2017年5月23日 (火)

高浜虚子の俳句「壺すみれ」をHAIKU(英語俳句)に翻訳する

          

高浜虚子の俳句に「その中に小さき神や壺すみれ」があります。

(青色文字をクリックすると関連の記事がご覧になれます。)

原句は壺菫を見て詠んだ俳句でしょうから、次の通り英訳してみます。

(試訳A

a Japanese violet_

a little god

in it

(試訳B

a Japanese violet_

there must be

a little god in it

(試訳C)

a Japanese violet_

therein

a little god

「その中に」は「therein」と英訳することができます。

上記3案の英訳の中では「試訳C]が最適でしょう。日本語と英語では文法的に構文が異なりますので、俳句の「切れ」を英語として訳出するには構文的に語順を逆にすると良いと思います。俳句の英訳をするにはその作者が句を詠んだ背景を考え、原句の句意を訳出する必要がありますが、至難ですね。

この俳句の英訳の参考情報を得ようとして、インターネット検索をすると、下記の英訳がありましたが、誤訳です。

In the middle of it

A little god:

A violet in the vase

(出典)

One Hundred and One Exceptional Haiku Poems by Kyoshi Takahama

The Hiyoshi Review of English Studies (慶應義塾大学日吉紀要 英語英米文学), 51, pp.85 - 112 , 2007  Translated by Katsuya Hiromoto     

上記の英訳は「壺すみれ」を「violet in the vase」と翻訳していますが、「つぼすみれ」は菫の一種の名称ですから誤訳です。

ちなみに、ウイキペディアには次の解説があります(抜粋)

「Viola verecunda スミレ科スミレ属の植物。ニョイスミレとも呼ばれる。全体に小柄で、茎はよく伸びて往々にして地表を這い、花はあまり高く出ないので、あまり目立たない植物である。」

また、Weblio辞書によると、「学名はviola verecunda、英名はJapanese violet」とあります。

俳句をユネスコ世界無形文化遺産に登録する運動が国際俳句交流協会などの俳句愛好者によって進められています。チュヌの主人は言語の壁を破るチャレンジをして、日英バイリンガル俳句(俳句・HAIKU)を楽しみながら、草の根運動の一助になればとの思いで、俳句やエッセイなどのブログを書いています。ご意見やコメントなど、投稿して頂けると有難いです。

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若葉の俳句を作って楽しもう!

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風薫る5月です。若葉の俳句を楽しみましょう!

駄句でも楽しみながら俳句を作り著名な俳人の俳句を鑑賞していると、そのうちに上手くなるだろう」と、庭弄りや散歩、吟行旅行、ゴルフなど、体を使うとともに、駄句を捻って頭の活性化に努め、老後の健康管理に留意して天寿を全うすることを願っています。

(写真はクリックすると拡大します。)  

    

今日(2017.5.21)は朝の中は清々しくて隣家のバラの庭のミニコンサートマリンバのリズミカルな遠音を聞きながら手作りの庭の手入れもはかどりました。ところが、昼下がりには早くも真夏日になり、窓辺の柿の木越しにミニコンサート(午後の部)のシャンソンとピアノの調べが物憂げに聞こえました。 
チュヌの主人(薫風士)の「若葉」の俳句10句を掲載します。

・マリンバの弾む遠音や若葉風  

・シャンソンの愁も運ぶ若葉風

・手作りの日本列島庭若葉

飯事(ままごと)の一人遊びに若葉風

・土団子くるむ童や柿若葉

・庭弄り腰を伸ばせば若葉風

・愛犬のまどろむ芝生若葉風

・雑草の生れし速さや庭若葉

・庭いじり終へし夕餉や若葉風

打球飛ぶ追風なりし若葉風

 

2017年5月21日 (日)

「若葉」・「柿若葉」の俳句を鑑賞しよう

     

季語が「若葉」・「柿若葉」の俳句をインターネット歳時記から思いつくままに下記に引用します。

青色の文字をクリックすると俳句の詳細や解説をご覧になれます。

   

若葉1

高窓を一つ残して蔦若葉 (邑橋淑子)

若葉2

地下鉄の3号出口蔦若葉 (中原幸子)

若葉3

病院に母を置きざり夕若葉 (八木林之助

若葉4

鼓鳴る能樂堂の若葉かな (正岡子規

若葉5

水晶の念珠に映る若葉かな (川端茅舍

若葉6

日を散らす風の若葉となりにけり (稲畑汀子

若葉7

物干して午前六時の若葉かな (尾堂燁)

若葉8

若葉して手のひらほどの山の寺 (夏目漱石

若葉9

退院は表口より若葉風 (松本文一郎)

若葉10

をちこちに滝の音聞く若ばかな (蕪村

若葉11

若葉雨小樽運河の静もれり (上原光代)

若葉12

犬抱いてリフトに乗りし若葉山 (吉田悦花)

若葉13

せせらぎや青葉若葉の川湯かな (西田史郎)

若葉14

若葉濃し日のあるうちの湯浴みかな (鈴木庸子)

若葉15

窓若葉新居に笑ひ声の満つ (田中藤穂)

若葉16

若葉して光と影の賑はしき (飛高隆夫)

  

柿若葉1

・今朝生れし仔牛歩めり柿若葉 (田中蘇水)

柿若葉2

雨上がり光り見えたる柿若葉 (山本田津子)

柿若葉3

柿若葉柿の葉鮨のために摘む (二瓶洋子)

柿若葉4

昼月や遠目にしるき柿若葉 (和田慈子

  

2017年5月13日 (土)

淡路夢舞台(楠ケ丘会2017年度総会会場)を見てきました

         

6月4日(日)に「淡路夢舞台国際会議場」で神戸市外国語大学同窓会「楠ケ丘会」の2017年度総会が開催されます。楠ケ丘会2017年度総会案内状はこをクリックしてご覧下さい

青色文字をクリックすると関連の解説記事や写真がご覧になれます。)

淡路夢舞台国際会議場のある「淡路夢舞台」は「国際会議場」「ウェスティンホテル淡路」温室「奇跡の星の植物館」「展望テラス」などが回廊で一体に繋がれた施設の総称です。淡路夢舞台施設の概略図はここをクリックしてご覧下さい。

「奇跡の星の植物館」では、2017年度年間スケジュールのように6月3日からは「ウオーターガーデンショー 面白き、珍しき水と光の庭」が開催される予定です。

2月総会会場の下見をしたときはランの特別展開催中で珍しい「ドラキュラ」というランなど様々なラン科の花が展示されていました。(下記の写真参照。写真はクリックすると拡大されます。)

ところで、筆者(10EB木下聰)は楠ケ丘会会員の方で俳句に興味のある方があれば懇親会で是非お会いして、英語やスペイン語、中国語、ロシア語など、神戸外大卒ならではのバイリンガル俳句の可能性などについて話し合いたいと思っています。俳句をユネスコ世界無形文化遺産に登録しようという運動が国際俳句交流協会などの俳句愛好家のみならず、松尾芭蕉や正岡子規所縁の自治体などの協賛で推進されています。この運動の草の根運動の一助になればとの思いで英語の俳句に関してブログを書いています俳句に興味のある同窓の方のご連絡が頂ければ幸甚です。

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2017年5月10日 (水)

「新緑・新樹」の俳句を楽しもう

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・手作りの亀の造形新松子(しんちじり

)

・夏に入る庭の手作り楽しみつ

・万物の命は奇跡薬の日

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掲句や写真はチュヌの主人(薫風士)の即興句やスナップです。俳句人口が増えることを願って、俳句は身近なことや自分の思いなどを詠んで気軽に作るとよい」ということを知ってほしい、との思いから敢えて拙句を冒頭に掲載しました。

  

青色の文字(季語・作者名)をクリックすると、その俳句の詳細や作者の解説などをご覧になれます。

  

「まんぽ」は「掛詞」です。「万歩」と「漫歩」を掛けています。

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55日は「こどもの日」ですが、今年は「立夏」に当たります。また「薬の日」でもあります。

鯉幟を上げましたが、孫は幼児用ゲームに夢中で鯉幟には興味を示していません。チュヌの主人は菖蒲湯にゆっくり浸り、疲れを癒しながら俳句のことなどに思いを巡らせました。

52021日は三田グリーネットのオープンガーデンが開催されます。

チュヌの主人は健康管理のためにも手作りの庭の整備をしていますが、オープンガーデンまでには「日本列島」を仕上げたいと思って、楽しみながら作業をしています。

       

季語「新緑」について、カラー図説日本大歳時記(飯田龍太)には次の解説があります。

初夏の目覚めるような若葉のみどりをいう。やや時過ぎてとっぷりと夏に入ると深緑。よく用いられる万緑は、新も含めて満目ことごとくみどりの意。新緑は、文字の眺めから、また、語感の上からも、さわやかな景を連想させる言葉である。(以下省略)    

新緑や新樹を詠んだ俳句をインターネット歳時記から気の向くままに引用してコメントさせて頂きます。

新緑1

・新緑の丘越え白き道一筋  (桂信子

北海道の風景やトルコ旅行などの風景を思い出します。

新緑2

・新緑のうへ滑りゆくモノレール (米倉よしお)

王子動物園のモノレールからみた桜の風景を思い出しました。

新緑3

・新緑の山に鉄塔古びたり (野海衣子)

インフラの整備・維持も今後の重要な課題ですね。  

新緑4

・新緑や選びて歩く土の道 (卓田謙一)

花と緑の我が街には「弥生のこみち」など、愛犬の散歩道に恵まれています。  

新緑5

・たつぷりと老い新緑の中にをり (竹下昌子)

自然に親しみ健康を維持して高齢化社会を乗り切りたいものです。   

新緑6

・新緑の中新緑の深大寺 (塩田杉郎)

また寺めぐりをしたいものです。

     

季語「新樹」について、山本健吉はカラー図説日本大歳時記に次のとおり解説しています。

初夏のみずみずしい緑の木立を言う。新鮮な語感を持っている。ただし題目としては古く、(・・中略・・)好んで詠まれるようになったのは大正期以降である。音感もよい「新樹の語に、あたかも新題目であるかのような、未開拓の新鮮さを感じたのである。「空暗くなり来新樹に風騒ぎ」虚子、「夜の雲に噴煙うつる新樹かな」秋櫻子、「滝浴びのまとふものなし夜の新樹」誓子、「新樹どち(つつ)まんとし溢れんとす」草田男など。    

新樹1

・雨上り新樹の雨滴光る朝 (稲畑汀子

ホテルの庭か稲畑邸の庭でしょうか? 誰もが体験された光景でしょう。我が手作りのささやかなエコガーデンでも同様に楽しんでいる景色です。   

新樹2

・新樹光牛乳うまきカフェテラス (中島徳子)

家族や俳句仲間と初夏を楽しみたいものです。 

新樹3

・街灯に輝いてゐる新樹かな (越智秀子)

安全な街を維持したいものです。 

新樹4

新樹光ジーンズの脚よく伸びて (今村恵子)

戦争を知らぬ飽食時代の若者は身長が伸びています。 

新樹5

・新樹林ここにかしこに水の音  藤井圀彦

新樹の林と水音がマッチして初夏の清々しい感じがします。 

新樹6

・新調の眼鏡よく見え新樹光 (新実貞子)

この眼鏡は老眼鏡でしょう。「新調」「新樹光」がよくマッチしています。

新樹7

・朝の虹ひとり仰げる新樹かな  (石田波郷

「ひとり」は「作者一人」のことか「新樹」のことか、どちらでしょうか。

   

俳句を通して世界の平和を!」という思いで俳句やエッセイなどささやかなブログを書いています。ご意見やコメントなど、投稿して頂けると有難いです。投稿して頂く場合には「コメントを投稿」(記事の最後の欄)に、次の手順で入力して下さい。

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俳句の鑑賞 <「薫風」・「風薫る」>

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・薫風や労りの声愛犬に

・風薫る手押し車に乗りし犬

・愛犬と見下ろす街や風薫る

   

掲句はチュヌの主人(薫風士)の前座的俳句です。

「チュヌ」はサモエド犬なので真白な長い毛がふさふさとしています。行き交う人は「これから暑くなって大変ですね」と声を掛けてくれます。

老犬を手押し車に乗せて買い物や散歩をしている老女を見かけます。

チュヌの主人はチュヌの散歩を元気にして、天寿を全うすることを願っています。

 

季語が「薫風」と「風薫る」の俳句をインターネット歳時記からランダムに下記に引用します。   

青色の文字をクリックすると俳句の詳細や解説などご覧になれます。

   

薫風1

薫風やともし立てかねついつくしま (与謝蕪村

・薫風を連れ虚子館の扉押す (山田弘子

薫風2

・薫風や遠くに牛と白い雲 (小島とよ子)

・薫風や軸に蕪村の翁像 (曷川克)

薫風3

・薫風や犬の鼻先よく動く (柴田久子)

・薫風に押し戻されてナイス・オン (鷹羽狩行

薫風4

・薫風の窓辺よろこぶ赤子かな (本杉千保子)

・薫風や子の号令の朝ごはん (太田佳代子)

薫風5

・薫風や仮設の村に一輪車 (松嶋一洋)

・薫風や母が支へて父の腕 (德田千鶴子)

 

風薫る1

・踏みならす橘橋や風かをる (正岡子規

・弾みたるボール追ふ犬風薫る (多田節子)

風薫る2

・歌ひつつ音符書く子や風かをる (大上武)

・島に建つ仮設住宅風薫る (元永高美)

風薫る3

・風薫る献血の旗ひるがへり (高木武人)

・風薫るみすゞの詩集読みたき日 (松山正江)

風薫る4

・モルダウの橋より橋へ風薫る (白川敏彦)

・風薫る曾良の菩提の正願寺 (小澤克己

風薫る5

百歳の余生すこやか風薫る (岡久枝)

・半世紀住み古りし街風薫る (大橋晄

   

2017年4月30日 (日)

俳句鑑賞 <蕪村の俳句「薫風や」は面白い>

         

与謝蕪村の俳句「薫風やともしたてかねついつくしま」が面白いと云うと、「何が面白いのだ」と不思議に思われる読者が多いでしょう。

この俳句は少なくとも4とおりの解釈が可能であるとチュヌの主人(薫風士)は考えています。 

インターネット歳時記の「薫風1」(2014516日作成)の冒頭に「薫風やともしたてかねついくつしま」とあり、その意味が全くわかりませんでした。そこで、「蕪村が字余りの俳句を平仮名を多用して作ったのは何故か?」好奇心から色々調べてみましたが、この俳句の意味を解説した記事は見当たりませんでした。

正岡子規の「俳人蕪村」(青空文庫)には「薫風やともしたてかねつ(いつく)(しま)」とあり、「いくつしま」は「いつくしま」のミスタイプ(入力ミス)であり、「薫風やともしたてかねついつくしま」が正しいことに気づきましたが、この俳句の意味が直ぐにはわかりませんでした。ところが、翌朝ふと句意の解釈を思いつきました。

(解釈1)「ともし」は「灯」であり、「かね」は「鐘」だろう、「薫風や灯し立て鐘つい突く島」である、と解釈できるのではないか? 

すなわち、「灯しを立てると鐘も突きたくなる宮島」を詠んだものであるという解釈です。

インターネット検索で検索すると、ホットライン教育ひろしま」というサイトに次の記事があり、この解釈が可能であることが裏付けられました。

仏教では,その宗教的雰囲気を高めるための多くの鳴物が使用されるが,それら梵音具(ぼんおんぐ)と言われるものの中で最大の梵鐘に属するもので,天正15年(1587)に豊臣秀吉が,島津攻略の際に持ち返って,厳島神社に寄進したものと言われ,応永5年(1398)の銘がある。     

広辞苑(第6版)の「ともし②」に次の解説があります。

(「照射」と書く)猟人が夏・秋の夜、山中の木陰に篝をたき、または()(ぐし)松明(たいまつ)をともして闇の中の鹿の眼が光に反射して輝くのを目当てに、これを射たこと。また、その火。(季:夏)

(解釈2)広辞苑の上記解説を「ともし」に当てはめ、「薫風や照射(ともし)立てかねつ(いつく)(しま)と読み、「鹿を射ちかねている」ことを詠んだ俳句であると解釈することも可能でしょう。

(解釈3)「薫風や灯し立てかねつ厳島」と読むと、「薫風で灯を立てかねている」句意であると解釈することも可能でしょう。

(解釈4)「かねつ」に「加熱」を当てはめ、「薫風や灯し立て加熱(かねつ)厳島」と読み、「灯火が沢山立って熱くなっている」ことを詠んだものであると解釈することも可能でしょう。

俳句では「中七」を字余りにすることは拙いとされていますが、蕪村は意図的に「ひらがな」の「字余り」の俳句にして、「掛詞」の俳句にしたものであると思います。  

どの解釈が妥当かご意見やコメントなど、投稿して頂けると有難いです。

  

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2017年4月27日 (木)

高浜虚子と夏目漱石の「すみれ」の俳句で思うこと

  

高浜虚子は「怒濤岩を噛む我を神かと朧の夜」「その中にちいさき神や壺すみれ」という俳句を明治29年(1896年)に作っています。

その翌年に夏目漱石は「菫程な小さき人に生れたし」を作っています。

これらの俳句を翻訳する参考に当時の時代背景など調べようとインターネットで検索していると、明治29年(1896年)6月15日には「明治三陸大津波」が起こった記事がありました。

ウイキペディアの解説によると、

明治三陸地震は、震度が小さいにもかかわらず巨大な津波が発生し2万人を超す犠牲者が出た。これは、この地震が巨大な力(マグニチュード8.2- 8.5)を持ちながら、ゆっくりと動く地震であったためである[19

とあります。

東日本大震災は「明治三陸地震」の115年後に起こったことになりますが、発生から6年後の今も復興半ばで被災者や関係者のご苦労が続いています。

   

たまたまテレビニュースで、今村復興大臣の失言に伴う辞任問題を放映していました。失言のポイントは次のとおりです。

「(社会的資本の毀損も)25兆円という数字もあります。これは、まだ東北で、あっちの方だったからよかった。これがもっと首都圏に近かったりすると、莫大(ばくだい)な、甚大な額になったと思う」。

    

そこで、1923年(大正12年)の「関東地震についてウイキペディアを見ました。

素人が単純に考えるのは問題でしょうが、関東地方にも三陸地震と同じような周期に起ると仮定すると、2038年には関東大震災が再発することになります。

当時に比べると耐震構造などの地震災害対策技術が格段に進歩しているにしても、首都圏の人口やインフラの超過密状態を考えると、空恐ろしい気がします。

「東京一極集中を止めるべきだ」と叫ばれてから久しいが、実際には2020年の東京オリンピック開催など、さらに東京一極集中が進んでいます。    

防災技術の進歩だけでは大災害を防ぎきれない自然の脅威を謙虚に受け止め、効率優先の東京一極集中の政策推進は根本的に変えるが必要があるでしょう。

原子力発電の安全神話が崩壊し、「原発による安い電力の確保」も額面通りに受け取れなくなっています。

「東京一極集中の効率」も無災害状態の効率であって、一旦大災害が生じるとその効率は吹っ飛んでしまうのではないかと、老爺心ながら憂いを深めています。

   

一方、北朝鮮問題についても様々な報道がなされていますが、北朝鮮のミサイルが不正確でも原発周辺に落下するとどうなるのでしょうか?

かって日本が経済制裁を乗り切るために真珠湾攻撃をして太平洋戦争に突入したように、北朝鮮も「窮鼠猫を噛む」行動をするかも知れません。

日本の指導者が戦争末期には「一億玉砕」と戦意を煽ったと同じように、北朝鮮の独裁的指導者が「死なばもろとも」と狂気的政策を推進すればどうなるでしょうか?

国際問題の危機対策は、敵対心を煽る強気一辺倒の発言ではなく、「北風と太陽」の寓話にあるように、北朝鮮の人々への人道的配慮をして、平和的解決の対話外交の推進をする方が良策ではないか、と愚考しています。拉致問題も強硬手段では解決しないでしょう。

自然災害の対策や自衛処置・対策を講ずることは当然のことですが、政治家の皆さんには「我が身にも神坐すべし壺菫」という思いをもって、与党・野党の政略的対立ではなく、真に国民のためになる政策を協議してもらいたいものです。

  

2017年4月23日 (日)

深田公園でモモちゃんとププちゃんに会ったよ

   

チュヌは新緑のシュライン通りから深田公園を散歩しました。

可愛いモモちゃんとププちゃんに会い一緒に写真を撮ってもらいました。

三田屋本店の裏あたりは八重桜が綺麗でしたよ。

写真をクリック・拡大してご覧下さい。

ここをクリックする「深田公園」の写真集(グーグル検索結果)がご覧になれます。

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2017年4月19日 (水)

俳句「風光る」・写真特集(神戸メリケンパーク)

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季語「風光る」について、合本現代俳句歳時記(角川春樹編)は次のとおり解説しています。

「春光を吹き渡る風が光るように感じられるさま。やわらかな風が木の枝をゆらし、光が揺れ、まるで風と光とが同時にいのちを宿したごとく動く感覚を(とら)えて成した、みごとな季語というべきである。」 

  

シャープ電子辞書の広辞苑には次のとおり解説されています。

「春になってだんだん日光が強くなると、吹く風が何となく鋭く光るように感ぜられる。春風との同趣同工を避くべきである。」

    

ご覧の写真は先日チュヌの主人が神戸メリケンパークで写したものです。

    

復興のメリケンパーク風光る (薫風士)

風薫る開港記念音楽祭 (薫風士)

  

5月21日(日)には神戸開港150年音楽祭がメリケンパークで開催される予定です。

「BE KOBE」というロゴに興味が湧きインターネットで「神戸公式観光サイト」を見ると、次の記事がありました。

神戸市は、市民の皆さんが神戸に愛着を抱くことや、神戸市民であることを誇りに思う「シビックプライド」の醸成を目指しています。

BE KOBE」は阪神・淡路大震災から20年を機に生まれたロゴマークです。

「BE KOBE」を直訳すると、「神戸であれ」という意味になりますが、皆さんの心の中にある「神戸への想い」を「BE KOBE」に重ねて自由に解釈して頂くことで、神戸市民であることを誇りに思う気持ちの合言葉として定着させていきたいと考えています。

   

(青色の文字をクリックすると関連の解説記事や歳時記の俳句がご覧になれます。)

   

阪神・淡路大震災から22年過ぎ神戸は復興しました。 

東日本大震災熊本地震の被災の方々はまだ復興中でご苦労されています。チュヌの主人は心ばかりの「貧者の一燈」を捧げ速やかな復興を祈っています。

   

インターネット歳時記の「風光る」から神戸や海などを詠んだ俳句を目につくままに下記に抜粋します。 

風光る1

風光る海の匂ひの観覧車 (松木知子)

風光る2

風光る神戸元町パン工房 (池上幸子)

風光る3

沖の帆はひかりとなれり風光る (杉田さだ子)

風光る4

瀬戸内は海の十字路風光る (刈米育子)

風光る5

風光る八重の汐路を船速く (高谷栄一)

風光る6

風光るコバルト色の潮の帯 (山本浪子)

風光る7

海へ向くベンチに二人風光る (黒滝志麻子)

   

ちなみに、ここをクリックすると、グーグルで検索したメリケンパークの無数の写真がご覧になれます。

「NAVERまとめ」のサイトにメリケンパークの観光スポットの写真と解説があります。(ここをクリックしてご覧下さい。

「退職教授の見果てぬ夢」というサイトに「神戸メリケンパーク」という興味深い解説と写真集があります。(ここをクリックしてご覧下さい。

2017年4月13日 (木)

バイリンガル俳句鑑賞 <花疲れ眠れる人に凭り眠る(高浜虚子)>

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4月8日は高浜虚子の命日「椿(ちん)寿忌(じゅき)」です。

日本気象協会の「桜開花情報」によると北海道東北地方北陸地方以外の都府県では満開です。

桜・花の俳句と写真を集めました(ここをクリックしてご覧下さい)。

(青色文字をクリックすると関連の記事がご覧になれます。)

ご覧の写真のようにチュヌの散歩道の桜も満開になりました。

この週末は雨模様でしたが、花見でお疲れの方も居られるでしょう。   

そこで、高浜虚子の掲句「花疲れ眠れる人に()り眠る」の英訳にチャレンジしてみます。

俳句の英訳をするにはその作者が句を詠んだ背景を考え、原句の句意を訳出する必要があります。俳句はその解釈を読者の想像にゆだねる特徴があります。日本語の情緒的な表現・ニュアンスを英語HAIKKUに訳出することは至難です。英語は論理的な構文が特徴ですから、俳句で省略される主語など、英語では省略することが出来ません。したがって、原句が詠まれた情景を考えて、省略された主語を補って英語のHAIKUにしなければなりません。

掲句の場合は少なくとも次の三通りの情景が考えられます

(A)  眠っている人に虚子がつい寄り掛かってうとうとした。

(B)  うとうと眠っている虚子に隣の人が寄り掛かってうとうとした。

(C) 互いに寄りかかってうとうとしている二人連れを虚子が見た。

虚子に寄り掛かったのはうら若い女性か、むさくるしい男か?

二人連れは若者か、老夫婦か、恋人同士か?

様々な情景が思い浮かびます。俳句鑑賞の楽しさ、面白さです。

     

俳句は「省略の文学」といわれますが、花疲れ眠れる人に()り眠る」も主語が省略されています。英語では主語の省略はできませんので、先ず(A)の俳句であると解釈して原句に近い英語Haikuに翻訳します。

hanazukare_

I dozed,

leaning against a person dozing

      

weblio英和和英辞典」によると、「花疲れ」は「tiredness after cherry blossom watching」と英訳されています。

この英訳を用いると説明的な散文になり、Haikuの面白さが損なわれますが、構文などを工夫して次のように英語Haikuにしてみます。

I dozed,

leaning against a person dozing_

fatigue from cherry-blossom viewing

  

HAIKUらしく簡潔に翻訳するには、季語「花疲れ」は「寿司」(sushi)や「すき焼き」(sukiyaki)などと同じく、季語は日本固有・俳句特有のものとしてそのままローマ字の「hanazukare」にせざるを得ませんね。

ちなみに、原句が「眠る」と現在形の表現ですから、上記の英訳の「dozed」を「doze」と現在形にすると、「花疲れをすると、・・・眠る」と習慣的行為を句に詠んだことになります。

     

ご参考までに、上記(B)(C)の解釈に準じ試訳してみます。

(B)

hanazukare_

I dozed,

someone dozed leaning against me.

     

(C)

hanazukare_

a man dozed,

a woman dozed leaning against him.

    

英語は同じ言葉の反復をきらいますが、上記の翻訳では原句の面白さを反映するために敢えて同じ単語を繰り返しています。なお、personやman、womanなどは実態に合わせて適切な名詞を入れ替えて俳諧味を出すとよいでしょう。

     

原句の句意と異なるかも知れませんが、花見時によく見かける車内の光景として次のように英語HAIKUを作ってみます。

hanazukare_

couples of people doze in a train,

leaning agaist each other

      

この「花疲れ」の俳句の最後は「眠る」と現在形ですから、花見の疲れという現象の一面の真理を詠んだものと解釈して次のように翻訳して見ます。

hanazukare_

people tend to doze

leaning against one another

       

興味のある方は「バイリンガル俳句・HAIKUを楽しむ <高浜虚子の俳句「春の山」>」もご覧下さい。

     

俳句をユネスコ世界無形文化遺産に登録する運動が

国際俳句交流協会などの俳句愛好者によって進められています。

チュヌの主人は言語の壁を破るチャレンジをして、

日英バイリンガル俳句を楽しみながら、

草の根運動の一助になればとの思いで、

俳句やエッセイなどのブログを書いています。

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2017年4月 8日 (土)

俳句の英訳 <波音の由比ヶ浜より初電車(高浜虚子)>

48日は高浜虚子の命日「椿(ちん)寿忌(じゅき)」です。

そこで虚子所縁(ゆかり)の由比ヶ浜の俳句

波音の由比ヶ浜より初電車」

の英訳にチャレンジしました。

  

(英訳A)

虚子が「由比ヶ浜」から初電車を見て詠んものとする翻訳です。

the first train of New Year,

seen from Yuigahama,

waves of the beach sounding

  

(英訳B)

虚子が「由比ヶ浜」の駅から初乗したものとした翻訳です。

the first train I took New Year

left from Yuigahama,

the beach waves sounded

   

虚子が俳句を詠んだ背景はA・Bのいずれでしょうか?

実体をご存知の方が居られるなら、教えて頂けると幸甚です。

2017年3月22日 (水)

俳句の創作的解釈<高浜虚子の俳句「一つ根に離れ浮く葉や春の水」>

Cimg2737

Cimg2739
冒頭の写真は日本伝統俳句協会の3月のカレンダーです。掲句と石井柏亭のほのぼのとした絵の掛軸が「双福」で掲載されています。

チュヌの主人はこのカレンダーを毎日眺めながら何となく俳句のことを考えています。先日ふと、この俳句は正岡子規高浜虚子河東碧梧桐の関係の比喩でないかという考えが浮かびました。すなわち、「根」が正岡子規であり、「葉」は虚子と碧梧桐を差していると解釈したのです。この解釈が正しいか否か確認するためにインターネット検索をすると同じような考えを述べている「俳句雑記帳」というタイトルの記事がありました。 

高浜虚子は「俳句の作りよう」の「(三)じっと眺め入ること」において、次のように述べています。

(青色文字をクリックすると、「俳句の作りよう」の全文や解説記事などがご覧になれます。写真はクリックすると拡大されます。)

「芭蕉の弟子のうちでも許六(きょりく)という人は配合に重きを置いた人で、題に執着しないで、何でも配合物を見出してきて、それをその題にくっつける、という説を主張していることは前章に述べた通りでありますが、それと全然反対なのは去来(きょらい)であります。去来は配合などには重きを置かず、ある題の趣に深く深く考え入って、執着に執着を重ねて、その題の意味の中核を捕えてこねばやまぬという句作法を取ったようであります。
 この後者の句作法の方をさらに二つに分けてみることができます。
その一は目で見る方で、じっと眺め入ることであります。その二は、心で考える方で、じっと案じ入ることであります。」

さらに、「『じっと眺め入る』ということもやがては『じっと案じ入る』ということに落ちて行くのであります。」と述べて、掲句「一つ根に離れ浮く葉や春の水」を詠んだ経緯を詳細に説明しながら約2600字を使って句作における「写生」とは何かを縷々説明しています。

したがって、掲句を上記のように比喩と考えるのは穿ち過ぎかもしれませんが、「人間も大自然の一部の存在である」ととらえ花鳥諷詠を唱導した虚子は無意識のうちにそういう比喩をしていたかも知れません。さらにうがった創作的解釈をすると、「一つ根」は芭蕉を意味し、「葉」は去来許六を差していると解釈することもできます。

   

俳句をユネスコ世界無形文化遺産に登録する運動が松尾芭蕉正岡子規ゆかりの自治体や国際俳句交流協会などの俳句愛好者によって進められていますその草の根運動の一助になればとの思いで、チュヌの主人はブログを書き、読者のご意見・ご投稿をお待ちしています。

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2017年3月 1日 (水)

バイリンガル俳句・HAIKUを楽しむ <高浜虚子の俳句「春の山」>

         

春の山屍をうめて空しかり (1959)

掲句は高浜虚子の辞世句といえる俳句です。(「俳句談義(1)虚子辞世句の解釈」参照。)

  
One Hundred and One Exceptional Haiku Poems by KyoshiTakahama

虚子秀句・百一選英訳Kyoshi shuuku hyakuissen eiyakuに「Haru no yama kabane o umete munashi-kariとして、Katsuya Hiromoto氏の次の英訳があります。

Spring mountain
With the corpse buried —
How insignificant and small

   

上記の英訳は「屍」を「the corpse」と翻訳しています。これは、掲句が鎌倉の源頼朝の墓を詠んだものと解釈して翻訳したものでしょうか?

次のように英訳すると、原句の句意に近い翻訳になるのではないでしょうか?

the spring mountain

stands vain

with corpses buried

翻訳者のご意見を伺いたいものですが、チュヌの主人は掲句を「Haru no yama kabane o umete kuushikari」と読んで、下五の「空しかり」を「むなしかり」ではなく「空然り」と解釈しています。

穿ち過ぎかもしれませんが、「春の山」は単に「源頼朝」の「墓」だけでなく、自分自身を含めて様々な人々が埋められる亀谷山(きこくさん)寿福寺の墓を指して高浜虚子が辞世の俳句として詠んだものとして、次のように英訳してみます。

the spring mountain
with corpse
s buried —

all are vanity

      

ちなみに、高浜虚子が掲句を詠んだ背景について、「鎌倉婦人子供会館」のHPにある解説を下記のとおり抜粋します。

虚子は、多くの死者が眠る鎌倉の山並みを窓より見渡し、頼朝を弔う詩幅を前に、次の二句を残しました。
  英霊を 弔ふ詩幅 桜生け
  春の山 屍をうめて 空しかり

(http://www.kfujin-kodomo.org/20150126.html参照。)

(「俳句談義(2):虚子辞世句の新解釈について」参照。)

  

俳句の鑑賞・面白い季語「山笑ふ」

    

「山笑う」について飯田龍太はカラー図説日本大歳時記(講談社版)において次の通り解説しています。

「出典は中国宋代のころの禅宗の画家郭煕『春山淡冶(たんや)にして笑ふが如く』にあるという。『冬山惨淡として眠るが如し』に対比される形容で、絶妙の(たとえ)である。褐色の(うぶ)()(おお)われたような早春の山々の木々が、次第に潤みを帯び、春の日に照らされて山そのものが笑みを浮かべているようだという。峻険な山にこの感じはないが、1000メートル程度までの低い山姿はまさしくこんな印象。それを素早く季題とした俳人の感度もなかなかのものと讃えたい。」

インターネット歳時記には「山笑う」の俳句は800句余りあります。次にランダムに抜粋させて頂きます。

青色文字の季語「山笑ふ」をクリックするとそのページの俳句の詳細がご覧になれます。  

山笑ふ1)

故郷やどちらを見ても山笑ふ  (正岡子規

落伍せしゴルフレッスン山笑ふ (山田弘子

山笑ふ2)

余生とは歩くことらし山笑ふ  (清水甚吉)

母と妻口論佳境山笑ふ (保田英太郎)

山笑ふ3

名刹はべからずづくめ山笑ふ  (江国滋酔郎

山笑ふ共に忘るる齢となり (高倉恵美子)

山笑ふ4

山笑ふ胎動ときにへその裏  (仙田洋子

山笑ふ仏の顔の湯治客 (小林朱夏)

山笑ふ5

山笑ふその先高き甲斐の富士 (小俣剛哉)

山笑ふ裸のつきあひ露天風呂 (藤野寿子)

山笑ふ6

磨崖仏胎に蔵して山笑ふ (上谷昌憲)

噛み合はぬ夫婦の会話山笑ふ (水原春郎)

山笑ふ7

古希すぎて描く未来図山笑ふ (岡真紗子)

リハビリの発声練習山笑ふ (加藤千春)

      

「山笑う」という面白い季語のせいか、インターネット歳時記でも川柳まがいの俳句がありますが、チュヌの主人も「山笑ふ」の俳句を詠んでみました。

・微睡て富士を見落とし山笑ふ

・山笑ふ車窓の彼方富士の嶺

 上京する際の新幹線ではいつも富士山の雄姿を見るのを楽しみにしていますが、ついうとうとして見落とすことがあります。

・快音のボールOB山笑ふ

 スコアを気にせず専ら健康管理のためのゴルフを楽しんでいます。

・眠りから覚めたる山の笑ひをり

丹波路や山穏やかな笑ひ顔

 故郷へ車を駆る度に丹波路の四季折々の穏やかな山並みに心が和みます。

・なじり合ひまたかばひ合ひ山笑ふ

・山笑ふ旅の不安や忘れもの

 最近は何かにつけてよく物忘れをするようになり夫婦二人で一人前のスローライフです。

     

先輩の川柳 (2017.3.1)

このところ俳句の記事ばかりが続いていますので、久しぶりに前川淳氏の川柳を掲載させて頂きます。最近の世界情勢や世相を考えると、これらの川柳には何か皆さんの思いに通ずるものがあるのではないでしょうか。

① 雷鳴に呼び覚まされた能天気

② 鉄人の涙もろさを垣間見た

③ 世界地図どこを開けてもきな臭い

④ もう二度と降らせてならぬ黒い雨

⑤ 温もりを育み合った木の校舎

⑥ 国言葉一色になる同期会

⑦ 春めいて悲しい色が遠ざかる

次回は面白い季語「山笑う」の俳句をとりあげます。 

・眠りから覚めたる山の笑ひをり (さとし)

・丹波路や山穏やかに笑ひをり (さとし)

  

2017年2月24日 (金)

俳句の解析・鑑賞 <蕪村の「白梅」と虚子の「去年今年」>

      

しら梅に明る夜ばかりとなりにけり

この俳句は画家でもあった与謝蕪村ならではの辞世の句です。

正岡子規は「俳人蕪村」(注1)において蕪村の俳句を高く評価していますが、掲句については言及していません。 

萩原朔太郎は「郷愁の詩人 与謝蕪村」(青空文庫)(注2)において詩人ならではできない句評をしています。

天明(てんめい)三年、蕪村臨終の直前に(えい)じた句で、彼の最後の絶筆となったものである。白々とした黎明(れいめい)の空気の中で、夢のように漂っている梅の気あいが感じられる。全体に縹渺(ひょうびょう)とした詩境であって、英国の詩人イエーツらが(ねら)ったいわゆる「象徴」の詩境とも、どこか共通のものが感じられる。しかしこうした句は、印象の直截鮮明を尊ぶ蕪村として、従来の句に見られなかった異例である。かつどこかスタイルがちがっており、句の心境にも芭蕉風の静寂な主観が隠見している。けだし晩年の蕪村は、この句によって(ひとつ)の新しい飛躍をしたのである。もしこれが最後の絶筆でなかったならば、更生の蕪村は別趣の風貌(ふうぼう)を帯びたか知れない。おそらく彼は、心境の静寂さにおいて芭蕉に近づき、全体としての芸術を、近代の象徴詩に近く発展させたか知れないのである。そしてこの臆測(おくそく)は、蕪村の俳句や長詩に見られる、その超時代的の珍しい新感覚――それは現代の新しい詩の精神にも共通している――を考え、一方にまた近代の浪漫(ろうまん)詩人や明治の新体詩人やが、後年に至って象徴的傾向の詩風に入った経過を考える時、少しも誇張の妄想でないことを知るであろう。」

    

この俳句を英訳するには省略されている「主体」となるべき言葉を補足して解釈する必要が生じます。会話や散文においても文脈から明瞭な主語(主体)などがよく省略されますが、この俳句においては「自分には」とか「自分に残された夜は」などの語句が省略されていると解釈すると蕪村が自分の気持ちをありのままに素直に詠んだ俳句であることがわかります。

俳句の新解釈・鑑賞 <しら梅に明る夜ばかりとなりにけり(与謝蕪村)>参照)    

このような分析的解釈は詩人や俳人の詩的感覚にどのように映るでしょうか? 俳句を翻訳するためには俳句を詩的のみならず解析的に鑑賞する必要があります。

  

俳句の英訳に関心のある方のご参考までに下記します。   

The Art of Haiku by Stephen Addissには蕪村の「しら梅」の俳句を次の通り翻訳しています。

among white plum blossoms

what remain is the night

about to break into dawn

上記の英訳は「白梅に残っているものは明けようとしている夜ばかり」と和訳できます。すなわち、原句の句意を誤解した英訳です。

次のように英訳すると、原句の真意を明瞭に伝える俳句らしい翻訳になります。

what remain to me_

the night about to break into dawn

among white plum blossoms

   

外国人が日本語を完全に理解して英訳することは困難なようです。日本人が俳句を理解できても完全な英語に翻訳することは容易ではありませんが、チュヌの主人はバイリンガル俳句にチャレンジし楽しんでいます。

ちなみに、高浜虚子の代表作といわれる俳句「去年今年貫く棒の如きもの」においては主体となるべき語句「俳句に対する虚子の信念」が省略されていると解釈できます。

俳句の新解釈・鑑賞 <去年今年貫く棒の如きもの(高浜虚子)>をご参照下さい。    

(注1)「俳人蕪村」は下記URL参照。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000305/files/47985_41579.html

(注2)「郷愁の詩人 与謝蕪村」は下記URL参照。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000067/files/47566_44414.html

  

2017年2月11日 (土)

日英バイリンガル俳句を楽しむ <高浜虚子の俳句「去年今年」>

    

光陰矢の如し(Time flies.)、高浜虚子の生誕日(2月22日)が間近です。

そこで、虚子の俳句「去年今年貫く棒の如きもの」の英訳にチャレンジします。

(青色文字をクリックすると関連の記事がご覧になれます。)

インターネットのhttp://terebess.hu/english/haiku/takahama.html

に「One Hundred and One Exceptional Haiku Poems by Kyoshi Takahama(虚子秀句百一選英訳)という記事があり、次英訳がありました

Something like a stick

That goes through

Last year and this year

上記の英訳は原句の一般的な解釈に従って翻訳したものです。

文字通りに日本語にすると、「去年今年を通じてゆく棒のようなもの」という意味のHAIKUです。日本語を知らない外国人がこの英訳HAIKUを読むと、意味不明の謎かけのように思い、高浜虚子の代表的名句だとは思はないでしょう。 

次のようにす英訳すると、原句に近くなるでしょう。 

kozokotoshi_

piercing

as if a stick

   

俳句の新解釈・鑑賞 <去年今年貫く棒の如きもの(高浜虚子)>において考察したように、主語(主体)は省略されている、すなわち、「俳句に対する虚子の信念」が省略されている、「去年今年」は客体である、と解釈する場合は次のように意訳できます。 

my belief in HAIKU

pierces kozokotoshi through,

as if a stick pierces something

   

「去年今年」は文字通り英訳すると「last year this year」ですが、新年の季語としては不適切です。「去年今年」は高浜虚子が季語として確立したと言われていますから、日本語のまま「kozokotoshi」で使うのがよいでしょう。

オバマ大統領も日米首脳会談の夕食会で次のような日本語をそのまま使っているHAIKUを披露しています。

俳句談義18:政治家と俳句 <俳句を通して世界の平和を!

・春緑 日米友好 和やかに

Spring, green and friendship

United States and Japan

Nagoyaka ni

  

今日は「建国記念の日」です。「『旗日』は死語か?『建国記念の日』の俳句を読んで思うこと」をご覧下さい。

ところで、安倍首相がトランプ大統領と会談し、一緒にゴルフもする予定とのことです。トランプ米国大統領に歓待されるのは大変結構なことですが、実を取られて日本が滅びるようなことになっては困りますね。トランプ氏はオバマさんのように俳句を詠むことはしないでしょうから、俳句は詠まなくても、しっかり会談して下さいね。

安倍総理大臣! よろしくお願いします!

ここまで書いたところで、「日米首脳会談で安倍首相は『罠』にハマった。 『マッドマン・セオリー』に騙される日本」という東洋経済ONLINE記事があった。下記URLをクリックしてご覧下さい。http://toyokeizai.net/articles/-/158128

    

   

     

2017年2月10日 (金)

「梅」・「梅の花」の俳句鑑賞

         

インターネット歳時記には「梅」の俳句が約1800句、「紅梅」約800句、「白梅」約500句、「梅ヶ香(梅匂ふ)」約500句、「探梅」約350句、「梅咲く」約260句、「枝垂れ梅」121句、「老梅」59句、「梅の花」250句など、梅を詠んだ俳句が無数にあり興味が尽きません。

季語「白梅」の冒頭には、阪神・淡路大震災を詠んだ俳句「白梅や天没地没虚空没永田耕衣)」があります。歳時記には味わい深い俳句や個性的な俳句など沢山ありますが、与謝蕪村の俳句「しら梅に明くる夜ばかりとなりにけり」の新解釈(「チュヌの便り」)もここをクリックしてご覧下さい

歳時記からたまたま目についた俳句をランダムに抜粋させて頂きます。

青色文字をクリックすると俳句や作者の解説など詳細がご覧になれます。

    

老梅

老梅の穢き迄に花多し  (高浜虚子

老梅の白の気品の衰へず (石谷淳子)   

梅1

風に日に梅に忌心整ひし (稲畑廣太郎)

色褪せて一瞥さるる梅やある (大橋敦子) 

梅2

雪しづれして丸窓の古都の梅 (大西正栄)

廃校の母校の跡の梅に佇つ (松田欽吾) 

梅3

梅よりも空の蒼さを讃へをる (落合絹代)

子と犬と抱き上げ夫婦梅をかぐ (勝野薫)

梅4

梅は散り君は彼岸のみほとけに (

春競ふ源平梅や二条城 (田中呑舟) 

梅5

学問の神の庭園梅固し (中村星児)

梅の下にけふ落日を見るゆとり (瀧春一 

梅6

人寄りて梅の素顔を見つめをり (黒澤登美枝)

梅活けし小部屋の襖開きおく (水谷ひさ江) 

梅7

二もとの梅に遅速を愛す哉  (与謝蕪村)

梅固し憂ひは常に極秘なり (荻野千枝) 

梅8

折り取りし梅添へ仕上ぐ節料理 (ことり)

老人の話筒抜け梅三分 (中島あきら) 

梅9

火照る(こつ)拾ひて梅の風に出づ (藤井美晴)

妻佇ちし梅ほつほつと開きゆく (大橋晄) 

梅10

軒端なる梅のひなたの石手水 (豊田都峰

知らぬ間の隣人の訃や梅二輪 (布川孝子) 

梅11

梅が枝の折れんばかりや雪止まず (小川玉泉)

梅早し遅しと虚子の誕生日 (稲畑汀子) 

梅12

毎年の梅の開花を愛でゐしに (大橋晄)

盆梅や盆梅課ある城下町 (小澤菜美) 

梅13

道ひとつ違へ野梅につきあたる (石田阿畏子)

家ごとに小さき橋掛け梅の里 (松本三千夫) 

梅14

廃業の老舗の名残垂れ梅 (宮本俊子)

盆梅の気品遺して逝かれけり (稲畑廣太郎) 

梅の花

正直は亡母の諭し梅の花 (小林鱒一)

一輪車上手にくぐる梅の花 (小菅美代子)

      

2017年2月 3日 (金)

俳句の新解釈・鑑賞 <しら梅に明る夜ばかりとなりにけり(与謝蕪村)>

    

今回は与謝蕪村の辞世句として有名な掲句「しら梅に明る夜ばかりとなりにけり」の解釈について考えます。 

外山滋比古氏は「省略の詩学―俳句のかたち」で「俳句は省略の文学である」「十人十色の受け取りができてこそ俳句はおもしろい。」と云っています。

俳句の新解釈・鑑賞 <去年今年貫く棒の如きもの(高浜虚子)>」参照。)    

掲句の解釈として、学研全訳古語辞典には次の解説があります(Weblio参照)。

[訳] 冬も終わり、ほころび始めた白梅の花が闇(やみ)からしらじらと浮かび上がる夜明けを迎えるころとなった。

(鑑賞)蕪村の辞世の句。没したのは十二月であるが、蕪村の心はすでに初春の明け方を向いている。季語は「白梅」で、季は春。  

上記の解釈は、清水哲男氏が増殖する俳句歳時記」に於いて次のように評しているように、辞世句の解釈としては安易すぎます。   

天明三年(1783)十二月二十五日未明、蕪村臨終吟三句のうち最後の作。枕頭で門人の松村月渓が書きとめた。享年六十八歳・・・(中略)・・・

単純に字面を追えば「今日よりは白梅に明ける早春の日々となった」(暉峻康隆・岩波日本古典文學大系)と取れるが、安直に過ぎる。いかに芸達者な蕪村とはいえ、死に瀕した瀬戸際で、そんなに呑気なことを思うはずはない。暉峻解釈は「ばかり」を誤読している。

「ばかり」を「……だけ」ないしは「……のみ」と読むからであって、この場合は「明る(夜)ばかり」と「夜」を抜く気分で読むべきだろう。すなわち「間もなく白梅の美しい夜明けなのに……」という口惜しい感慨こそが、句の命なのだ。・・・(以下省略)・・・   

清水哲男氏は「『夜』を抜く気分で読むべきだろう」と述べていますが、蕪村のような優れた俳人が無駄な言葉を使って俳句を作っているとは考えられません。   

学研全訳古語辞典の解説では「冬も終わり」などを補って解釈していますが、不適切ではないでしょうか?

蕪村は1784年1月17日に亡くなっています。この辞世の俳句で省略された語句は、「冬も終わり」などということではなく、「自分に残された夜」とか「自分が生きている夜」とかという主体が省略されていると解釈すべきだと思います。

「明る夜ばかり」とは、「四季の巡りに伴い様々な夜がこれからもあるだろうが、自分に残された夜は『白梅に明る夜』のみとなった」、「自分が生きている夜は『この白梅に明ける夜』のみになった」と、死が間近であることを詠んだものと解釈するのが至当でしょう。

ちなみに、「夜半亭(YAHANTEI)のブログ・回想の蕪村」には、蕪村のいくつかの俳句や句評が掲載されています。ご参考までに、臨終3句を下記に抜粋させて頂きます。

・冬鶯むかし王維が垣根哉(『から檜葉』臨終三句の第一句・天明三年)
・うぐひすや何ごそつかす藪の中(『から檜葉』臨終三句の第二句・天明三年)
・しら梅に明る夜ばかりとなりにけり(『から檜葉』臨終三句の絶吟・天明三年)

上記の臨終3句は、過去・現在・未来を順番に詠んだ俳句だと解釈できます。「しら梅」の句は未来を詠んだ俳句であると解釈すると、「自分の未来(死後)の世界は『夜ばかり』である」と詠んだことになります。この解釈は穿ちすぎでしょうね。    

蕪村の臨終3句や正岡子規の辞世句3句などを読むと、高浜虚子の辞世句「春の山屍を埋めて空しかり」は、「春の山屍を埋めて(むな)しかり」ではなく、「春の山屍を埋めて(くう)しかり」と読むべきであるという思いを新たにしました。俳句談義(1)参照。)