コメント:

小林一茶は「蝉鳴くや我が家も石になるやうに」を作った時に
芭蕉の俳句「閑さや岩にしみいる蝉の声」を意識していたに違いないが、
「我が家も石になるやうに」とはどういうことを言いたかったのだろうか?
一茶の俳句の「石」を芭蕉の句の「岩」と重ねて解釈すると面白い。

芭蕉の俳句「閑さや」をStephen Addissは
"The Art of Haiku"に於いて下記の通り英訳しています。
silence--
penetrating the rocks,
cicada voices
しかし、「岩にしみいる」という語感を生かすには
「penetrating」は不適切な気がします。

次のような英訳にしたいですね。
what a stillness!
a cicada voice,
seeping into the crag