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2015年7月

2015年7月28日 (火)

政治談義(11): 国民の不安          <安保法制と徴兵制>

                       

与党が世論を無視して「安保法制関連法案」を強行採決したやり方を見て、「強引な安倍政権が続けば徴兵制になる」と不安を抱いている国民が多いのではなかろうか?

     

(青色文字や青色下線の文字をクリックして関連の記事をご覧下さい。)

    

自民党の憲法改正案では「自衛隊」が「国防軍」になり、普通に戦争が出来るようになっている。

現在自衛隊への就職希望者が多いのは平和憲法で自衛隊の活動が制限され、もっぱら自衛のための専守防衛と災害復旧など、戦闘ではない活動だからである。安保法制関連法が制定されると、自衛隊への入隊希望者が激減し、少子化で若者が減少し、徴兵制にせざるを得なくなるだろう。そのような不幸な事態は避けなければならない。

      

内閣官房のホームページに「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について』の一問一答 」(35問)がある。

    

徴兵制」については次の通り記載されている。

【問16】 今回、集団的自衛権に関して憲法解釈の変更をしたのだから、徴兵制も同様に、憲法解釈を変更して導入する可能性があるのではないか?

【答】 徴兵制は、平時であると有事であるとを問わず、憲法第13条(個人の尊重・幸福追求権等)、第18条(苦役からの自由等)などの規定の趣旨から見て許容されるものではなく、解釈変更の余地はありません。

   

「解釈変更の余地はありません」という上記の回答を国民の何パーセントが信じるだろうか?

    

憲法第13条には、「すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」とある。

     

政治談議(9)」で述べたように、安倍総理や取巻きの弁護士政治家(高村副総裁稲田政調会長など)は砂川事件最高裁判決を曲解して、「安保関連法案が憲法9条に違反しない」と「まやかし」の説明をしている。それと同じ様に、「公共の福祉に反しない限り」が曲解され、国民の権利が矮小化され、状況によっては徴兵制が閣議決定される可能性を否定できない。

安保法制に関する閣議決定に懲りて、国民の大多数は政府の説明を鵜呑みにしないだろう。

      

政府は「安保法制関連法案」を閣議決定し、憲法に違反する可能性の大きい「安保法制関連法案」を「砂川事件」に関する最高裁判決曲解することによって合憲だと主張し、世論の反対を無視して強行採決をしているから、国民が不安を抱くのは当然である。

       

「安保法制関連法案」の閣議決定について、政府は「今回の閣議決定は、我が国を取り巻く安全保障環境がますます厳しさを増す中、我が国の存立を全うし、国民の命と平和な暮らしを守るため、すなわち我が国を防衛するために、やむを得ない自衛の措置として、必要最小限の武力の行使を認めるものです。」と言っている。

    

この説明の「武力の行使」を「徴兵制」に置き換えると、次のように尤もらしい説明になるのではなかろうか?

   

「今回の閣議決定は、我が国を取り巻く安全保障環境がますます厳しさを増す中、我が国の存立を全うし、国民の命と平和な暮らしを守るため、すなわち我が国を防衛するために、やむを得ない自衛の措置として、公共の福祉に鑑み、必要最小限の『徴兵制』を認めるものです。」   

     

安倍総理は、自分の主張の根拠に何かにつけてご都合主義のつまみ食いをしている。安保法制関連法案の全文を見て全貌を把握しなければ、上記の35問の説明だけでは安心できない。法案の全文を通読できるようにして政府のインターネットのサイトに掲載すべきだ。与党は「丁寧な説明」をすると何度も繰り返すばかりで、法案の条文を国民のために読みやすくする配慮をしないのは全く納得できない

政治家や評論家、マスコミなど、誰もこの点を指摘しないのが不思議だ。

    

国民は法案の全文を知れば、「徴兵制についても同じことが繰り返される」という心配や安保法制関連法案に対する反対をしなくなるかもしれない!

それとも、「安保法制関連法案を白紙に戻し、再検討せよ」という声が一層高まるか?!

政府は後者の事態になることを恐れているのだろうか?

    

参議院では与党の質問時間が多いとのことである。「お題目」の繰り返しでない、文字通り「丁寧な説明」を期待している。

「初めに結論ありき」でなく、法案の条文を参照して具体的な事例について政策論をすることによって、政治談義(10)で述べたように「良識の府」に相応しい真摯な議論をしてほしいものである。

        

余談だが、毎日新聞朝日新聞の記事によると、「2018年度以降、小中学校の道徳が正式な教科に格上げされるのに向け、文科省が作成した教科書検定の基準案を文部科学相の諮問機関『教科用図書検定調査審議会』が了承した」とのことである。

「問題解決や体験を重視するなど、『考える道徳教育』を促す内容」になっているらしい。「一方的な価値観の押しつけでなく、子どもが自分で考える授業になるよう、教材の面から後押しする狙いがある。」とのこと、結構なことである。

また、改訂された道徳の指導要領には、「『正直、誠実』『家族愛』などのキーワードを設けた。基準案でも指導要領に沿い、『伝統と文化』や『先人の伝記』などを必ず盛り込むよう求めている。」とのことである。

    

安倍総理以下与党の議員には、最高裁判決の「まやかし」の解釈をせず、先ず自らが率先して、国民に対して総理大臣や国会議員として『正直、誠実』を実践し、模範を示してほしい。

              

2015年7月24日 (金)

政治談義(10): 「安保関連法案」の全文を通読出来る形式に直ちに編集し、まともな「法案」にせよ!

                            

参議院に於ける安保法制関連法案審議は踏み込んだ実のあるものにしてほしい。

お題目」の繰り返しや戸締り」「火事」などの幼稚な分かりきった例え話をするのは貴重な審議時間の浪費である。

(青色の文字や下線の文字をクリックして関連の記事をご覧下さい。)

    

安倍総理は「議論が憲法論・法律論になりすぎている。政策論をやるべきだ」という趣旨のことを言っている。だが、法案の違憲性が問題になっているのだ。政策のためには憲法を無視しても良い」ということにはならない。

安倍総理はこんな単純なこともわからないのだろうか?

本末転倒の論理を展開して、国民が納得するはずがない。

国民の理解を深めるためには、安保法制関連法案の全条文を旧法と対比することなく通読出来る形に直ちに編集して国民に提示することが先決である。その上で、条文と政策を関連付けて国民に説明すべきである。

それこそが文字通り国民の理解を深める」「丁寧な説明である

「そんなことをすれば手の中を敵に知られる」と安倍総理は云うだろう。だが、頭を使えば手の中を知られずに政策を説明することは可能である。

ただし、「抑止力」として機能する筈のことが「誘発力」になることがあるから、字面気を付けなければならないことは言うまでもない。

     

国立競技場デザイン・建設計画を白紙に戻し再検討することにしたように、安保法制関連法案与党・野党が真摯な議論をし、国民が納得する法案に修正する努力をすることが何よりも大切である。

              

上記のような提案を無視して、安倍総理以下与党議員が「お題目」の繰り返しや、わかりきった幼稚な例え話しかしないとすれば、何故か?

安倍総理は戦後レジームの脱却を唱導しながら、「ポツダム宣言」をつぶさに読んでいなかつたように、「砂川事件の最高裁判決」も「安保関連法案」も読んでいないということか? 

安倍総理はフジテレビのニュース番組出演で、「砂川事件の最高裁判決」を得々として引用し、「我が国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものでなく」と言っている。安倍総理は「固有の自衛権」と「集団的自衛権」の区別がつかないのか、国民をたぶらかしているのか、いずれにせよ、砂川判決を根拠に安保法制の合憲性を主張することは「まやかし」になる。

国民は「皆村の愚か者」と思っているのか?

安倍総理には難しくて分からないということか?

        

戦争抑止力」「戦争法案」「非国民」「売国奴」など短絡的な不毛の「レッテル貼り」がインターネットで飛び交っている。

参議院の審議ではそのような「レッテル貼り」の応酬をしてほしくない。

与党の議員は、安保関連法案が現行法よりも抑止力が高まるという理由を具体的事例について法律条文を参照しながら野党議員に解説してほしい。そうすれば、実のある政策論が出来るのだ。

政治談議(3)で述べたが、参議院では「良識の府」として、与党も野党も不当な党議拘束を掛けるべきではない。

     

国民が政治や政治家に対する信頼感を失うと日本の将来はどうなるのだろうか? 国民を不幸にする独裁者が国政を牛耳ることになるのではないか。  

安倍総理は既にその走りになっているのか、歴史に残る愛国的名首相か、それとも単なる愚かな「裸の王様」か? 

皆でよく見極めて次の選挙をしよう!

       

2015年7月15日 (水)

政治談議(9):「まやかし」の暴挙《最高裁判決と安保関連法案について》

         

「砂川事件の最高裁判決」を根拠に安保法制関連法案の合憲性を主張するのは「まやかし」である。安倍晋三総理や取巻きは最高裁判決を「つまみ食い」して憲法学者を侮蔑している。

     

このことは「砂川事件最高裁判決」の「憲法九条」に関する次の文言から明らかである。

(判決の全文はここをクリックしてご覧下さい。)

  

「自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。」

「ところで、本件安全保障条約は、前述のごとく、主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するものというべきであつて、その内容が違憲なりや否やの法的判断は、その条約を締結した内閣およびこれを承認した国会の高度の政治的ないし自由裁量的判断と表裏をなす点がすくなくない。それ故、右違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、従つて、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであつて、それは第一次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的判断に委ねらるべきものであると解するを相当とする。」

     

憲法第9条に関して、砂川事件一審判決の「理由」には次の文言がある。

 

「自衛権を否定するものではないが、侵略的戦争は勿論のこと、自衛のための戦力を用いる戦争及び自衛のための戦力の保持をも許さないとするものであつて」

(一審判決の全文はここをクリックしてご覧下さい。)

   

一審判決の上記文言に関して、最高裁判決は「自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として」といっている。すなわち、違憲判断の是非に関しては判断を示していないのである。

しかも、最高裁判決は、「外国軍隊の日本における駐留」の合憲性について判断したに過ぎず、「安全保障条約」について「終局的には、主権を有する国民の政治的判断に委ねらるべきものであると解するを相当とする」と判示している。

    

ところが、安保法制関連法案について、ほとんどの憲法学者が違憲だと判断しているばかりでなく、最近の世論調査では過半数が反対している。

与党は、「選挙で過半数を獲得しているから、最高裁の判決理由の『内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断』に矛盾しない」と考えているようである。

しかし、マニフェストには「安保法制関連法案」の明確な記載がなかったから、国民はこの「安保法案」の成立を期待して与党議員に投票したわけではない。

    

TV Asahiの世論調査によると、安全保障関連法案について「反対45%、わからない31%、賛成24%」であった。「反対」と「わからない」の合計は「憲法改正」や「法律案の衆議院優越可決権」に必要な比率:「3分の2」を上回る76%である。

(政治談議(1)参照)

   

最近の世論調査では、8割が納得していない

過半数がこの法案に「反対」している現状であるから、この点でも最高裁判決を根拠にするのは誤りである。    

 

このような状態で党議拘束をすることは国民の意思を無視した独裁的横暴である。

        

安倍独裁体制が強引に進められ「無理が通れば道理が引っ込む」ことになると恐ろしい。

 

参議院が「安保法制関連法案」の審議を適正に行い、自衛隊が文字通り日本国民の自衛のためにのみ活動するものであることを明瞭に規定した法律に修正する必要がある。

 

政治談議(4)」で述べたように、国際的に誤解を与えない法律に修正すべく、参議院良識の府として機能することを祈るばかりである。       

          

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政治談議(2)<政治家の「字面」軽視=外交音痴>(ミスタイプ訂正版)

                                 

安倍首相は、「昭和47年政府見解では、集団的自衛権必要最小限度を超えると考えられたが、大きく国際状況が変わっているなかで、国民の安全を守るために突き詰めて考える責任がある」と述べ、「国際情勢にも目をつぶって従来の(憲法)解釈に固執するのは政治家としての責任の放棄だ」と述べている

政府・政治家が国際状況の変化に対応することを考えなければならないことは当然である。だが、そのことと憲法の解釈論とは別問題であり、安倍首相の発言には論理のすり替え・飛躍がある。

「大きく国際状況が変わっている」というが、その具体的な例を挙げて、それに対処するには昭和47年当時の解釈論では対応できないということであれば、その検証過程・結果を明らかにすべきである。たんなる抽象的観念論で重要な憲法解釈の変更をされては困る。

憲法の解釈は純粋に法律的に行うべきものである。憲法の条文および法理から許される自衛権国際情勢に照らし不十分であると政府が判断するなら、必要な法律的手続きに従って憲法を改正するのが筋である。そんな基本的なことが分からない総理大臣の下では国民が不幸になる。

    

国際情勢に疎い憲法学者もいるかもしれないが、大部分の学者は国際情勢を考慮するが故に憲法解釈を大事にしているのだ。       

安倍総理はポツダム宣言を「つまびらかに読んでいない」と国会で答弁しているが、そんなことでは、安倍総理自身が「国際情勢に眼をつぶっている」と言われても仕方がないのではないか?

安倍総理の公式ホームページを開けると、冒頭に現れる写真の中で、安倍さんは農婦人(?)に丁寧にお辞儀をしている。そして、「・・・未来を切り拓くために語り合おうではありませんか」と説明文で言っている。

安倍さんは「『今の憲法解釈のままで国民の命と暮らしを守り抜くことができるかどうか、という問題に向き合わないのは、内閣総理大臣として不誠実だ。』 私はそう考えます。」とも言っている。

安倍さんの言葉は立派である。しかし、肝心なことは「問題に対する向き合い方」である。

安倍さんは美辞麗句を並べるのが非常に巧みだが、その言葉が軽く、空疎な感じがする。安全保障関連法案の安倍さんや取巻きの最近の国会における審理の進め方や答弁の仕方を見ていると、「美辞麗句の裏に何かあるのではないか?」などと、不信感を抱かざるを得なくなってきている。         

      

高村正彦自民党副総裁など与党議員が、「憲法学者の言う通りにしていたら今の自衛隊はなく、日本の平和と安全は絶対守れない」「学者は(憲法条文の)字面に拘泥している」などと暴論を吐いている。

そういう政治家は、論理的思考能力に欠けるか、国民をバカにしているか、分かっていながらごまかす狡賢さに長けているか、詮索する暇はないが、いずれにせよ、「憲法解釈の変更に反対する世論を抑えるための『字面』」や『はぐらかすための字面』」にしているように見える。

「現在の国民はバカではないですよ!」と叫びたいが、そう言いきれない現状である。非論理的に導かれた結論であっても、その結論だけが「政治家弁護士」に正論らしく情緒的に喧伝されるとそれに乗せられる人が多い。

インターネットを見ると、様々なデマやヘイトスピーチがある。      

全く情けないことである。我田引水だが、「亀鳴くや皆愚かなる村のもの」と俳句を詠んだ高浜虚子心境が分かる気がする。

各人が、一歩踏み込んでしっかり考えるようにしてほしいものである。

            

外交交渉の場では当然のことであるが、儀礼的対談の場合であっても、政治家はもっと外交交渉の言葉の字面に拘泥すべきだ。

    

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たまたま、週プレNEWS「過熱する沖縄県知事選直前! 元総理大臣・鳩山友紀夫の弁明」という記事を見ると、記者の質問に答えた鳩山発言の中に気になる箇所があった。その一部を次に抜粋する。

「そのことは当時の米国国務省のアーミテージさんと議論したことがあります。当然、かなりの論争になりましたが、最後には「わかった。鳩山が言っていることはよく理解できた、しかし、その言葉を『常駐なき駐留』ではなく『条件付き駐留』ではだめなのか?」とおっしゃっていました。つまり、「常駐なき駐留」はアメリカが受け入れられないものではなかったと私は理解をしています。」

   

常駐なき駐留』と『条件付き駐留』には明らかに違いがある。人の良い鳩山さんは、「条件」の中身が不明なのに拘泥せず、「何とかなる」という大きな判断ミスをしたのではないか? 言葉に拘泥しなかったミスが民主党を自滅させる結果になったのではないか?

     

政治談議(1)にも書いたが、国民の理解を得ないで安全保障関連法案を強行採決すれば、安倍さんの主導する「積極的平和外交」の「平和」とは見せかけのものだとして国際的にも理解されず、米国にも歓迎されないことになるだろう。

安倍・オバマ会談でどんな突っ込んだ話がなされたか知らないが、「国民が納得しない安保法制関連法案を『夏までに』強引に成立せることはオバマさんは決して望んでいないだろう。

    

自民党の谷垣幹事長には、野党との政治的駆け引きでなく、ご自身の良心に掛けて野党の意見にも耳を傾け、文字通り誠心誠意、国民のためになる国会審議が実現されるように腐心して頂きたい。

                   

ジャパン・アズ・ナンバーワン」の著者エズラ・ヴォーゲルの「外交では事実認識が大事という記事が日経ビジネスにある。

安倍首相の「戦後70年談話」における「歴史認識」についての発言は、「国際情勢に目をつぶらず」、国民の平和の願いが通ずるように多様な意見を踏まえた上で、メンツに拘らず、「字面に拘泥して」十分吟味し、真に国民のためになる談話にしてほしい。これまでの安倍発言などを聞いていると、安倍さんの思いとは裏腹に「国民を不幸にすることになりはしないか」と老爺心ながら懸念している。

上記の鳩山さんの判断ミスの例に限らず、麻生さんの失言など、参考にすべき「他山の石」は数多ある。名実ともに「名談話」として歴史に残る「戦後70年談話」にしてほしい。

決して「迷談話」にしてはならない!

                 

マスコミの記事はニュースとして断片的に報道されるので、問題点を全体的・論理的に捉え難い。そこで、自分の頭の整理・備忘録と読者の資料収集・思考のお役にも立ち、私見を述べることが出来れば「一石三鳥」であると思って書いている。

ひょっとして、このブログや「俳句談義」と「政治談議」が安倍総理大臣の取巻きの目にとまり、総理大臣に伝わることがあれば望外の喜びである。

              

2015年7月14日 (火)

政治談議(8):「党議拘束」=「村八分」=「いじめ」

    

太平洋戦争は「世界の平和」や「自存と自衛」を錦の御旗」として始まったのである。

       

太平洋戦争開戦の詔勅に「東亞ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄與スル」とあり、「帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲」とあった。

現代語訳は、「東アジアの安定を確保して世界の平和に寄与する事」・「帝国の存立も、まさに危機に瀕することになる。ことここに至っては、我が帝国は今や、自存と自衛の為に」という意味である。

「開戦の詔勅」の全文はここをクリックしてご覧下さい。)

    

安倍総理は「痛切な反省」をしていると言っているが、一体何を反省しているのだろうか?

     

安倍総理は批判に「馬耳東風」で、「お題目」に「平和」と国民を守る」ことを錦の御旗」に掲げているが、側近の政治家弁護士は安保法制関連法案について法理に基づき違憲判断をしている憲法学者を侮蔑している。

    

与党は安保法制関連法案の審議が尽くされたといって、世論無視して採決しようとしている。違憲性のある法案を修正しないなら審議時間の多寡は本質的な問題ではない。「審議が尽くされた」というのは国民を愚弄する「まやかし」である。

             

安保法制関連法案の成立を強行するために、党議拘束をしている。

これは、世論選挙民の声を尊重して法案に反対する議員の国会議員としての権利の行使不当に拘束するものであり、『村八分』や『いじめ』に等しい。

党議拘束は法案の採決に対する民意の反映が阻害される悪しき制度である。

       

不当な党議拘束は止めるべきである。

ここをクリックして、「政治談議(3):安保法制関連法案と党議拘束」をご覧ください。) 

   

この法案が強行採決されると「平和憲法」が台無しになるだろう。

違憲性のある問題点の修正を与党に期待できないから、野党はこの法案を廃案に持ち込むべく結束すべきである。

                     

安倍総理は、戦前のように「修身教育」をすれば「いじめ」が無くなると思っているのだろうか?

戦前にはいじめ」は「村八分」として公然と行われるか、さもなければ、隠蔽されていたのだ。

道徳教育」や「修身」そのものが全て悪いわけではない。道徳教育は必要である。

だが、「画一的・国家主義的道徳教育」の強制によって、封建的な「和の精神」が強調され、子供の自主的思考力が育成されず、基本的人権がないがしろにされることが問題なのである。

    

自民党の憲法改正草案を見ると、天皇元首にし、「国民」よりも「国家」が優先している。「国家」は「国民」が構成しているものであるという「主権在民」の概念が薄らいでいる。    

   

安倍総理は、「戦後レジームからの脱却」とカッコイイ言葉を使って、敗戦の屈辱・劣等感を抱く国民感情に訴えようとしている。

安保法制関連法案が成立し、時の政府が「自衛のため」と称して失政をしても、「特定秘密保護法」のベールに包まれ、国民はそのことを知ることができなくなるだろう。その結果、戦前の轍を踏む恐れがある。

        

教育基本法の改悪によって「画一的・国家主義教育」を受けた子供たちが18歳になって選挙権を得て「憲法改悪」に無邪気に賛成することにならなければよいが、と懸念している。

国民の政治不信・諦め・無関心が次の選挙で与党に勝利をもたらすようなことになればもっと早く現実のものとなるかも知れない。

千の風になった戦争犠牲者体験者もさぞかし憤りを感じ、戦争を知らない世代のこと、日本の将来のことを案じていることだろう。

                    

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2015年7月 9日 (木)

政治談議(7):                <総理! 醜い『つまみ食い』暴挙を止めて!>

               

安倍総理はNHK日曜討論などで、「どういうことでなければ武力行使しないとの政策的中身をさらすことにもなりますから、そんなことをいちいちすべて述べている海外のリーダーはほとんどいないということは申し上げておきたい」と言って、「丁寧に説明しない」ことを当然としている。

だが、これは言い逃れに過ぎない。戦略や戦術の中身を曝すことなく、憲法上認められる自衛のための武器使用の範囲を具体的に例示し説明することは可能である。

平和憲法下の日本は外国の場合とは事情が異なることを安倍総理は無視している。

肝心なことは、自衛のためにのみ武力行使をする」ことが分かるように具体的に例示・説明し、それを明確に法律に規定することである。

そうしなければ、法律の名称に「平和」の冠を付けても飾りに過ぎず、「抑止力」にならず、「誘引力」になるだろう。

安倍総理は軍歌露営の歌」の歌詞に「東洋平和のためならば なんの命が惜しかろう」とあるのをご存知でしょうね。

安倍総理の発言や考え方から判断すると、「戦後レジームからの脱却戦前回帰」となり、何でも「特定秘密保護法」の対象にされそうで心配である。

          

自民党安保法制関連法案について党議拘束をしているが、マニフェストにない法案の議決に党議拘束をするのは不当である。米英仏独など自民党のような党議拘束はしていない。

   

安倍総理は上記のように「つまみ食い」して海外の例を言い逃れに使うのではなく、民主的な良識のある海外の例にならって党議拘束をはずすべきである。

         

政治談議(1)において述べたように、TV Asahiの世論調査によると、安全保障関連法案について「反対45%、わからない31%、賛成24%」である。「反対」と「わからない」の合計は「憲法改正」や「法律案の衆議院優越可決権」に必要な比率:「3分の2」を上回る76%である。

共同通信社世論調査によると、安全保障関連法案が「憲法に違反していると思う」は56・7%、「違反しているとは思わない」は29・2%である。

このような世論を無視して、党議拘束をして安全保障関連法案を強行採決することは真に数の暴力であり、安倍総理が真剣に国民のためを思って民意を尊重しているとは到底考えられない暴挙である。

口先だけでない真の「痛切な反省」をして、暴挙を止めてほしい。

                 

2015年7月 4日 (土)

政治談議(6):                安保法制関連法案 <「数の暴力」だ!>

     

大多数の憲法学者が違憲だとし、国民の過半数が反対している安保法制関連法案を強行採決することは善良な国民の信任を裏切るものである。

マニフェストに無い安保法制関連法案82時間の審議で強行採決することは、真に「数の暴力」である。

自民党のホームページには、「切れ目のない安全保障法制を整備し、日本の『抑止力』を確かなものにしていきます。」とあるが、現在の法案は「抑止力」でなく、「誘引力」になるだろう。

    

   

政治談議(5):                「安保法制関連法案」「お題目」の踏み込んだ議論を!

                              

国会審議でもNHK日曜討論でも、与党議員は安保法制関連法案についてお題目のように同じ抽象論ばかり繰り返している。

安倍総理や公明党山口代表など、「丁寧な説明を繰り返す」と言って、「丁寧な説明」とは程遠い「お題目」の「繰り返し」をしている。与党議員が踏み込んだ議論をしないのは、そうすればするほど、新安保法案の違憲性明瞭になり国民の反対が増えるからだろう。だから、表面のきれい事ばかりの主張を繰り返しているのだ。

     

安倍総理は、「安全が確保されている場所で後方支援をする」「戦闘が起こったら速やかに作業を中止、あるいは退避する」などと、苦し紛れの発言をしているが、自衛隊員が戦友を見捨て逃げ出すことが出来ると思っているのだろうか? 

そのようなことをすれば、「卑怯者!」「恥を知れ!」とバッシングされることは目に見えている。

末端の戦闘現場の責任者に苦渋の決断を「自己責任」として押し付けるのではなく、「平和国家」の国民を守る総理大臣として、オバマ大統領に言ってほしい。

ポツダム宣言を熟読した結果、連合国の意図した平和憲法を忠実に守ることにした。憲法の改悪解釈は出来ません!」と。

しかし、それは所詮かなわぬ夢である。

         

憲法学者は字面に拘泥する」と言って真面目な学者をバカにする弁護士政治家と「ウソをつけない奴は政治家と弁護士にはなれない」という弁護士政治家の類が最高幹部である政党が作る法律を世界の良識ある政治家や市民が信用してくれるであろうか?

     

これまでの国会審議や与党議員の発言などを見ていると、新安保法制案は「抑止力」でなく「誘発力になる」のではないかと、非常に懸念している。

安倍総理は、「国際情勢にも目をつぶって従来の(憲法)解釈に固執するのは政治家としての責任の放棄だ」と述べている

この安倍論理の行く末は、「ミサイル攻撃には『専守防衛』は不十分」→「『先手必勝』『先制攻撃』が必要」→「『軍拡競争』による『経済的破綻』または『戦争の勃発』」となるのが「落ち」ではないか。あるいは、日本が2020年の東京オリンピックを控え、米国と同じようにテロの標的にされたり、テロ対策に手を焼くことになるのではないか、と憂慮している。

                          

このブログの原稿を書いている時に、文化芸術懇話会における朝日新聞記事が出た。百田尚樹氏や大西英男衆議院議員などが言論弾圧の暴言を吐いている。

「文化芸術」を支える基本である「言論の自由」を弾圧するようなことを自民党の有力な若手議員や安倍総理と親密な作家が「文化芸術懇話会」という立派な名称の会合で発言するとは呆れ果てる。「事実無根の報道」があるのなら具体的に指摘・検証するための議論をすることこそ「文化芸術懇話会」の名称に相応しいのだ。

    

安倍総理以下与党議員の表面的発言を鵜呑みにしないで、一歩踏み込んで良く考えしっかり議論をする必要がある。

            

高浜虚子は明治32年(1899年)に「亀鳴くや皆愚かなる村のもの」を作っている。(坊城俊樹高浜虚子の100句を読む」参照)

  

当時の日本の政治・社会情勢を見ると、児玉源太郎台湾総督に就任している。足尾銅山鉱毒事件が起り、前年の1898年には尾崎行雄共和演説事件が起こっている。  

翌年の明治33年(1900年)には治安警察法が制定されている。

    

外国では、1898年には、ロシア帝国関東州から租借し、英国が九龍半島を清から租借し、さらに、米西戦争が発生している。1899年には英領スーダンが成立し、米比戦争ボーア戦争が起こっている。

また、ハーグ陸戦条約が締結されている。

             

虚子は掲句を作ったとき25歳であるが、上記のような出来事を意識していただろうか? 「われ関せず」花鳥諷詠の句作に没頭していたのだろうか?                                                          

    

俳句談義(15):『昭和の日』・『憲法記念日』と俳句」において、高浜虚子の句「亀鳴くや皆愚かなる村のもの」に因んで、「虚子は何を言おうとしたか」について我田引水の解釈をした。

上記の俳句談議(15)において、

「亀」とは、単なる「季語」ではなく、「虚子」のことではないか?

「村」とは「日本の村社会性」の比喩ではないか?

戦争推進者は皆愚か者だ」と比喩的に詠んだ句ではないか?

等等、勝手な創作的解釈をした。

  

だが、国会における審議やNHKの日曜討論などを視聴していて、ふと、「『亀』は天皇を指し、『村』とは『内閣』や『与党議員』を指し、

「皆村の愚か者だと亀は泣いている」

という奇想天外な解釈が浮かんだ。天国の高浜虚子は「そういう解釈もありますか」と、頷くのではなかろうか?

     

このよう事を言ったら、戦前なら「不敬罪」で逮捕されるだろう。

現在は、天皇日本および日本国民の象徴であって、政治に関与することは無く、「国会の指名に基づいて内閣総理大臣を任命する」ことになっている。

現在は、遊び心でこのような俳句の解釈をしても「名誉棄損罪」に問われることもない、言論の自由が保障された有難い時代である。

           

選挙権が18歳以上に拡大される。

若者には、日々の勉強や仕事などに追われ、「自分一人ぐらい棄権しても関係ない」と選挙に棄権をするのではなく、「自分一人ぐらい」という一人の投票が集まれば、「政治を動かし」、「国を動かす」ことを認識してほしい。

戦後の民主主義教育を受けた若者が、自分たちの生活・将来にかかわる重大事として政治や選挙に関心を持つことを期待している。

                   

「亀は鳴かない」と一般的に言われているので、確認のためにインターネットで検索すると、

亀は鳴かないで『泣くのだ』」という2012年3月当時の「消費税問題」と亀井静香氏(元国民新党代表)の動向などに触れた面白いブログがあった。

しかし、このブロガーの「安保法制違憲の疑いは解消した <高村Vs枝野対決は高村に軍配>」には共感できない。

このブログは次の文で終わっている。

「朝日は、民主党ポピュリズムを煽ってばかりいると、北のミサイルは精度が悪いから首相官邸を狙っても朝日本社に落ちることを心すべきだ。憲法に違反するかどうかという議論は勝負がついた。これ以上必要ない。」

      

上記のブログの内容には賛同できない。

だが、このようなことを言われて、「朝日新聞」はどのように反論できるのだろうか?

朝日新聞は「慰安婦問題」に関する虚偽報道記事が問題になった弱みがある。

マスメディアは「右」「左」関係なく、もっぱら真実の報道に徹しなければならない。

国の為」とか、「平和の為」とか、「正義の為」とか、強い思いがあるとしても、偽りの報道をしてはならない。

           

柳条湖事件満州事変の発端になったが、適切な報道がなされず、そのあげく、軍の圧力により報道の自由が奪われ、太平洋戦争の悲劇が拡大したことをマスメディアは反省して、同じ轍を踏まないようにしなければならない。

言論を統制しようとしている人たちに付け込まれ、墓穴を掘ることのないように、マスメディアは報道記事の内容の真実性に十分注意してほしい。

               

先日、「国会:9月27日まで 会期延長95日間、過去最長」と言うニュースがあった。

政治談議(2)で書いたように、自民党の谷垣幹事長には、野党との政治的駆け引きでなく、ご自身の良心に掛けて野党の意見にも耳を傾け、文字通り誠心誠意、国民のためになる国会審議が実現されるように腐心して頂きたい。

        

非論理的に導かれた結論であっても、その結論だけが「政治家弁護士」に正論らしく情緒的に喧伝されるとそれに乗せられる人が多い。

論理よりも感情に訴える論評が読者の心を捉え易い。レッテル貼をする政治家や評論家はのそことをよく知っている。論理的な詳細説明をすると、「読む暇は無い」「聞く暇はない」「小うるさい!」などと、嫌われることが多い。

一般的には、結論だけをあたかも正論かのように主張する方が容易であり、しかも俗受けして効果的である。

「淡泊さ」や「潔さ」を好む国民性が、「非国民」「売国奴」などというレッテル貼と画一的全体主義的国家主義教育に呼応して太平洋戦争悲劇を拡大したのだ。

インターネットで安易なヘイトスピーチの応酬をして憂さ晴らしをするばかりでは、戦前の轍を踏むことになるだろう。

現在は自由に発言出来る民主主義の時代である。その自由をヘイトスピーチレッテル貼りで台無しにしてはならない。

個人個人がしっかり考えて、日本人は世界の平和を渇望していることを世界に発信し、それぞれ身近なところから世界の人々や政治家に働きかけることが大事である。