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2024年5月 9日 (木)

アイリスの一輪咲くや躑躅散る

 

(airisu-no ichirin saku-ya tsutsuji chiru)

    

upon blooming of an iris,

flowers of azalea droop_

my garden

    

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タイトルは庭の季節の移ろいを表現するためのブログ用拙句です。

躑躅」は晩春の季語ですが、「アイリス」は初夏の季語です。

  

Photo

写真のように咲き誇っていた躑躅が散りはじめ、5月7日にはジャ-マンアイリスが一輪咲きました。

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Click here to see "Trip to Poland (Haiku and pictures; lecture on haiku)".

   

「チュヌの俳句・夏(Haiku of Chunu・Summer)」や「イタリア旅行」をご覧下さい。  

  

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2024年2月 7日 (水)

早春の吟行《清荒神》

   

(2025.1.27 更新)  

白蛇の呼ぶ参道や春浅し

客を呼ぶ白蛇見しや初詣

          (薫風士) 

   

「呼ぶ」には、「集める」という意味もあります。
掲句「客を呼ぶ」の助詞「や」は、「切字」・「詠嘆」・「疑問」の三役をしています。

「ペンは剣より強し」と、「俳句を通じて世界平和を!」というキャッチフレーズで、老躯を労わりながら俳句の英訳ブログ「365まんぽhaiku」を書いていますが、俳句の真髄・醍醐味は日本語を知らない人には理解できません。

皆さんのご支援を得て、世界の人々が日本語に興味もち、日本のことを「Small country, but, Great country and Great people」と認識してくれるようになれば、望外の喜びです

  

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冒頭の写真は清荒神清澄寺境内案内図や行事案内ポスター、パンフレット(一部分)、清荒神駅ホ-ムにある清荒神清澄寺案内板などです。

 

  

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宝塚市にある清荒神清澄寺を2024年2月7日に訪ね吟行した写真を掲載します。

写真をタップ拡大してご覧になり、疑似吟行をされるのも結構ですが、実際にお参りし、吟行されることをお勧めします。

写真や「まんぽ俳句」の拙句が吟行の何らかのヒントになれば幸いです。

最後の写真の雛壇は宝光亭にありました。

   

紅白の春の山茶花参道に

(「山茶花」は冬の季語なので「春の山茶花」としました。)

   

あな不思議スマホ写真に春の虹

(不思議なことに、スマホで撮った参道の写真に逆さ虹が写っています。「虹」は夏の季語なので、「春の虹」と表現しました。)

   

濡れつつも交はす季語論春時雨

(「時雨」は冬の季語ですから「春時雨」にしました。)

   

狛犬も布袋(ほてい)も阿吽春の杜

(清荒神の境内は神仏習合で、狛犬の奥にある対の布袋の笑みも、気のせいか、阿吽(あうん)に見えました。

  

早春の鳥居仰ぐ女(め)赤と黒

(珍しい緑青色の鳥居を見上げていた老女(?)連の赤や黒のコ-トの色が印象的でした。)

   

春の池鯉悠然と神の杜

(池苑に黒い鯉が沢山悠々と泳いでいました。)

  

荒神の薄墨桜芽吹き未だ

(薄墨桜の芽吹きまでには未だ間がありそうです。)

  

大いなる仏足石や冴反る

(「冴返る」は春の季語です。奈良の薬師寺にある仏足石は753年に作られ日本最古です。)

  

春天を仰ぎ掛け水大地蔵

(巨大な一願地蔵に水を掛けるのは容易ではありませんでした。)

  

切株の朽ち面笑むや杜の春

(朽ちて穴が開いた切り株を遊び心で誰かが笑顔に造形したようです。)

  

手相見の見るは足元春の顔

(占師は手相を見ながら客の顔色や足元を見て占うとのことです。

この句は「俳句擬き川柳擬き」ですが、「春の顔」を「客の顔」に変えると、完全な川柳になります。)

  

早春の古りし参道花舗明り

(平日早朝の参道は参拝者も稀で古びた店が並ぶ中で花屋さんの赤や黄色の花が印象的でした。)

  

白蛇の幸も売り物春の店

池田竹産店の白蛇の親子を見て蛇嫌いの句友も可愛いと言っていました。

    

春浅き参道犬と相老いて

(参道や境内で犬連れの参拝者をよく見かけました。)

  

春の宮犬の顔出す乳母車

(乳母車に稚児と犬を乗せている夫婦がいました。)

   

荒神の水音清し春の滝

(「滝」は夏の季語なので「春の滝」とし、遊び心で「上五」の「荒神」と「中七」の「(水音)清し」を合わせると「清荒神」になる表現にしました。)

  

龍王てふ滝に祈る女春の杜

(「てふ」は、「ちょう」と読み、「という」意味の古語です。

「女」は「め」と定型のリズムで読んで下さい。)

竜王滝に手を合わせている女性を見かけて口遊みましたが、滝の左の岩陰に小さな地蔵が立っています。

         (薫風士)

  

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2023年3月 1日 (水)

Haiku of Bashō(芭蕉300句 181~190)

    

降る音や耳も酸うなる梅の雨

(huru-oto-ya mimi-mo-suunaru ume-no-ame)

                           (181/300)  

the sounds of rain,

falling on plum-trees,

make my ears sour.

 

 

雲雀鳴く中の拍子や雉の声

(hibari-naku naka-no-hyōshi-ya kiji-no-koe)

                            (182/300)

cries of pheasants,

making rhythmical beats

among chirps of skylarks  

 

しばしまもまつやほととぎす千年

shibashima-mo matsu-ya hototogisu sen-nen

                           (183/300)

awaiting a cry of a little cuckoo,

for a short time_

as if for a thousand years

  

(注)

この俳句は「5--4」の破調です。

「松は千年竹は万年」という諺に因んで、「まつや」を「待つや」と「松や」の掛詞にしています。

   

五月雨や桶の輪切る夜の声

samidare-ya oke-no-wa-kiruru yoru-no-koe

                            (184/300)  

the early summer rain_

the tub’s hoop break:

the voice of night

   

(注)

この俳句をWEB検索すると、「桶の輪切る」を「箍が切れた」と解釈していますが、「桶の輪切れし」とか「桶の輪切れたる」という表現でないので、そのような解釈は誤りでしょう。

「夜の音」といわず「夜の声」と擬人的表現をして、「桶の箍が切れるほど強い五月雨に桶の水が溢れている音がする」のを比喩的に詠んだ俳句と解釈して、「切る」を「break」と不定詞(動詞の現在形の「s」を付けない原形)にして、仮定法現在で訳出しました。

ちなみに、「575訳」も次のとおり翻訳していますが、誤訳と言えるでしょう。  

in the summer rain

the hoop of the pail has split,

a sound of the night  

 

子ども等よ昼顔咲きぬ瓜むかん

kodomo-ra-yo hirugao-saki-nu uri-mukan

                           (185/300)   

Children!

Bindweeds are in bloom_

I’ll peel cucumbers for you.

 

 

五月雨や色紙へぎたる壁の跡

samidare-ya shikishi-hegi-taru kabe-no-ato

                           (186/300)  

the early summer rain_

a trace on the wall:

peeled-off poetry-card

  

田一枚植て立去る柳かな

ta-ichimai uete-tachisaru yanagi-kana

                            (187/300)  

upon planting rice

in a lot of paddy field,

there left a willow

 

蕣や是も又我が友ならず

asagao-ya koremo-mata waga-tomo-narazu   

                           (188/300)  

morning glories_

neither they

my companions

 

玉祭りけふも焼場のけぶり哉

tamamatsuri kyo-mo-yakiba-no keburi-kana

                            (189/300)   

today too_

the crematory

smoking

  

家はみな杖にしら髪の墓参

ie-wa-mina tsue-ni-shiraga-no hakamairi

                            (190/300)

the whole family_

visiting the grave,

with sticks and grey-haired 

 

2023年2月26日 (日)

Haiku of Bashō (210/300)《秋の風》

 

見送りのうしろや寂し秋の風

(miokuri-no ushiro-ya-sabishi aki-no-kaze)

   

(L.P. Lovee 訳)

seeing you off,

I feel lonely by my back

in the autumn wind

    

(575訳)

as I see you off

it is sad to see your back

in the autumn wind

   

(注)

この俳句は芭蕉が名古屋に滞在中に門人の野水が上方に出発した時の餞別吟です。

「見送りのうしろ」を「575訳」は「野水の背中」と普通の解釈をして英訳していますが、L.P. Lovee訳は「芭蕉db.」の下記の解説に従って「芭蕉の背中」と解釈して翻訳しています。

芭蕉のみが実態を知っていることでしょうが、いずれの解釈も当てはまるかもしれません。

芭蕉db.の解説

野水が上方に出発した。その見える影はと見送っていると、なぜか自分の背中に秋風を感じて寂しくなる。

   

Haiku of Bashō (209/300)《散柳》

  

庭掃て出ばや寺に散柳

(niwa-haite ide-baya-tera-ni chiru-yanagi)

     

I’d like to sweep the garden

before leaving the temple_

fallen willow leaves

   

(注)

この俳句は、「全昌寺を出立しようとする芭蕉に寺の若い僧たちが紙と硯をかかえてお堂の階段の下まで一句を求めて追いかけて来たので、とりあえず草鞋をはいたままで詠み書き与えた即興句」です。(「芭蕉db.」や「芭蕉会議」参照。)

   

  

Haiku of Bashō (208/300)《いなづま・稲妻》

  

いなづまを手にとる闇の紙燭哉

(inazuma-o te-ni-toru-yami-no shisoku-kana)

    

a shisoku-torch in the dark,

looking like lightning

taken with your hand

 

2023年2月24日 (金)

Haiku of Bashō (207/300)《名月》

  

名月や門に指くる潮頭

(meigetsu-ya kado-ni-sashikuru shiogasira

  

the harvest moon_

coming up to the gate,

the crest of tide wave

  

Haiku of Bashō (206/300)《月見》

 

けふの今宵寝る時もなき月見哉

 

(試訳A)

this evening_

I’ll have no sleep:

moon-viewing

  

(試訳B)

today's evening_

without sleeping,

moon-viewing

   

(注)

「切れ」には試訳A、Bいずれも「_」を用いていますが、Aのsleepは名詞なので句読点にコロン「:」を用い、Bのsleepは動詞なので句読点はコンマ「,」にしています。 

「けふの今宵」を 考慮してAは「I'll」と未来形に翻訳し、Bは文字通りの英訳にしました。

   

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Haiku of Bashō (205/300)《猫の恋》

  

麦めしにやつるる恋か猫の妻

(mugimeshi-ni yatsururu-koi-ka neko-no-tsuma)

  

a cat’s wife_

emaciated with boiled barley;

yet in love?

  

(注)

俳句の切字を英語で表現するには句読点(「_」や「,」「;」「:」)や疑問符「?」、感嘆符「!」などを適宜活用すると良いと思います。

  

2023年2月23日 (木)

Haiku of Bashō (204/300)《夕顔・秋・瓢》

 
夕顔や秋はいろいろの瓢哉
(yūgao-ya aki-wa-iroiro-no fukube-kana)

(試訳A)
moonflowers_
various gourds ripen
in autumn
 
(試訳B)
moonflowers_
various gourds made
in autumn



(注)
この俳句は、上五の「や」と下五の「哉」と、切字を二つ用いて、更に「5-8-5」の破調にしています
芭蕉は意図的に型破りの俳句にして、夏から秋への季節の移ろいの感慨を強調したのでしょうか
 
この俳句の解釈は夏に花を見て詠んだのか、秋に実を見て詠んだのか、定説が無いようですが、花を見て詠んだ俳句と解釈するのが妥当だと思います。(芭蕉db.参照
  
試訳Aは自然に実る瓢を詠んだという解釈で英訳し、試訳Bは色々な瓢箪が作られることを詠んだという解釈でシンプルな英訳にしました。
「575訳」は花を見て詠んだことを前提に、上記の何れの解釈にも当てはまる「5-8-5」のシラブルで、次の通り英訳しています。
  
bottle gourd flowers
in autumn all turn into gourds
of different shapes
 

2023年2月22日 (水)

Haiku of Bashō(203/300)《茸狩・夕時雨》

 

茸狩やあぶなきことに夕時雨

(takegari-ya abunaki-koto-ni yū-shigure)

   

mashroom gathering_

barely escaping dangerous happening:

seasonal rain in the evening

    

(注)

この俳句の「や」を「切字」と解釈して「_」を用いましたが、三段切れになります。

英語俳句の文脈から判断すると、「_」の代わりに「,」を用い、「:」で「happening」即ち「rain」であることを明瞭に表現する方が良いでしょう。

いずれにせよ、俳句の切字を英語で表現するには句読点(「_」や「,」「;」「:」)や疑問符「?」、感嘆符「!」などを適宜活用して、句意を簡潔・明瞭に表現すると良いと思います。

    

Haiku of Bashō (202/300)《秋涼し・瓜・茄子》

  

秋涼し手毎にむけや瓜茄子

(aki-suzushi te-gotoni-muke-ya uri-nasubi)

  

cool in autumn_

let’s peel respectively with hands

oriental melons and eggplants

   

(注)

この俳句は、松玄庵に招かれて出された料理に感謝を込めた句です。 (芭蕉db.参照

   

2023年2月21日 (火)

Haiku of Bashō (201/300)《萩》

  

蕎麦もみてけなりがらせよ野良の萩

(soba-mo-mite kenarigaraseyo nora-no-hagi)

   

look at buckwheat flowers, too

for making them envious_

wild bush-clovers

   

この俳句は、芭蕉が荘右衛門宅を訪問した際に蕎麦の花を見て、「けなりがらせよ(羨ましがらせよ)」と萩の花に呼び掛けている挨拶吟です。

芭蕉db.参照

Haiku of Bashō (200/300)《撫子》

  

酔て寝むなでしこ咲ける石の上

(yōte-nen nadeshiko-sakeru ishi-no-ue)

   

I’ll sleep drunken

on a rock with

pinks in bloom

  

Haiku of Bashō (199/300)《露けし・女郎花》

   

ひょろひょろと猶露けしや女郎花

(hyoro-hyoro-to nao-tsuyukeshi-ya ominaeshi)

  

slender,

yet dewy_

maiden flowers

   

Haiku of Bashō (198/300)《秋の風》

  

あかあかと日は難面もあきの風

(akaaka-to hi-wa-tsurenaku-mo aki-no-kaze)

  

red red_

the sun indifferent, but

autumnal wind

  

Haiku of Bashō (197/300)《秋》

   

秋来にけり耳をたづねて枕の風

(aki-kinikeri mimi-o-tazune-te makura-no-kaze)

    

autumn has come_

the wind of pillow,

coming to my ears

    

(注)

この俳句は、芭蕉が俳諧宗匠となった34歳の作です。

藤原敏行の歌「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」(古今集)をパロディー化した句とのことで、「6-7-6」の破調です。(芭蕉db.参照

    

2023年2月19日 (日)

Haiku of Bashō (196/300)《枯芝・陽炎》

 

枯芝やややかげろふの一二寸

(karesiba-ya yaya-kagerou-no ichi-ni-sun)

   

the withered lawn_

one or two inches of

slight heat-haze

   

 

(注)

この俳句は、「枯芝」(冬の季語)と「陽炎」(春の季語)を用い、季節の移ろいを詠んだ句です

 

2023年2月17日 (金)

Haiku of Bashō (195/300)《夏野》

      

馬ぼくぼく我をゑに見る夏野哉

(uma-boku-boku ware-o-e-ni-miru natsuno-kana)

  

a horse plodding:

a picture of my ride

in the summer field

 

(注)

この俳句は芭蕉が自分の旅姿を比喩的に画賛として作った句です。

句意が明瞭になるように「my ride」を補足して意訳しました。

この句の解釈には、「芭蕉db. 夏野の画賛」が参考になります。

https://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/tanpen/natsuno.htm

をご覧下さい。

   

Haiku of Bashō (194/300)《夕顔》

  

夕顔にみとるるや身もうかりひょん

(yūgao-ni mitoruru-ya mi-mo-ukarihyon)

   

moonflowers_

lost in viewing,

fascinated