コメント:

毎日新聞(2015.2.26)に「戦後70年:今も続いている国民への忍耐押しつけ」というタイトルでドナルド・キーンさんインタビュー記事があった。
親日家のキーンさんの言葉に耳を傾けてほしい。
http://mainichi.jp/feature/news/20150226mog00m040001000c.html
をクリックしてご覧下さい。

「神戸まろうど通信」の「佐藤鬼房論」に次の記述があった(抜粋)。
http://blog.goo.ne.jp/maroad-kobe/e/58a48f93e3d93f53b4f2b6a01fd6d1ac
  
☆もうひとつ、戦時の文芸で問題にすべきことは、詩(例えば一九四〇年の「神戸詩人事件」、三七年一二月に雑誌「川柳人」の同人たちの検挙、四一年二月に新興俳句系、四一~四二年歌人など、四三年まで続いている。ちなみに、鬼房は弾圧が吹き荒れていた時、中国戦線にて兵役に服していたこともあって、難を逃れている。鬼房は「戦中は詩をやるとにらまれるけれど、俳句は案外にらまれないね」(『証言・昭和の俳句 下』139)と語っている。

上記の「俳句は案外にらまれないね」のように俳句が戦中を生き延びることが出来たのは、虚子の唱道した花鳥諷詠の俳句では戦争を美化することもなく、川柳や新興俳句のように作者の反戦的な考えや思いを明瞭に表現することもせず、人事を超越し中庸を維持したからだろう。
俳句談義(5)http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2015/02/post-0c81.html をご覧下さい。

二葉亭餓鬼録 「川柳の世界」
http://ameblo.jp/tta33cc/entry-11255696783.html
に次の記述があった。

谷崎潤一郎の「細雪」も、昭和18年3月、連載が2回を数えたところで、いきなり中止となりました。厭戦俳句・短歌を載せた雑誌は、ことごとく休刊に追い込まれ、それでもがんばって反戦俳句を載せ、治安維持法に触れて検挙されたり、投獄された者が多かったのです。
そして川柳界は、戦時下に入ると、ますます戦意向上のポスターみたいな川柳を求められるようになりますが、水府は、なんとかして、川柳雑誌「番傘」を守ろうとして、なくなくこころにもない句を載せます。
《せつかちの老人気質おもしろし》と詠んだ高浜虚子。
俳句にしてはめずらしい無季句なんですが、なんとなく川柳にも見えてきます。すると、これはへんだぞ、という声がかかり、みんなは川柳みたいだといいはじめます。虚子は、「俳句は、滑稽が生命である」といい張ります。これを知った水府は、おやおや、これでは川柳は、俳句にお株を取られたかたちじゃないか、といったのだそうです。

上記の引用からも、高浜虚子が戦時下の俳句を守るために腐心したことが窺われます。