Haiku of Bashō (204/300)《夕顔・秋・瓢》
夕顔や秋はいろいろの瓢哉
(yūgao-ya aki-wa-iroiro-no fukube-kana)
(試訳A)
moonflowers_
various gourds ripen
in autumn
(試訳B)
moonflowers_
various gourds made
in autumn
(注)
この俳句は、上五の「や」と下五の「哉」と、切字を二つ用いて、更に「5-8-5」の破調にしています。
芭蕉は意図的に型破りの俳句にして、夏から秋への季節の移ろいの感慨を強調したのでしょうか?
この俳句の解釈は夏に花を見て詠んだのか、秋に実を見て詠んだのか、定説が無いようですが、花を見て詠んだ俳句と解釈するのが妥当だと思います。(芭蕉db.参照)
試訳Aは自然に実る瓢を詠んだという解釈で英訳し、試訳Bは色々な瓢箪が作られることを詠んだという解釈でシンプルな英訳にしました。
「575訳」は花を見て詠んだことを前提に、上記の何れの解釈にも当てはまる「5-8-5」のシラブルで、次の通り英訳しています。
bottle gourd flowers
in autumn all turn into gourds
of different shapes
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