俳句 HAIKU: 俳句の鑑賞 <吾亦紅と総裁選> (enjoy.jp) http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2021/09/post-e881.html や 川柳と俳句(先輩の句集を拝読して思うこと) http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2021/09/post-1e86.html をご覧下さい。 (薫風士)
俳句の鑑賞:「初夏」 《コロナ禍に思うこと》 http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2021/05/post-072b.html や コロナ禍の俳句鑑賞: 「青葉」・「青葉風」・「青葉潮」 http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2021/05/post-662c.html をご覧下さい。 (薫風士)
「(秋彼岸の俳句)夏井先生の添削を添削する(特集)」 http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2020/09/post-f4d8.html や 「芭蕉・子規・虚子の俳句、まんぽ写真・俳句などを楽しもう!(WEB特集)」 http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2020/09/web-1bc9.html を読めば俳句の面白さが分かります。 ご一読下さい。
4月8日は高浜虚子の忌日です。 虚子の俳句を100句英訳して、 ・「高浜虚子の俳句をバイリンガルで楽しもう!」 ・「Enjoy bilingual haiku of Kyoshi Takahama!」 というタイトルで国際俳句交流協会のホームページに掲載して頂いています。 http://www.haiku-hia.com/about_haiku/takahama_kyoshi/ をクリックしてご覧下さい。 虚子俳句の一端の面白さを知り、 英語学習のご参考になれば幸いです。
高浜虚子の辞世の俳句「春の山」の新解釈を裏付ける下記の記事が 「仏様の世界」というサイトにありました。 (http://tobifudo.jp/newmon/name/10daidesi/shobodai.html 参照) 「須菩提 しゅぼだい」 解空げくう第一または無諍むそう第一といわれます。 解空 とは空を良く理解していること。 空は般若心経に出てくる「色即是空、空即是色」の空。 物事にとらわれない、執着しない、という教えです。 空は元々膨らんだ状態を意味し、中が空洞化すること。 内実がないこと。実体が無いことです。 無諍とは言い争いをしないこと。 須菩提は、元は短気で粗暴な性格でしたが、お釈迦様に出会い、 円満な人格となりました。教団内は勿論のこと、在家の人々からも慕われていました。 争う心がないとき、真に心の平安を得ることができます。
4月8日は「虚子忌」なので、何となく「俳句への道」(高浜虚子著・青空文庫)を読んでいると、 「私はかつて『俳諧須菩提経(はいかいすぼたきょう)』というものを書いた。これは仮りにも十七字という俳句に接したものは悉く(ことごとく)成仏(じょうぶつ)するという意味のことを書いたのである。」という記述が目につきました。 この記述は虚子が辞世の句として「春の山屍を埋めて空(くう)しかり」と詠んだとする新解釈の根拠の裏付けになると思います。
先日、東日本大震災の犠牲になられた方のお墓の写真を見て、 「さぞかし空しく悲しい思いで、せめてお墓でも立派にしてやろうとお墓を作られたのだろう」 と身につまされました。 身近な人の死はとても「くうしかり」などと割り切ることはできないでしょう。 靖国神社に身内を祀られた方々も安倍総理大臣や稲田防衛大臣などに参拝されても、 やはり「むなしい」思いをされ、 「戦争はしてほしくない」という思いを強くされているのではないでしょうか?
投稿して頂く場合には「コメントを投稿する」(記事の最後の欄)に、 次の手順で入力して下さい。 (1)名前の欄に貴方の氏名を記入。 (2)メールアドレスの欄に貴方のメールアドレスを記入。 (3)最後の「投稿」ボタンをクリック。 (4)上記の結果表示された、セキュリティのために要求されるテキストを指示通りに入力する。 ご投稿ありがとうございます。 なお、ご投稿頂いた内容はチュヌの主人の任意の裁量で公開させて頂きます。 予めご了承ください。
高浜虚子(高濱虚子)は「客観写生」・「花鳥諷詠」を唱導しています。 「私情を交えず客観的に自然を詠む」のが 「客観写生」・「花鳥諷詠」であるとチュヌの主人は理解しています。 「短歌はホットな詩であり、俳句はクールな詩であると思います。 その意味でも、「空しかり」は「むなしかり」というよりも 「空然り」と読むべきではないでしょうか? 読者のご意見が頂ければ幸甚です。
高浜虚子は「悠久の宇宙」の視点から「色即是空」を認識して、 「春の山屍を埋めて空しかり」と詠み、 宇宙の視点から見れば瞬間的儚い「人の一生」の視点から 「『色即是空』の『色』」を認識して、 「去年今年貫く棒の如きもの」と詠んだのではないか。 ふと、そんなことを考えました。
俳句談議(1)~(18)を通読出来るようにまとめました。 俳句談議(通読版) http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2015/08/post-166a.html をご覧下さい。
リヒャルト・シュトラウスの名曲「英雄の生涯」(パーヴォ・ヤルヴィ指揮・N響)を聞いていると、 ふと、「この交響詩のように高浜虚子は自分の俳句人生を振り返りながら、「色即是空(しきそくぜくう)」を潜在意識にして、「春の山屍を埋めて空(くう)しかり」と俳句を作ったのではないか?」と思った。 余談だが、最近はNHK交響楽団の演奏も聞き応えがあるようになってきた。
4月8日は虚子忌(椿寿忌)である。 インターネットで検索すると、 4月11日に朝日カルチャ・湘南教室で星野高士さん (「玉藻」主宰・鎌倉虚子立子記念館館長)の講演がある。 しかし、残念ながら遠方なので聴講できない。 後日、インターネットか何かで講演内容のエッセンスを読むことが出来ないだろうか?
上記の引用文に「この句を詠んで二日後に亡くなりました。」とありますが、虚子は「春の山屍かばねを埋めて空しかり」の句を詠んだ二日後に亡くなったのではなく、二日後に脳出血で倒れ、1週間後に亡くなったことがわかりましたので、訂正させて頂きます。
この「屍」は、日本の山河、風土、文化、伝統の中にある死者からの視線と共にある作者の捉えた「屍」であると、思われます。即ち、生者と死者の共感する宇宙。従って、座五の「空」は、むなしい(虚しい)という感情よりも、貴兄の空(くう)という位相である、と愚考致します。 上泉呑海
コメント:俳句談義(1)虚子辞世句「春の山」の新解釈
俳句《涼し》「死の話」
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2022/07/post-70ee.html
をご覧下さい。 (薫風士)
「早春や命の限り句を口に (本との出会い)」
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2022/02/post-e18a.html
をご覧下さい。 (薫風士)
俳句の鑑賞 「大根」と「蕪」(「いい夫婦」になろう!)
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2021/11/post-f148.html
をご覧下さい。
(薫風士)
俳句 HAIKU: 俳句の鑑賞 <吾亦紅と総裁選> (enjoy.jp)
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2021/09/post-e881.html
や
川柳と俳句(先輩の句集を拝読して思うこと)
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2021/09/post-1e86.html
をご覧下さい。
(薫風士)
俳句の鑑賞:「初夏」 《コロナ禍に思うこと》
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2021/05/post-072b.html
や
コロナ禍の俳句鑑賞: 「青葉」・「青葉風」・「青葉潮」
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2021/05/post-662c.html
をご覧下さい。
(薫風士)
「(秋彼岸の俳句)夏井先生の添削を添削する(特集)」
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2020/09/post-f4d8.html
や
「芭蕉・子規・虚子の俳句、まんぽ写真・俳句などを楽しもう!(WEB特集)」
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2020/09/web-1bc9.html
を読めば俳句の面白さが分かります。
ご一読下さい。
俳句をユネスコ世界無形文化遺産へ (草の根運動)
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2018/07/post-06b7.html
をご覧下さい。
4月8日は高浜虚子の忌日です。
虚子の俳句を100句英訳して、
・「高浜虚子の俳句をバイリンガルで楽しもう!」
・「Enjoy bilingual haiku of Kyoshi Takahama!」
というタイトルで国際俳句交流協会のホームページに掲載して頂いています。
http://www.haiku-hia.com/about_haiku/takahama_kyoshi/
をクリックしてご覧下さい。
虚子俳句の一端の面白さを知り、
英語学習のご参考になれば幸いです。
高浜虚子の辞世の俳句
「春の山屍を埋めて空しかり」
を翻訳しました。
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2017/03/haiku-8b01.html
をご覧下さい。
高浜虚子の辞世の俳句「春の山」の新解釈を裏付ける下記の記事が
「仏様の世界」というサイトにありました。
(http://tobifudo.jp/newmon/name/10daidesi/shobodai.html
参照)
「須菩提 しゅぼだい」
解空げくう第一または無諍むそう第一といわれます。
解空 とは空を良く理解していること。
空は般若心経に出てくる「色即是空、空即是色」の空。
物事にとらわれない、執着しない、という教えです。
空は元々膨らんだ状態を意味し、中が空洞化すること。
内実がないこと。実体が無いことです。
無諍とは言い争いをしないこと。
須菩提は、元は短気で粗暴な性格でしたが、お釈迦様に出会い、
円満な人格となりました。教団内は勿論のこと、在家の人々からも慕われていました。
争う心がないとき、真に心の平安を得ることができます。
4月8日は「虚子忌」なので、何となく「俳句への道」(高浜虚子著・青空文庫)を読んでいると、
「私はかつて『俳諧須菩提経(はいかいすぼたきょう)』というものを書いた。これは仮りにも十七字という俳句に接したものは悉く(ことごとく)成仏(じょうぶつ)するという意味のことを書いたのである。」という記述が目につきました。
この記述は虚子が辞世の句として「春の山屍を埋めて空(くう)しかり」と詠んだとする新解釈の根拠の裏付けになると思います。
先日、東日本大震災の犠牲になられた方のお墓の写真を見て、
「さぞかし空しく悲しい思いで、せめてお墓でも立派にしてやろうとお墓を作られたのだろう」
と身につまされました。
身近な人の死はとても「くうしかり」などと割り切ることはできないでしょう。
靖国神社に身内を祀られた方々も安倍総理大臣や稲田防衛大臣などに参拝されても、
やはり「むなしい」思いをされ、
「戦争はしてほしくない」という思いを強くされているのではないでしょうか?
投稿して頂く場合には「コメントを投稿する」(記事の最後の欄)に、
次の手順で入力して下さい。
(1)名前の欄に貴方の氏名を記入。
(2)メールアドレスの欄に貴方のメールアドレスを記入。
(3)最後の「投稿」ボタンをクリック。
(4)上記の結果表示された、セキュリティのために要求されるテキストを指示通りに入力する。
ご投稿ありがとうございます。
なお、ご投稿頂いた内容はチュヌの主人の任意の裁量で公開させて頂きます。
予めご了承ください。
高浜虚子(高濱虚子)は「客観写生」・「花鳥諷詠」を唱導しています。
「私情を交えず客観的に自然を詠む」のが
「客観写生」・「花鳥諷詠」であるとチュヌの主人は理解しています。
「短歌はホットな詩であり、俳句はクールな詩であると思います。
その意味でも、「空しかり」は「むなしかり」というよりも
「空然り」と読むべきではないでしょうか?
読者のご意見が頂ければ幸甚です。
・煩悩は百八減つて今朝の春
煩悩は108あるとされるが、
煩悩が無くなるのは大往生するときのように思える。
夏目漱石は何歳の時にこの俳句を作ったのだろうか?
辞世句(俳諧・川柳・俳句)を集めました。
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2015/11/post-63e2.html
をご覧下さい。
高浜虚子は「悠久の宇宙」の視点から「色即是空」を認識して、
「春の山屍を埋めて空しかり」と詠み、
宇宙の視点から見れば瞬間的儚い「人の一生」の視点から
「『色即是空』の『色』」を認識して、
「去年今年貫く棒の如きもの」と詠んだのではないか。
ふと、そんなことを考えました。
俳句談議(1)~(18)を通読出来るようにまとめました。
俳句談議(通読版)
http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2015/08/post-166a.html
をご覧下さい。
リヒャルト・シュトラウスの名曲「英雄の生涯」(パーヴォ・ヤルヴィ指揮・N響)を聞いていると、
ふと、「この交響詩のように高浜虚子は自分の俳句人生を振り返りながら、「色即是空(しきそくぜくう)」を潜在意識にして、「春の山屍を埋めて空(くう)しかり」と俳句を作ったのではないか?」と思った。
余談だが、最近はNHK交響楽団の演奏も聞き応えがあるようになってきた。
4月8日は虚子忌(椿寿忌)である。
インターネットで検索すると、
4月11日に朝日カルチャ・湘南教室で星野高士さん
(「玉藻」主宰・鎌倉虚子立子記念館館長)の講演がある。
しかし、残念ながら遠方なので聴講できない。
後日、インターネットか何かで講演内容のエッセンスを読むことが出来ないだろうか?
上記の引用文に「この句を詠んで二日後に亡くなりました。」とありますが、虚子は「春の山屍かばねを埋めて空しかり」の句を詠んだ二日後に亡くなったのではなく、二日後に脳出血で倒れ、1週間後に亡くなったことがわかりましたので、訂正させて頂きます。
早速コメントの投稿を頂き有難うございました。
「空しかり」の解釈に共感頂き意を強くしました。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
この「屍」は、日本の山河、風土、文化、伝統の中にある死者からの視線と共にある作者の捉えた「屍」であると、思われます。即ち、生者と死者の共感する宇宙。従って、座五の「空」は、むなしい(虚しい)という感情よりも、貴兄の空(くう)という位相である、と愚考致します。
上泉呑海