power-saving days

 

遠雷や眠りし犬は耳ピクリ

 a distant thunder

 the sleeping dog

  twitches the ears

 

雷間近猛りし犬のけたたまし

 a thunderbolt close at hand

 the dog 

  furiously barks

   

   

    

   

(秋: Autumn)  

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股関節外れし犬や秋暑し

 my dog suffers from

 dislocation of a hip joint_

 the hot autumn day   

      

   

病癒え新涼の庭駆ける犬

 recovered from pancreatitis

 the beloved dog runs

 the garden of early autumn   

   

飛ぶ帽子犬と猛追野分前

 dog and me

 frantically chase the blown-off hat

 on a pre-typhoon walk

 

サモエド犬駆け行く背ナにこぼれ萩 

petals of Japanese bush clover

 on the white back of

 the running Samoyed

 

満面に草の実つけしサモエド犬

 how cute my Samoyed!

 the whole face

 with weed-seeds clinging

 

健啖の犬貪れり落銀杏

 a hearty appetite_

 my dog devours

 fallen ginkgoes

 

木瓜の実の玉蹴り犬は食み食みつ

 the dog bites and eats

 a quince ball

 at every my kicking

 

小気味よく犬と踏み行く落葉道

 the path covered with fallen leaves

 the dog and me

 delightfully treading on

 

サモエドの寝顔くすぐり紅葉散る

 a red leave falls

 and tickles

 an ear of the sleeping dog

 

熟柿落つ目指して犬のまっしぐら

  a ripe persimmon falls,

  my dog dashes

  for it

    

   

最近、俳句フォトアルバムが盛んになっているようです。

主人は余裕が出来たらもっとチュヌの俳句アルバムなども整備してくれるそうです。

   

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2014年5月 9日 (金)

チュヌの俳句・夏(Haiku of Chunu・Summer)

    

愛犬の大舌だらり夕薄暑

(aiken-no ōshita darari yu-hakusho)

  

long tongue of my beloved dog,

dangling in the heat

of early summer evening

 

薄暑急愛犬遂にダウンせり

(hakusho-kyū aiken tsuini daun-seri)

   

too soon! early hot weather,

my beloved dog collapsed

unbearable at last

  

黒南風の雨を厭はず犬散歩

(kurohae-no ame-o itowazu inu sanpo)

     

my dog eager to walk

in spite of rain 

before the rainy season

  

犬小屋の日除けのゴーヤ伸び早し

(inugoya-no hiyoke-no gōya nobi-hayashi)

   

bines of balsam pear

grow fast

for sunshade of our doghouse

    

節電の炎日続き犬喘ぐ

(setsuden-no ennichi tsuzuki inu aegu)

  

my dog pants

in a long spell of hot weather_

power-saving days

   

遠雷や眠りし犬は耳ピクリ

(enrai-ya nemurishi inu-wa mimi-pikuri)

   

a distant thunder,

our sleeping dog twitched

its ears

  

雷間近猛りし犬のけたたまし

(rai majika takerishi inu-no ketatamashi)

    

upon thunderbolt close at hand,

our dog became furious,

barking

   

PhotoSn3u0941Photo

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