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2025年8月10日 (日)

滝の俳句に思うこと

    

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先日のNHK-Eテレの俳句番組(題:滝、選者:和田華凜)で、ゲスト藪崎次郎氏(美術家)の俳句に対する選者(「諷詠」主宰)の推敲句(写真参照)を見て、ふと「三段切れ」の問題などについてこのブログ記事を書く気になりました。

  

  

俳句は好き好きですが、俳句結社の主宰の俳句に対する拘りも様々です。

    

下記の原句に対する選者の推敲・添削句について、貴方の好み、感想は如何ですか?

   

(原句)

足つけてああ生き返る滝の水

  

(添削句)

滝の水に足つけて鳴呼(ああ)生き返る

  

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この俳句が作られた背景を知らないので適切なコメントが出来ませんが、作者は「滝の水」を体言止めにすることによって「滝の水」を称える俳句にしたのではないでしょか?

   

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「滝の水」とは、温泉の観光地で「足湯」があるように、滝の名所の「滝の冷水」に足をつけて涼む「足水」に流れる水のことではないでしょうか?

   

    

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そうだとすれば、作者がありのままに感じたことを詠んだ原句の方が良いと思いませんか?

 

   

原句の「切れ」は、「上五」の後は弱くし、「中七」と「下五」の間を強くして読むことが出来ますが、三段切れに読んでも意味がわかり、臨場感があるこの句の場合は、「問題無し」と言えるのではないでしょうか?

 

選者は作者の意図を謙虚に考えて添削して欲しいものですが、このことは「プレバト 博多華丸氏の『梅雨の初運転』の俳句を考える」に於いても指摘した共通の問題です。

 

相手の考え方や立場を十分考えてから、批判やアドバイスする事の大切さは、俳界のみならす、家族関係や政界、教育界、国際関係などにも当てはまります。

  

何事においても、見かけは大事ですが、本質的な中身こそ肝心でしょう。

   

くつろぐや滝の足水親子して

旅楽し滝の足水孫として

       (薫風士)

   

(注)

上記掲載の写真はWEB検索で見た記事の写真の一部分を切り取って掲載させて頂きました。

写真は、タップ(クリック)して、拡大出来ます。

  

ここをクリック(タップ)して、「NHK俳句」をご覧下さい

  

「諷詠」のホームページは、ここをクリック(タップ)してご覧下さい

  

選者はNHKの番組で高浜虚子の滝の俳句について触れなかったので、青色文字をクリック(タップ)して、「俳句の鑑賞《滝の音・滝音・滝》」や「高浜虚子の俳句『神にませば』の面白い解釈」、俳句の添削《作者の「思い」を生かしてほしい》」、俳句を楽しもう!(フラワータウンカレッジ講演の要旨)」などをご覧頂けると幸いです。

  

「足水」が夏の季語として認知されると嬉しいですが、地元の有馬温泉には未だ「足水」は無いのでしょう?

  

有馬温泉の「鼓ケ滝」には、「足水」が出来ないのでしょうか?

   

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