(2025.2.27 更新)
先立ちて枯れてしまひぬ垂れ梅
(薫風士)
2022年2月24日にプーチン大統領専制下のロシア軍がウクライナ侵攻を始め3年後も続き、沢山の犠牲者が亡くなっています。
時代錯誤の愚かな戦争は中止しなければなりません。
「梅東風や届け世界にこの思ひ」(http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2022/03/post-4fd0.html)
を、皆さんがSNSでシェアして頂ければ幸いです。
与謝蕪村の辞世句として有名な掲句「しら梅に明る夜ばかりとなりにけり」について、新解釈をしてこの記事を書きました。
外山滋比古氏は「省略の詩学―俳句のかたち」で「俳句は省略の文学である」「十人十色の受け取りができてこそ俳句はおもしろい。」と云っています。
(「俳句の新解釈・鑑賞《去年今年貫く棒の如きもの(高浜虚子)》参照。)
掲句の解釈として、学研全訳古語辞典には次の解説があります(Weblio参照)。
[訳] 冬も終わり、ほころび始めた白梅の花が闇(やみ)からしらじらと浮かび上がる夜明けを迎えるころとなった。
(鑑賞)蕪村の辞世の句。没したのは十二月であるが、蕪村の心はすでに初春の明け方を向いている。季語は「白梅」で、季は春。
上記の解釈は、清水哲男氏が「増殖する俳句歳時記」に於いて次のように評しているように、辞世句の解釈としては安易すぎます。
(但し、清水哲男氏は「『夜』を抜く気分で読むべきだろう」と述べていますが、蕪村のような優れた俳人が無駄な言葉を使って俳句を作っているとは考えられません。)
天明三年(1783)十二月二十五日未明、蕪村臨終吟三句のうち最後の作。枕頭で門人の松村月渓が書きとめた。享年六十八歳・・・(中略)・・・
単純に字面を追えば「今日よりは白梅に明ける早春の日々となった」(暉峻康隆・岩波日本古典文學大系)と取れるが、安直に過ぎる。いかに芸達者な蕪村とはいえ、死に瀕した瀬戸際で、そんなに呑気なことを思うはずはない。暉峻解釈は「ばかり」を誤読している。
「ばかり」を「……だけ」ないしは「……のみ」と読むからであって、この場合は「明る(夜)ばかり」と「夜」を抜く気分で読むべきだろう。すなわち「間もなく白梅の美しい夜明けなのに……」という口惜しい感慨こそが、句の命なのだ。・・・(以下省略)・・・
学研全訳古語辞典の解説は、「冬も終わり」などを補って解釈していますが、不適切ではないでしょうか?
蕪村は1784年1月17日に亡くなっています。
この辞世の俳句で省略された語句は、「冬も終わり」などということではなく、「自分に残された夜」とか「自分が生きている夜」とかという主体が省略されていると解釈すべきだと思います。
「明る夜ばかり」とは、「『明けない夜は無い』というが」とか、「四季の巡りに伴い様々な夜がこれからもあるだろうが、自分に残された夜は『白梅に明る夜』のみとなった」とか、「自分が生きている夜は『この白梅に明ける夜』のみになった」と、死が間近であることを詠んだものと解釈するのが至当でしょう。
蕪村が大阪生まれであることを最近しりましたが、蕪村は自分が浪速生まれであることを何故か公言しなかったようです。(『から檜葉』参照。)
・冬鶯むかし王維が垣根哉
・うぐひすや何ごそつかす藪の中
・しら梅に明る夜ばかりとなりにけり
上記の3句は、過去・現在・未来を順番に詠んだ俳句だと解釈できますが、「しら梅」の句は、死後の未来を詠んだ俳句であると解釈すると、「明けない夜は無い」というが、「自分の未来(死後)の世界は『夜ばかり』である」と詠んだことになります。
蕪村の臨終3句や正岡子規の辞世句3句などを読むと、高浜虚子の辞世句「春の山屍を埋めて空しかり」は、「春の山屍を埋めて空しかり」と、「春の山屍を埋めて空しかり」と、掛詞として読むべきであるという思いを新たにしました。(俳句談義(1)参照。)
青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事のタイトルが表示され、この「俳句HAIKU」をタップすると最新の全ての記事のタイトルが表示されます。
タイトルをタップしてその記事をご覧頂ければ幸いです。
2016年11月12日に日帰りのバス旅行(三田地区まちづくり協議会主催)で浦富海岸島巡りや鳥取砂丘・「砂の美術館」「かにっこ館」などを見学しました。
神姫バスの案内嬢はまだガイド1年生の由で、テキストを見ながら生真面目に道中の観光スポットについて説明をしてくれましたが、内容は殆ど忘れてしまい、ガイドさんの笑顔だけが印象に残っています。
訥弁に笑顔のガイド旅小春
短日の鳥取砂丘愛しみけり
(薫風士)
砂丘の俳句をインターネットで検索すると、「鳥取砂丘文学散歩 石碑」というサイトや、高浜虚子の句碑・有島武郎の歌碑などのマップや解説のサイトがありました。
秋風や浜坂砂丘少しゆく
(高浜虚子)
虚子はこの俳句をどのような心境で詠んだのでしょうか?
浜坂の遠き砂丘の中にしてさびしき我を見出でつるかも
有島武郎はこの歌を詠んだ40日後に人妻と心中をしたとのことです。
「きらめきを砂丘に返し露乾く」や「露を抱く砂丘朝日に応へ来し」という稲畑汀子さんの俳句が「歳時記(俳誌のSalon)・露」にありました。
「冬日差す砂丘の駱駝影長し」などと、チュヌの主人は即興句を口遊みながら写真を撮りました。
駱駝の写真を撮ろうとすると、「撮影は有料です!」と言われ、ラクダの近くでは撮影をやめました。この写真でご想像ください。
NHKの今日のニュースによると、鳥取は震災で一時減っていた観光客も増えてきているとのことで、速やかな復興を祈っています。
青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。
(講演会のチラシはココ(FTC16-10-2)をクリックしてご覧下さい)
I 俳句とは
「俳句は滑稽なり。俳句は挨拶なり。俳句は即興なり」(山本健吉:ウイキペディアの解説「俳句」から抜粋)
・世界一短い詩形(5+7+5=17音)で、入りやすく奥が深い。
・見たこと、感じたこと、思い出などを俳句にしましよう。
・俳句は好き好きです。一人で、家族で、友達と、仲間と、気軽に楽しみましょう。
(青色の文字をクリックすると解説や記事の詳細がご覧になれます。)
・季語になるか否かは歳時記で確認するとよい。
(2)切字を1つ入れる。切字は2つ入れないのが原則。
「俳句は『座の文学』である。」と言われる。吟行や俳句会で仲間と俳句を作り鑑賞するのが面白い。
句会では作者の名前を伏せて選者による選や参加者による相互の選(互選)をする。初心者でも参加者の共感を得た句だと高得点を得ることが出来る。選に入らない句の作者の名前は公表しないのが普通であるが、選者がアドバイスするために名前を確認する場合もある。
インターネットで検索すると、三田俳句協会があり、フラワータウンでは「しぐなる俳句会」がある。(連絡先: 藤野慧子)
この講演を契機に俳句を始めようと思う人が気楽に楽しめる俳句会を立ち上げると面白いかもしれないと思っています。
http://www.haisi.com/saijiki/manjushage1.htm
卑近な例句から
・覚束ぬピアノの遠音秋の蝶 (木下さとし)
上記の句は俳句雑誌「花鳥」の「さいかち集」(兼題が「秋の蝶」)に投稿したものです。孫の引くピアノを聞いているときに、取り合わせの句として思いついたものです。
(俳人栗林圭魚氏の句評)
「どこの家からか、習い始めたばかりのような、ゆっくりゆっくり指を選んでいるピアノの音が聞こえて来る。先程から庭先を飛んでいる蝶の秋を惜しむような姿を見ながら、ピアノの幼い遠音に心が安らいでいることに気づいたのである。「遠音」という描写が、秋の蝶としっかり調和している。」
「俳句は近世に発展した文芸である俳諧連歌、略して俳諧から生まれた近代文芸である。室町時代に流行した連歌の遊戯性、庶民性を高めた文芸が俳諧であったが17世紀に松尾芭蕉が出てその芸術性を高め、なかでも単独でも鑑賞に堪える自立性の高い発句、すなわち地発句を数多く詠んだ事が後世の俳句の源流となる。
さらに近代文芸として個人の創作性を重視して俳句を成立させたのが明治時代の正岡子規であった。子規は江戸末期の俳諧を月並俳諧と批判して近代化した文芸たらしめるための文学運動を行い、発句が俳句として自立した。俳句の自立後の視点から、芭蕉などの詠んだ俳諧の発句をさかのぼって、俳句と同一視するようになった。」
・俳句は自然(花鳥)を詠い、自然を透して生活・人生を詠い、自然に依って志を詠う「花鳥諷詠の文芸」「極楽の文学」である。
(川柳とは)
俳諧、すなわち俳諧連歌から派生した近代文芸である。俳句と同じ五七五の音数律を持つが、俳句が発句から独立したのに対し、川柳は連歌の付け句の規則を、逆に下の句に対して行う前句付け(前句附)が独立したものである。俳句にみられる季語や切れの約束[1]がなく、現在では口語が主体であり、字余りや句跨りの破調、自由律や駄洒落も見られるなど、規律に囚われない言葉遊びの要素も少なくない。かつての俳諧では雑俳に含めて呼ばれたことがある。
(短歌とは)
「短歌」は5・7・5・7・7形式 。
『万葉集』(まんようしゅう、萬葉集)は、7世紀後半から8世紀後半にかけて編まれた日本に現存する最古の和歌集である。
「百人一首」は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活動した公家・藤原定家が選んだ秀歌撰である。
「古今和歌集」(略称:「古今集」)は、平安時代(794年 - 1185年/1192年頃)前期の勅撰和歌集。
VI 俳句への思い(木下さとし)
俳句は人それぞれの立場で、自分の思い、好みで作り、楽しめばよい。
月並みであっても、句作で頭の体操をし、吟行の旅を楽しみ、句友と酒を飲みながら俳句談義など放談・切磋琢磨して老後の生活を楽しめば良い。少しでも多くの人に評価される句が作れるなら、それに越したことはない。俳句の世界は、入り易いが奥が深く、向上心があれば飽くことがない。秀句・名句はプロの俳人に任せるにせよ、自分なりの俳句の道で精進したい。
スウェーデン大使館の英語俳句・川柳コンペティションに応募したところ、小生の川柳が1句、家内の俳句(小生が英訳)が2句入選した。
国際俳句交流協会では俳句を国際的に広めて、無形文化世界遺産に登録されるようにしようと努力している。微力ながらその一助にでもなればと思い国際俳句交流協会に入会した。俳句は和食と異なり、言語・言葉の問題が障壁になるから世界遺産登録を実現することは容易でない。この言語の壁にチャレンジして英語の俳句も広めたい。
日本語の俳句の精神が世界のHAIKU(俳句的な短詩)として、それぞれの国の風土や言葉に適応・発展し、俳句がその母体として評価されるようになることを祈っている。いずれにせよ、自分なりに専門分野の体験を活かし、英語の俳句(HAIKU)を通じて国際交流を促進することができれば幸いである。
VII 参考情報
季語や例句を検索できるインターネットサイト
・「増殖する俳句歳時記」
・「俳誌のサロン」(季語や色々な俳誌を見ることが出来る)
月間俳句雑誌
俳句の結社や主宰のホームページ
・花鳥(主宰:坊城俊樹)
(HPは http://news.haiku-kachou.jp/about/です。)
以上
久しぶりに、三田ウッディタウン在住の前川郁夫さんに「平素の思い」を詠んだ川柳を投句して頂きました。前川氏の過去の投句も含めて通読出来るように下記の通り編集し、掲載させて頂きます。
2015.9.3投句 「平素の思い(3)」
・特定の 人に集まる まとめ役
・歳なれど やる気と予定 まんぱいだ
・叫べども 低迷やまぬ 自治組織
・定年後 集まるところ きらく会
・世界陸 差があり過ぎて 打つ手なし
・パソコンの 操作巧みな 孫5歳
・読めずとも おしゃべり上手 園児たち
・結婚を しないことには 打つ手なし
・スリーディ はまった挙句 皆メガネ
手抜の出来ない人に用事が集中するのは、国や時代に関係なく
今も続いていると感じています。パソコンの返信は忙しい人ほど早い感じ。要は相手に対する配慮です。
少子化対策に求められるのは「結婚意欲を高める」ことだと思います。その方策を政治・国民が一体となって模索する必要を痛感します。
定年を迎える人は大量にあるのに、地域のことや福祉にかかわる人は少なく、どこも会員の減少・高齢化に悩んでいます。
先般の世界陸上、メダルの数が少なすぎました。
今の子供は器具の操作や言葉遣いが優れていて熟語も使います。ただ、長時間のゲームは後で後悔するだろうと危惧しています。
(チュヌの主人のコメント)
子供の成長・孫の早熟ぶり、世相を詠んだ川柳など、前川氏の真面目なお人柄に共感しています。三田市のニュータウンも高齢化が進んでいますが、幸い自然環境に恵まれ、新しい一戸建て住宅やマンションの建築もあり、まだ活気があるように感じています。
2014.8.15投句 「平素の思い(2)」
・高齢化地域対策推進を
・地域との拘わりもって良い町に
・歳取れど出来ることなどまだあるよ<
・若者よ1人暮らしはあと難儀
・今の世に大切なのは子供達
・パソコンで妖怪たちと四歳児
・子育ての支援推進町活性
2014.3.3投句 「平素の思い(1)」
・孫達につけだけ廻す者は去れ
・線引きの後期高齢若すぎる
・権利のみ言い張ることもほどほどに
・年寄りも自分で出来る癖つくれ
・人頼みそれに頼るは末期だけ
・上に立つ人の失言目を覆う
・年取れば歳相応の品格を
(2025.1.2 更新)
羽束山望む天神初御空
天満宮参拝終へし初日の出
天満宮参拝すれば初鴉
初空へ平和の使徒の龍昇れ
巳年の龍世界の空へ吾夢運べ
「羽束山」は「はつかやま」、「吾夢」は俳句のリズムに「あむ」と読んで下さい。
写真をタップ拡大すると、初鴉をご覧になれます。
「初夢の俳句」をご覧下さい。
(薫風士)
(2015.1.12の記事)
正月になれば虚子の句「初空や大悪人虚子の頭上に」のことに思いを巡らせる。
この句は従来の一般的な解釈では「大悪人虚子」と読んでいるが、そうであれば、「初御空」と表現するのが自然でないか?
「初空や」の句は5・7・5の定型でないが、「大悪人」と「虚子」を切って間をとって読めば俳句として不自然ではない。
虚子が「初御空」と言わず、「初空や」と詠んだのは「大悪人」と「虚子」とを切り離して、文字通り「大悪人が虚子の頭上にいる」と読ませるためでないか?
それでは「大悪人」とは誰を指すのだろうか?
大胆な推定であるが、「大悪人」とは「天智天皇」を指しているのではなかろうか?
虚子は同じ頃(大正6年)に「天の川の下に天智天皇と(臣)虚子と」という句を作っている。
虚子が「天の川の下に天智天皇と」と並記していることに興味が湧き、ネット検索をしたところ、吉岡禅寺洞の記事に「一千余年を隔てた二人の人物が、ひとしく文学者としてつながり」とあるが、虚子が天智天皇を句に取り入れたのはそれだけが理由ではないだろう。
ウイキペディアの解説によると、「天智天皇」は「中大兄皇子」のことであり、「中大兄皇子は中臣鎌足らと謀り、皇極天皇の御前で蘇我入鹿を暗殺するクーデターを起こす(乙巳の変)。
入鹿の父・蘇我蝦夷は翌日自害した。
更にその翌日、皇極天皇の同母弟を即位させ(孝徳天皇)、自分は皇太子となり中心人物として様々な改革(大化の改新)を行なった。」とある。
大義のある改革をするためとはいえ、「暗殺」という非常手段に訴えることは「大悪」である。対立する側からは中大兄皇子は「大悪人」とののしられたであろう。
だから「天智天皇のことを大悪人」と言っても不思議ではない。
「初空や」の句は「天の川」の句と併せ読むと、「大化の改新をした天智天皇が大悪人なら、俳句の革新・大衆化を進めている臣たる自分も大悪人である」と感じて、「天智天皇が臣虚子を初空で見守っている」と詠んだものであると解釈することもできるだろう。
虚子は俳句を大衆に広めるために「花鳥諷詠」と「客観写生」を唱え、「有季定型」は俳句の重要な要件であると説いている。
しかし、虚子が作った「天の川」や「初空」の句は「定型」の5・7・5ではない。自分と対立する立場の人々から非難もされている。良かれと思ってしたことが傲岸ととられたり、悪い結果になったこともあるかもしれない。自分がしてきたことに対して何らかの罪悪感を持つこともあっただろう。
虚子は「天智天皇も自分も業とか原罪などを同じように持って生まれた人間であり、1200年の時代の差は悠久の宇宙から見れば無きに等しい」と感じていたかもしれない。
このような解釈をすると、「一方で『天智天皇と(臣)虚子と』と言いながら、他方で『大悪人虚子』と言って俳句を作ったのも自然の成り行きと言える。
このように考えると、「本との出会い(4)」で提起した疑問を解消することができる。
「天智天皇を大悪人と言うのはけしからん」とか、「虚子が天智天皇のことを大悪人などと言うはずがない。バカなことを言うのもいい加減にしろ。」と怒る人もいるだろう。
しかし、「選は創作なり」と虚子は言っている。俳句を「鑑賞」し「解釈」することも「創作」と言えないこともない。
虚子は俳句で様々な表現を試みており、その解釈も読み人次第であることを認識していたのだから、「このような解釈も創作の一つだ」として認めてくれるのではなかろうか?
青色文字をタップすると、最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。
(P.S. 2022.7.17)
7月16日は「閻魔詣で」の日です。
青色文字をクリックし、「言葉の力・俳句の力《癒し》」や「俳句《涼し》死の話」をご覧下さい。
(2014.9.30の記事)
法要で久しぶりに白毫寺にお参りし、太鼓橋や心字池を眺めて幼少の頃遊んだ思い出に暫し浸りました。
親族だけでなく住職さんとも般若心経やブログなどの話をして絆を新にし、有意義な一日に満足でした。
菩提寺の夏の思ひ出太鼓橋
菩提寺の紅葉映ゆるや太鼓橋
水澄みて太鼓橋映ゆ心字池
一心橋渡る一の字水澄みぬ
法要を修し談笑秋彼岸
夏休み初恋せしか太鼓橋
(薫風士)
青色文字をタップすると、最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。
三田ウッディタウン在住の前川郁夫さんの川柳を7句披露します。
・高齢化地域対策推進を
・地域との拘わりもって良い町に
・歳取れど出来ることなどまだあるよ
・若者よ1人暮らしはあと難儀
・今の世に大切なのは子供達
・パソコンで妖怪たちと四歳児
・子育ての支援推進町活性
6月22日にコミセンで開催されたVoSu841の懇親会にチュヌの主人は初めて参加しました。
VoSu841は「弥生が丘(841)をサポート(Su)するボランティア(Vo)」の略称で、「8」は「末広がりの未来」「41」は「住よい弥生が丘」の意味もあるそうです。
自治会長の福井さんのご挨拶によると、弥生小の法面の緑化事業・機械刈のボランティア活動を数人で始めたのがこの会の発端だそうですが、今は100名以上のメンバーになり様ざまな活動をしているとのことです。その活動の一つとして、現在「てらこや」で学習支援(小中学生の算数・数学)をしているそうです。将来は「英語」の学習支援もしたいと計画しているとのことですが、現在協力の申し出が4人もあるとのことです。
「子供たちが将来世界に発信できる大人になるよう、成長に合わせて英語の力や物の考え方を身に付けるよう指導したい」とチュヌの主人も協力することを考えています。
弥生が丘自治会の活動状況はここをクリックしてご覧下さい。
物の考え方については「チュヌの便り」の「LOVEを実践しよう」をご覧下さい。
子供の教育を促進するためには、子供が興味を持って自ら勉強するように勉強の目的を明確にして、勉強する意欲を刺激してやり、それぞれの子供に会った教育をしてやれば良いと考えています。
学力のみならず人間としての生き方・ものの考え方を身に付けさせることが大切です。
子供達が健全に成長し、幸せな人生を送ることが出来るように、そのための24のキーワードをLOVEの文字に当てはめ「究極のLOVE」として集約しました(ここをクリックしてご一読下さい)。
チュヌの主人はVoSu841の「てらこや」のことで子供の教育について考えている時に、たまたま自分の考えと同じ考え方をしている塾の記事をインターネットで見かけました。
この塾の考え方のポイントは下記の3つです。
(1)「やる気を引き出す」こと。「勉強は面白い。目の前にはすばらしい世界が待っているよ」と語りかけ「頑張ろう」と思うように方向づける。
(2)「本人に合う学習方法を工夫して、それを大量にこなす」こと。
(3)「他人と比べない」こと。
青色文字をタップすると、最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。
トップ欄か、この「俳句HAIKU」をタップすると、最新の全ての記事(タイトル)が表示されます。
2014年5月25日に高木庭の見事なバラが咲き誇る薫風の庭でオープンガ-デンコンサ-トが開催されて、午前の部ではマリンバ(高木理子さん)とピアノ(藤本幸さん)の演奏を聴き、午後の部では太田千佳子さんのピアノ伴奏と上野山みどりさんのヴォーカルでシャンソンやポップスを聞いた。
好天に恵まれて庭一杯にバラと観客が溢れ、和やかな一時をエンジョイした。
高木理子さんのマリンバ演奏はここ(MAV_0114.3G2をダウンロード ・MAV_0116.3G2をダウンロード )をクリックしてご覧下さい。
マリンバの音色豊かやバラの庭
薔薇爛漫マリンバ響く高木庭
シャンソンの調べ誘ふバラの庭
このミニコンサートは三田グリーンネットのオープンガーデンの時に開催されているが、今年は10回目になる。
青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事のタイトルが表示され、この「俳句HAIKU」をタップすると最新の全ての記事のタイトルが表示されます。
弁護士の友人が「確定申告はe-Taxで簡単に出来るよ」と言ったので、主人もチャレンジしました。予想に反して3日間の悪戦苦闘・疲労困憊の末ようやくe-Taxの確定申告に成功しました。主人の苦労の原因・問題点を披露します。「e-Tax」で確定申告される方のご参考になれば幸いです。
第一の問題:
市役所で「住基カード」(住民基本台帳カード)の交付申請をした時に、目的を聞かれて「確定申告に使う」と言ったのでその目的に適うものを交付して貰ったと思い込んでいた。
即ち、住基カードに電子証明書のマークが付いていたのでe-Taxで確定申告をするのに必要な「電子証明書」が住基カードに当然付いていると思い込んでいたが、そうでなかった。
(市役所の担当者は「住基カード」と「電子証明書」は区別して話していたのだろうが、住基カードに電子証明書のマークが付いていたので主人は電子証明書が付与されていると思い込んでいた。二人の常識の違いが問題発生の原因だった。)
(e-Taxの申告書作成フォームに申告内容を入力し、送信するために電子証明書のパスワードを入力して次のステップに進もうとすると「エラー」のメッセージが出て行き詰った。いろいろなパスワードを入力してもダメだったので、税務署のe-Taxヘルプ担当に問い合わせたところ、「電子証明書がロックされて使えなくなっているようなので市役所でロックを解除して貰いなさい」とのことだった。しかし、主人の住基カードには「電子証明書」が初めから付いてなかったのです。因みに、パスワードを5回間違えると電子証明書がロックされて使えなくなるので、初期化・再登録が必要になるとのことです。)
第二の問題:
いろいろなパスワード・暗証番号の名称が分かりにくくて混乱した。
(「電子証明書」のパスワード、「e-Tax」のパスワード、「パスワードを忘れたときの再設定のパスワード」、パスワード再設定により設定する「新しい暗証番号」などがあるが、パスワードを入力する枠が表示されたときにどのパスワードを入力すればよいのか分かりにくかった。)
第三の問題:
市役所や税務署の担当者に問い合わせたときに、パスワードとか暗証番号について質問者と回答者の使う用語について共通認識を確認するのが困難だった。
(用語の説明を注意深く読み理解しておくことが大切だが、パスワードの名称とそれを使う場所とを関連付けて分かりやすいものにしてほしいものである。)
上記のように、主人の場合は最初の思い込みによる誤解が苦労の原因だったようです。こんな誤解が無ければ苦労をせずにe-Taxの確定申告が出来たのでしょうね。e-Taxを経験された方のご感想やアドバイスなど伺いたいです。
僕のブログを見てくれて有難う。
他のブログを見るには、画面左の「アクセスランキング」や「カテゴリ」の中の興味あるタイトルをクリックして下さい。ご感想やコメントも下さいね。(コメントの内容のみ公開され、そのほかの情報は非公開です。)
僕の主人(お父さん)は勤務していた会社の特許明細書などの翻訳の仕事をしていましたが、新たにホームページを作成しました。
「AIQ翻訳事務所」(AIQ Translation Office) です。
HPを作成するためにパソコンに夢中で、夕食の時間になって僕が吠えても、「待て!」と言って中々食事の用意をしてくれませんでした。
僕が食いしん坊で食事の30分以上も前から催促したので待たされても仕方がなかったがね。
主人が一生懸命に仕事しているのが分かると、僕は大人しく我慢していることもあるよ。お利巧でしょう。
また主人のスポークスマンなって便りをしますから、読んで下さいね。
2014年に川柳の投句をしてくれた友達や先輩と久しぶりに、三宮地下街「サンチカ」にある「さがみ」で、ミニ飲み会をして歓談しました。
(2014.3.3の記事)
今日は、「我が意を得たり」と共感した友達(三田市在住の前川さん)の川柳を7句披露します。
この川柳の思いをシェアして頂ければ幸いです。
孫達につけだけ廻す者は去れ
線引きの後期高齢若すぎる
権利のみ言い張ることもほどに
年寄りも自分で出来る癖つくれ
人頼みそれに頼るは末期だけ
上に立つ人の失言目を覆う
年取れば歳相応の品格を
川柳や俳句に興味のある方は投句して頂けると幸いです。
青色文字の「俳句」や「HAIKU」をタップすると、それぞれ最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧になれます。
昨日は朝から雪が降ってかなり積もったが、今日は朝から晴れて気持ちがいいです。
雪搔きの姿そちこち幼子も
僕と散歩中にお父さんが詠んだ俳句です。
サモエド犬の僕は北海道育ちなので雪が大好きです。
お父さんと庭で雪ボ-ル遊びをしました。
雪ボールは噛みつくとすぐ壊れるので、次々と作ってもらいました。
お父さんが庭に作った花壇の日本列島 (Flower bed in a shape of Japan Ilands) は、昨日は薄っすら見えていたが、今日はすっかり雪に埋もれています。
列島花壇の水仙の花が咲くのを楽しみにしています。
僕の写真も撮ってもらったので見て下さいね。
でも、真っ白な雪のせいで僕の白い毛が薄汚れて見え、すこし恥ずかしいです。
早くシャンプーをして貰おうと思っています。
(他のブログを見るには、画面左側のアクセスランキングやカテゴリの興味あるタイトルをクリックして下さい。)
青色文字をタップすると、最新の「俳句(和文)」や「英語俳句」の記事をご覧頂けます。